うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【漫画感想】「進撃の巨人」19巻までの感想

あの……自慢をしてもいいですか??

 

主は、最初にマガジン本誌にリヴァイが主役の特別編が載ったときから、

「この漫画、すごく面白い」

と思っていました。

(連載じたいはもっと前からしていましたが、

本誌ではなかったので存在を知りませんでした。)

一巻から大ファンで、しばらくどハマリして、

ネットで他の方の解析とか読み漁りました。

 

ハマった理由はいろいろありますが、

一番は主が大好きな「世界の謎解明話」だから。

 

もうひとつは、普段から

「何故、謎を解明したいのか? それが何になるの?」

という質問に対して、

「解明することに理由なんてない。知りたいから知りたいんだよおお」

と思っている主の気持ちに、

主人公の気持ちがぴったりフィットしたから。

 

四巻第14話「原初的欲求」で、エレンが自分自身に問いかけている

「なんで外の世界に出なきゃいけないんだ?」

外には恐ろしい巨人が溢れているのに。

世界はこんなに残酷なのに。

わざわざ、外に出なくてもいいじゃん。

という当然の質問に対しての、

 

オレがこの世に生まれたからだ」

「それを見たものは、この世界で一番、自由を手に入れたものだ」

という答えに非常に共鳴したからです。

 

どんなに恐ろしくても、どんなに大変でも、

この世界に生まれたからには、この世界を知らなくてはならない、

世界のすべてをこの目で見なくてはならない、

そして、残酷だろうが何だろうが、その世界で生きなければならない

だって、この世界に生まれたんだから。

という思想が、「進撃の巨人」の根幹のテーマだと思うのですが、

今まで読んだどの漫画のテーマよりも、共感しています。

 

そのことを、友達のアルミンに教えてもらった、という設定がまたいいですねえ。

外見からはキワモノっぽい邪道に見えても、

進撃の巨人」の中身は王道の少年漫画です。

 

他の既存の少年漫画と違うところは、

一番大切な戦う理由が、誰かのためにということではなく、

「自分自身をこの世界に存在させるため。そして、この世界のすべてを知るため」

ということです。

存在意義をかけて戦う。

戦い方がちょっと違うだけで、現代社会と一緒ですね。

主はこの点が、この漫画の一番素晴らしいところだと思います。

 

↓↓↓  以下、19巻より先のネタバレが少しあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

最新話80話「名も無き兵士」で、

「どうやって死のうが意味なんてないですよね?」

という、名も無き一兵卒の

 

自分の死はまったく意味のない犬死で、

いったい自分は何のために生まれてきたのか??

 

という質問に対して、エルヴィンがこの漫画のテーマを熱く答えます。

 

「まったくもって無意味だ。どんなに夢や希望を持っていても、

幸福な人生を送ることができたとしても、岩に砕かれても、同じだ。

人はいずれ死ぬ。

ならば人生には意味がないのか?

そもそも生まれてきたことに意味はなかったのか?

死んだ仲間もそうなのか?

あの兵士たちの死も……無意味だったのか?」

 

「いや、違う!! あの兵士たちの死に意味を与えるのは我々だ!!(中略)

我々はここで死に、

次の生者に意味を託す!!」

 

全わたしが号泣。

 

人は自分自身の人生に意味を与えるためだけに、生きているのではないんです。

自分の人生をかけて、無意味に見えた誰かの人生に意味を与えることができる。

そういう風に誰かのために意味をつなげば、

自分の人生一個は無意味に見えても、

そのつながりの中で、他のたくさんの誰かが生きる歴史ができていくのだと思います。

 

無意味な犬死に見える仲間の人生に意義を与えるために戦い、

後世の人に存在意義を託して、今は無意味に死んでいく。

 

「苦しくても、その時代を生き抜いた人がいるから現在がある」

 

というのは、漫画「親なるもの 断崖」に出てきたセリフですが、

その意味をかみしめて、豊かで平和な現代を生きたいと思います。

 

歴史が続く限り、無意味な死などひとつもないと思います。

 

リヴァイがエルヴィンに巨人化の薬を渡した説もありましたが、

主はここまで言ったなら、

エルヴィンにはぜひ、他の人に自分の人生の価値を託して、

今は無意味に死んでほしいと思っています。

 

 

 

 

【漫画】「親なるもの 断崖」の感想

昭和初期、東北の貧しい農家から室蘭の遊郭に売られて、女郎になった少女たちの物語。

 

全女性必読の書だと思います。

 

