うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

ルワンダのジェノサイドはなぜ起こったのか。「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」を読んで考えたこと

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 日本語で出版されている中では一番ルワンダで起こったジェノサイドについて詳細に描かれている「ジェノサイドの丘」を読み終わった。

 この本を読むまでは、元々潜在的に対立していた二つの民族のうち多数派であるフツ族がラジオの扇動によって暴発して、集団意識の中で虐殺に走った。

 それくらいの理解だったが、この本を読んで認識を改めた。

 そういう単純な構図でこの問題を「理解した」と思ってしまうのは、かなり不正確なんだなと感じた。

 

 この本には現在のルワンダの大統領であるポール・カガメを始め、ジェノサイドの加害者側、被害者側、あらゆる立場、階層の人たちが出てくる。だがその人たち全員の話を聞いても、なぜこれほど大規模な虐殺が起こったのかわからない。

 ただ物事を自分にわかりやすいように無理に切り分けないで見ると、おぼろげながらこういうことだったのではないかと思うものが見えるてくる。

 そのおぼろげながら見えたものに基づいて、一体なぜこれほど大規模で悲惨な虐殺が起こってしまったのかを考えてみた。

 

 今まで、1994年4月に起こったジェノサイドはラジオの扇動によってその日にいきなり暴発したようなイメージを持っていた。だがそのずっと以前の1960年代から、定期的にツチ族への迫害や虐殺は行われていた。

 1990年代に入ると、ツチ族を暴力的に排除しようとする空気が社会の中にまん延するようになる。

 今振り返ってみれば、90年代頭の虐殺はフツ至上主義の提唱者たち自身が「最終的な解決」と呼んだ94年のそれの通し稽古だったように見える。

(引用元「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」P121フィリップ・ゴーレイヴィッチ/柳下毅一郎訳 WEVE出版/太字は引用者)

 

フツ族もツチ族も「その日がいつ来るか」という感覚を持っていた。

「ルワンダの文化は恐怖の文化だ」とンコンゴリは続けた(略)

「そこまで虐げられ、諦めてしまったら、もう死んだも同然だ。ジェノサイドがすごく長いあいだ準備されていた証拠だよ。厭わしい恐怖だ。ジェノサイドの犠牲者たちは、ただツチ族というだけで死ぬものだと思いこまされていた。あまりに長いあいだ殺されつづけてきたので、とっくに死んでしまっていたんだ」

(引用元「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」P24 フィリップ・ゴーレイヴィッチ/柳下毅一郎訳 WEVE出版/太字は引用者)

「体制順応がすごく深いところまで、たっぷり進行している。ルワンダ史をひもとけば、みな権力に従うだけだったのがわかる(略)だから影響力のある人間や大金持ちは、ジェノサイドでも中心だった(略)

みんなそいつらが命令するのを待っていた。そしてルワンダでは、命令はとても静かに伝えられるんだ」

(引用元「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」P25 フィリップ・ゴーレイヴィッチ/柳下毅一郎訳 WEVE出版/太字は引用者)

 だがサミュエルの意志を砕いたのはンタキルチマナ牧師の返答の方だった(略)

「おまえたちの問題にはもう解決策は見つかっている。お前たちは死なねばならない」(略)

「お前たちは消えなければならない。主はお前たちを求めてはおられない」

(引用元「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」P31 フィリップ・ゴーレイヴィッチ/柳下毅一郎訳 WEVE出版/太字は引用者)

 

 読んでいて強い恐怖や嫌悪を感じる。

 だが同じくらい、虐殺加担者の多くが共有していた「ツチをこの地上から殲滅しなければいけない」という意思は一体どこから来たのだろうと思った。

 この本を読んでいて最初に強く心に残ったのはこの疑問だ。

「ツチは消えなければいけない」という感覚を加害者たちはもちろん、被害者であるツチ族でさえ内面化して「とっくに死んでしまっていた」と諦めていたのだ。

 

 冒頭に書かれている「ツチは消えなければいけない」という意識の蔓延を読んでいると、(適切な例えかわからないが)そういうプログラムの回路がルワンダの人たちの中に組み込まれてしまっており、何かの拍子にその回路がつながってしまったのではないか。そんな印象がある。

 その回路は非常に入り組んでいて、その地に住んでいない人には本当の意味ではわからないのではないか。

 実際に大統領となったカガメを始め、言葉の端々に「(アフリカの)外から来た人間には理解できない」というニュアンスの話し方をする。

 ただ体感として理解できないにしても、本書を読むと恐らくこういうことではないかということは多少見えてくる。

 

