↑の本を読み終わったタイミングで、ちょうどNHKで1998年に制作されたルワンダの虐殺についての番組を放送していたので、合わせて見てみた。
「なぜ隣人を殺したか」は、94年4月のジェノサイドの時に、幼い甥と姪を殺してしまった少年フランソワに焦点を当てている。
フランソワの父親はフツ族、母親はツチ族であり、兄はフツ族の女性と結婚し、姉はツチ族の裕福な家庭に嫁いだ。
94年の4月に裕福なツチ族だった姉一家は真っ先に殺されたため、フランソワの一家が幼い甥と姪をかくまっていた。
しかし兄が村の仲間に密告したため、村の人間たちが家にやって来る。
「甥と姪を殺さなければお前を殺す」と脅されたフランソワは、やむなく子供たちを殺した。
フランソワが三年の刑期を終えて、家に戻って来たところから番組が始まる。
対立していた家族が実際に出演し、虐殺されて放置された人々の映像なども流れる。文章で読むよりも起こったことへの実感が遥かに大きかった。
番組の流れとしてはタイトル通り「ラジオの扇動の責任が大きい」というニュアンスが強い。
平和に仲良く暮らしていたのに、ラジオの煽りによって潜在下にあった対立感情が噴き出て大規模な虐殺につながった。ラジオの扇動が主たる要因である。
という番組のストーリーは、事実に比べて話が粗すぎると思う。
ラジオ放送はきっかけのひとつに過ぎず、そこに至るまでの過程(歴史)に既に問題があった。そこにはルワンダ固有の事情が大きく作用している。だから94年以前も虐殺や迫害はたびたび起こっていた。
「ジェノサイドの丘」を読むと、「千の丘ラジオ」はそもそもハビャリマナ政権に批判的だった新聞「カングカ」に対抗して作られた「カングラ」のラジオ版だった。
「千の丘ラジオ」と「カングラ」を作ったのが、当時絶大な権力を握っていたハビャリマナの妻を中心としたアカズ(小さな家)と呼ばれる政界、軍隊、経済界の中に張り巡らされていた人脈だった。
フツ政権は1960年のルワンダ独立からずっと、「フツ至上主義」と「ツチへの迫害」を国の統治の方法論として利用するために扇動し続けていた。94年の虐殺を率先して行ったフツ族急進組織インテラハムェが出来たのが、80年代後半である。
長年にわたって培われてきた社会の「ツチ族迫害」の空気の中で、ツチ族主体のルワンダ愛国戦線(RPF)とハビャリマナが和平協定を結び、その後に起きたハビャリマナ暗殺がジェノサイドにつながった。
その事情は「ヘイトは誰の心の中にも潜在的に眠っている」「フェイクニュースや扇動には誰もが惑わされる可能性がある」というような現代の日本の状態に重なるようなものではない。
「扇動ラジオがジェノサイドの大きな要因→現代でもフェイクニュースに気をつけなければならない」という現代日本における課題が先にありきという番組の造りは、ルワンダの問題をその問題そのものとして見る目を「現代の日本に同じ問題である」と誘導してしまうことになる。
また「千の丘ラジオ」はフェイクではなく、事実を特定の文脈で語ることで誘導を行っている。こういう事例を、今の日本のフェイクニュースやヘイトの危険性と結びつけるのは無理がある。
ドキュメンタリーで作り手の視点がまったく入らないというのは不可能なので、ある程度は仕方がないとは思うが、それにしても問題と例示がかけ離れすぎている。
「自分が語りたいことが先にありきで、前提がかなり違うものやその一部に過ぎないものをコンテクストの補強のために取り上げて利用する」という「現代の問題」と通底するとして取り上げた扇動ラジオと、この番組も同じ造りになってしまっているのでは。
見終わった後そう思い、モヤモヤが残った。
フェイクニュースの問題の難しいところは発信者の明確な思惑があるもの以外でも、発信のしかたがまずかった、受け取り方が少しずれていた、あるいはその二つが掛け合わさって、もしくは少しずつ変化して結果的にフェイクや誘導になってしまうこともあるところだと思う。
少しでも怪しいと思ったら立ち止まって考えるよう気をつけたい。