うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「昭和恐慌」からファシズムが生まれた流れは、現代と重なる部分が多い。

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 昭和恐慌の流れを読んでいると現代の状況と重なる部分が多い。

 資本主義においてはだいたい同じようなことが問題として起こって、似たような流れになるのかなと感じたので、大まかにまとめてみた。

 

昭和恐慌の流れ

 第一次世界大戦中、大きく発展した日本経済は、大戦後急激に不況に陥った。

 大戦時は戦争の当事者国が大きな市場となっていたため好況だったが、大戦後に各国の生産力が回復して市場規模が縮小すると、たちまち製品が売れなくなった。

 原内閣は積極財政を続け、公的資金を投入して銀行や企業を助けた。結果的に合理化が進まず不良債権が増えたため、日本の海外競争力はますます低下した。

 輸入超過により、外貨や金が流出したため金本位制の復帰は当面難しくなる。

 

 1921年(大正10年)に成立した高橋内閣は、財政を健全化するため緊縮財政に転換する

 しかし1923年(大正12年)に関東大震災が起こったため、震災手形を発行するなど積極財政に再転換せざるえなくなる。震災手形を発行した企業は、被災した企業だけではなく、震災前から経営不振だった企業も含まれていたため、不良債権が積み重なっていく。

 

 一方、世界各国は金本位制によって第一次世界大戦からの復興が進んでいた。

 そのため政財界では「このままでは日本が世界から取り残される」という空気が日ましに強くなり、金解禁し、為替を安定させ、対外競争の中で国内産業全体を合理化していくのが良いのではないか、という考えが大勢を締めていった。

 また米英も「日本が金解禁をしなければ(為替を安定させなければ)外債の借り換えに応じない」という姿勢だったため、1930年(昭和5年)1月に金解禁に踏み切る。

 しかしこれは

(前略)あとから考えると、これはたいへんまずいときにおこなわれた無謀な措置であった。

(引用元:「日本の歴史24 ファシズムへの道」大内力 中央文庫 P190)

①当時の経済状況は、インフレ政策と為替安に支えられていただけだった、にも関わらず平価を切り下げず(今日で言う円高)の状況で金解禁に踏み切った。

②重化学工業は、対外競争できる域に達していなかった。

 

 結果、金が大量に流出する→日本はいずれ、再び金解禁を停止しなければならない状況になるだろう(だから円の価値が下がるだろう)と予測される→円売りドル買いが加速する。

 1931年(昭和6年)12月に金再禁止をせざるえなくなる。日本はわずか二年で大量の正貨を失う。

 

 金解禁時に急激なデフレ、また世界恐慌が起こっていたため大量の安価な商品が海外から入ってきており物価が急激に下落する。

 物価下落したため

①大企業の減産

②中小企業の破綻

③株価の下落

④需要減

が起き、失業者が大量に生まれ農家もひっ迫する。

 銀行は国内ではなく海外に投資するようになり、正貨が海外に流出し、国内企業は破綻する。

という連鎖の中で不況が拡大していく。

 

恐慌にさらされた経済の立て直しがファシズムを生む

という最悪の不況の中、1931年(昭和6年)12月、高橋是清が蔵相となり財政の立て直しを試みる。

 高橋は就任後即座に金本位制を離脱し、円を安く安定させることで対外輸出、国内需要を増やす。対内的には積極財政により、公共事業、軍事費を膨張させることで需要と雇用を生み出す。

 その費用を赤字国債で賄うことでインフレを起こし、経済を循環させることで景気の指標は昭和10年ごろには第一次世界大戦前の水準に戻った。

 

 しかし

①「日本は労賃を安くすることによってソーシャルダンピングを行っている」という批判の的になり、国際社会で孤立していく。

②軍事費を膨張することで軍の力が増大していく。

 

 また1930年(昭和5年)の浜口内閣の段階から、国際競争力を高めようとした合理化により大企業のカルテル化、人員の整理、賃金の切り下げが行われた。労働者へのしわ寄せは、労働運動を激化させる。

 またカルテル化した財閥の力が強大になり、財閥と政府の結びつきが国を動かしていることに対して軍の不満が高まっていく。

 社会不安が高まっていき、社会の左傾化、右傾化が双方が急速に進んでいく。

 金本位制のもとでは、健全財政の維持は絶対的な条件であった。したがって軍という怪物ー砂漠を支配するビヒモス(略)も、財政の枠によって自動的に制約を受けざる得ない面が多分にあった。

 だが高橋は、あえてこの戒めを解いてビヒモスに自由を与えたのであった(略)

 二・二六事件の凶弾が、この八十二歳の老蔵相を葬り去ることによって、高橋財政は終わりを告げた。かれによって解放されたビヒモスは、ついにその解放者をも血祭にあげずにはおかなかったのである。

 それは健全財政の枠をみずからやぶりながら、しかしそれを身をもって守ろうとしたブルジョワジーの代表者の悲劇であった。

 その悲劇の中でファシズムはその道を切り拓いていったのである。

(引用元:「日本の歴史24 ファシズムへの道」大内力 中央文庫 P288‐299/太字は引用者)

※この本の文章は、こういう物語調の箇所が多くとても読みやすい。陸軍をビヒモス、海軍をリヴァイアサンという例えが秀逸。

 

全体的な感想

円高(デフレ)になる→商品が売れなくなる→株価が下がる→企業が破綻したり合理化に走る→失業者が増える→民間の購買力がなくなる(物が売れない)→デフレになる(最初に戻る)

という不況のサイクルはいつの時代も変わらないんだなと感じた。

 不況に陥れば、各国は経済圏をブロック化する。この当時は植民地と本国によって行うとやり方が露骨だが、グローバル化、自由貿易と言われる現代でも行われることは大して変わらない

 この当時、↑の流れを見た限りでは(権力争いや企業との癒着はあったにせよ)不況の対策や財政の立て直しを危機感を持ってやろうとしていた。

 だがそれでも、国民を置き去りにして労働者に負担を背負わせるような政策は結局は社会を動揺させ、最終的には破綻させた。

 国というのは一個の「物」ではなく、人の集合体だ。その大部分を締める国民が不安と不満を持てば、いくら力で抑えつけようとしても社会は動揺する。社会が動揺すれば「国が強くなる」どころではない。むしろ反対のことが起こる。

 不安を持った人々は、左でも右でも、とにかく現状を打破して希望を持たせてくれる強い力を求める。国内の対立は激化して社会はますます動揺する。

 アメリカを始め、現代も世界各国で起こっている右傾化左傾化も、戦前の日本で起こったことと同じ現象ではないか。

 

 社会保障や雇用の安定は、力を持たない一般の庶民が強大な経済力や権力を持つ人間から日常や生活を守るための重要な権利だ。

 今の時代はまがなりにも民主主義が機能しているのだから、そういうことがわからない*1人を選ばないようにしたい。

 それが社会が極端な方向へ進まないようにするために、平凡な庶民である自分が出来ることかなと思った。

*1:のかわかっていて言っているのかは知らないが。