 ツチ族とフツ族は民族的にそこまで差はない。婚姻や交流もあり、本書に出てくる人もほとんどが「両親のどちらかがフツ族でどちらかがツチ族」「自分はフツ族で夫(妻)がツチ族」という人ばかりだ。

 ジェノサイドの中心的役割を果たした「フツ至上主義者」の中にさえ、母親がツチ族という人間がいる。

 伝統的には先に定住したフツ族は南と西からやってきたバンドゥー族に属し、ツチ族は北と東からやってきたナイロード族に属する部族だとされているが、この理論は記録というよりは伝承に基づいたものである(略)

 結婚と養子縁組により、フツ族がツチ族の家に入り、ツチ族がフツ族になることもあった。ここまで混合しているので、歴史家や民族学者たちもフツ族とツチ族を完全に異なる民族集団とすることはできないとしている。

(引用元「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」P55-56 フィリップ・ゴーレイヴィッチ/柳下毅一郎訳 WEVE出版/太字は引用者)

 完全に違いはないとまで言えないにしても、婚姻などによって交流もありそこまで明確な差はないと考えられている。

 では迫害やジェノサイドにおいて、どのようにツチ族とフツ族の区別をつけられたのか。

 

 そのひとつの要因になったのが、植民地時代に宗主国だったベルギーが発行した「人種」IDカードだ。

 第一次世界大戦後にドイツからルワンダの支配権を移譲されたベルギーは、植民地を効率的に支配するためにツチ族とフツ族の相違と対立のナラティヴを確立した。

 国際連盟がルワンダをベルギーに与えたころには、フツ族とツチ族ははっきりと対立する「民族的」アイデンティティとなっており、ベルギー人たちはこの対立を植民地政策の要石とした。

(引用元「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」P65 フィリップ・ゴーレイヴィッチ/柳下毅一郎訳 WEVE出版/太字は引用者)

 ベルギー人植民者たちはハム語族神話を雛形とし(略)ルワンダ社会を「人種境界」によって劇的に再編成しはじめた。

 初代ルワンダ司教モンシニョール・レオン・クラッセはフツ族からの公民権剥奪と「優れた血筋のツチ族による伝統的支配」強化の強力な推進者だった(略)

 ベルギー人は「人種」IDカードを発行するために人口調査を実施し(略)IDカードのおかげでフツ族からツチ族に変わることは実質的に不可能になった。

 ベルギー人はツチ族優越神話に根差した人種差別機構を完成させたのだ。

(引用元「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」P67‐68 フィリップ・ゴーレイヴィッチ/柳下毅一郎訳 WEVE出版/太字は引用者)

 本書で書かれている通り「権力とは自分の物語を他者の現実に押しつける能力でもある」(P57)

 ルワンダの人たちは、自分たちを「発見した」西側諸国の人間により、フツ族とツチ族に明確に分けられた。

 ヨーロッパと起原的なつながりがあるという神話を与えられたツチ族がフツ族を統治すべきだ、という物語によって支配され、その物語にのっとって歴史を形成した。

 

 1960年のフツ族によるクーデターのきっかけとなったのは、1959年11月1日にギタラマで起こったフツ族の活動家がツチ族の活動家によって袋叩きにされた事件だった。

 この事件をきっかけに暴動がルワンダ全土に広がり、ツチ族に対する略奪、放火、殺害が行われた。

 クーデターで大統領となったカイバンダーは、西側諸国によって作られた「ハム語族神話」→フツ族とツチ族の明確な違いと対立を失くすのではなく、反転した形で採用した。

 この時のクーデターにおける「ツチ族を打ち倒し殲滅する」ということが、フツ族主体の政権においては、自分たちの解放や自由の獲得、政治参加や社会を統合するための方法、もっと言うと共通言語として機能するようになってしまったのではないか。

 この後の時代になって、政権の安定や外敵からの抑圧を受けた時に頻繁に「フツ至上主義」や「ツチの殲滅」を煽るのはこのためだと思う。

 1960年にフツ族政権にとって成功体験になった方法が、ルワンダの社会で脈々と受け継がれてしまった。(1990年代初めにこの時の精神は『フツ十戒』『フツ族イデオロギー』と名付けられている)

 1994年にあれほど大規模なジェノサイドが起こった理由のひとつが、これではないかと感じた。

 

「ツチとフツの区分は、西側諸国が自分たちの利権のために便宜的に持ち込んだものであり、そのナラティブによってルワンダの人たちは今日まで縛られている」

というのは「お話」としてわかりやすくはある。

 ただそれだけであれば二つの部族の対立は、ツチ族の人を「ゴキブリ」と呼ぶほど強烈には作用はしなかったのでは、と思う。

 西側諸国がルワンダを「発見する」前から、ツチとフツの区別はあった。

 そうした中で、二つの集団はそれぞれのはっきりとした文化を、自分自身と相手がいかなる存在であるかという考えを、それぞれの世界で発展させていった。

 もっぱら相手のネガとして。

 つまりフツ族はツチ族でないものであり、ツチ族はフツ族でないものである。

(引用元「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」P58 フィリップ・ゴーレイヴィッチ/柳下毅一郎訳 WEVE出版/太字は引用者)

 本来は違いがほぼないのに違いを作らなければならないとしたら、究極的には相手を消すしかない。相手を消しても自分が消えないのであれば、その時初めて「相手と自分は違う」とはっきりするからだ。

 フツとツチには元々、抽象的なレベルでは民族の差異の形成のしかたにこういう発想があった。

 実際にフツ族の中でも反体制派だったりツチ族を助けたりした人は「フツ族ではない」ということにされ、ジェノサイドが起こった時にはツチ族よりも先に標的になっている。(ジェノサイドの直接のきっかけとなったハヴャリマナ大統領の暗殺も、ツチ族主体の反政府軍「ルワンダ愛国戦線(RPF)」と和平を結んだために、裏切り者として殺されたという説が濃厚だ)

 元々お互いの相違において「相手ではないものが自分」という苛烈な発想があったところに、西側諸国によってその差異を明確にするナラティブを押し付けられた。

 そこにさらにフツ族がツチ族を打倒することで解放され新しく社会が生まれ変わるという1960年のクーデターが成功したことで、「ツチ族を殲滅すれば政治や社会の行き詰まりを打破できる」という回路が社会全体で機能するようになってしまった。

 1960年以降の歴史で、ツチ族が繰り返し迫害を受けるようになったのはこのためではないかと感じた。

 

 もうひとつ要因として重要だったのではと思ったのは、ルワンダの相互扶助の義務の風習である。

 ルワンダ人の同行者によれば、あのおたけびは義務をともなう伝統的な救援信号だという。

「声を聞いたら、自分でも返す。それから走って駆けつける。逃れられない。絶対に駆けつける。もし悲鳴を無視したら、あとで理由を問われる。丘に住むルワンダ人の決まりだ」(略)

「黙っていた奴、家の中にいた奴は申し開きをしなきゃならない。(略)次にそいつが叫んだとき、何が起こると思う? 単純なことだ。正常なことだ。それがコミュニティというものだ」(略)

 わたしは深く感心した。

 だがもしこの共同体の義務が転倒し、殺人とレイプが決まり事になったとしたら? もし罪なきことが罪となり、隣人を守ろうとする者が「同調者(ツチの擁護者)」に数えられるとしたら?

(引用元「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」P39‐40 フィリップ・ゴーレイヴィッチ/柳下毅一郎訳 WEVE出版/太字は引用者)

 その土地に生きる人間の風習や文化が、どれだけ深く人の心に根付いているかはその土地に生きてみないとわからない。

 イスマイル・カダレが書いた「誰がドルンチナをさらったか」のように「親族を殺されたら必ず相手の親族を殺さなければいけない」という掟が脈々と受け継がれている地域もある。

 

 この本を読んでいる時、とても怖かったのは、ジェノサイドの悲惨さ残虐さもさることながら、そこに至るまでの経路が普段はほとんど見ることも感じることもできない、個人や社会の内部に何重にも組み込まれたものだからだ。

 それが自分が生まれるずっと以前から延々とつながっており、ジェノサイドのような恐ろしく悲惨で残虐な出来事であっても、つながっているものの途中点に過ぎないということを、まざまざと感じさせられた。

 自分の内部にも他人の内部にも組み込まれており、さらにそれが自分が生まれる前から社会に数珠繋ぎのように繋がれているものだとしたら、それが可視化された時にどう対処すればいいのだろう。

 自分だったらどうしただろうか。

 考えれば考えるほど、ただただ怖いという感想しかない。

 

 1994年4月のジェノサイドと同じ時に、政府軍とRPFが交戦し、RPFが勝利する。

 政府軍の主流だったフツ至上主義の人間たちは国外に亡命し、RPFが新しい政権を樹立する。

 だがその後もジェノサイドの問題は尾を引き、加害者たちと単純に迫害を恐れたフツ族たちが難民となり、そのキャンプをRPFが襲うなどの問題も起こる。

 ルワンダの問題に対して、国際社会や国連がどれほど無力で無関心で無責任だったかということも書かれている。

 ジェノサイド以後の問題や周辺の国々との軋轢、難民問題などこの記事に書いたこと以外の様々な問題にも触れているので、興味のある人はぜひ手にとって欲しい。

 

 続き。NHKの番組を見た感想。

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