女性として生まれて感じる悲しみ、強さ、幸福が凝縮されたような本。

 

女郎という職業は、今まで精神的にはもちろん苛酷な職業だと思っていましたが、

肉体的にも、これほど苛酷だとは思っていませんでした。

 

この話のすごいところは、ここまで苛酷な境遇でも、

希望を持って生きられる女性の強さだと思います。

男性諸氏からは怒りを買うかもしれませんが、

男なら間違いなく死ぬと思う、これ。

 

武子が梅から託された手記を燃やしながら、

言うこのセリフが、この漫画の主題だと思います。

「生きると決めたからには、これからのお前の生きざまで人間に問え。

おなごの強さを、深さを見せつけてやれ」

いつ読んでも、格好いいな。

 

悲惨な境遇を生き抜くことで、梅や道子をはじめとするこの物語に出てくる女性たちは、

女性の強さや深さとは何なのか、

人間にとって、本当の幸福とは何なのかを、

人生を賭けて問いかけてきます。

 

第二部でばっちゃんが道生に言う、

「決して、母を不幸だとは思うな。お前を産んだんだ…。

世界一、幸せな母親よ」

という言葉が、その答えなのだと思います。

 

わたしはこの言葉を読んだとき、梅のことを一番理解していたのは、

ばっちゃんだったんじゃないかなと思いました。

立場は違くても、価値観は違くても、

同じ母というだけで相手のことを理解できるんだなあと。

 

損得ぬきでその人の幸福を願える相手がいる、

その相手が生きることで、自分も生きているような思いがする、

自分の中にある尊いものを手渡せた相手がいる、

他人から見て、どんなに不幸で悲惨な境遇だったとしても、

梅は幸せだったとわたしも思います。

 

逆に、他人から見て、どんなに恵まれているように見えても、

人生でそういう人に出会えなかった人は不幸だと思います。

 

そういう意味では、いろいろな人を受け入れて死んだ道子も、

最後は愛憎半ばした女将と生きていくことを決めた武子も、

幸せなんだろうなと思います。

 

女性の女性による女性のための物語なので、

男は今いち頼りない聡一さんと重世さん、

あとはげひげひ言っている奴しか出てきません。

直吉は格好いい。

 

ぜひ読んでください。

 

 

 

 

「うみねこのなく頃に」が、なぜ批判されたのかを考えてみた。各論

*漫画版を読んだ感想です。原作のゲーム、アニメ等は見ていません。

「ネタバレ」しています。「ひぐらしのなく頃に」のネタバレも含まれています。

注意してください。

 

概論からの続きです。

概論であげた批判の二つのポイント

 

?作品の見せ方の問題

?作者への批判

 

を、考えていきたいと思います。

 

うみねこのなく頃に」という物語の真の目的は、

「どういうルールに基づいて、この物語が作られているのか」

ということを読み解くことだというのが、わたしの見解です。

その物語内独自のルールが分かったときに、

この作品が、何を目的として作られているかが分かるという仕組みになっています。

 

ひぐらしのなく頃に」は梨花が気が遠くなるほどループを繰り返しながら、

自分の運命を縛る「ルールXYZ」を探し当てて、それを打破しましたが、

うみねこのなく頃に」は、それを読者がやっているのです。

 

ひぐらしのなく頃に」の梨花と同じで、

うみねこ」の読者は、物語の開始当初は、

うみねこ」の世界に、そもそも自分たちのいる世界とは異なる

「独自のルールがある」という事実すら知りません。

自分たちのいる現実と同じルールに則って動いている世界だと、信じています。

なので、読者はそもそもの物語の目的が分からない(もしくは誤解した)状態で、

物語を読み進めます。

 

エピソードが進むにつれて、ルールのヒントが与えられるので、

それによってじょじょに、この物語の世界の成り立ちが明かされていきます。

この構造自体は、すごくうまいなあと思います。

 

エピソード1のときの読者の状態は、

ひぐらし」の梨花が、ループを一回もしていない状態と一緒です。

「ルールXYZ」の存在はおろか、

それがあるということを、推測する手がかりさえ与えられていない状態です。

「アンフェアだ」、「意味が分からない」という批判は、ごく当然のものだと思います。

ルールが開示されていない状態で、公平なゲームができるはずはありませんから。

 

うみねこ」の最大の問題点は、

「作者が、自分しか知らない物語独自のルールを、何故か読者も知っていて当然と思っており、だからこの物語は、エピソード1の時点から公平な物語だと信じている」

というところだと思います。

ひぐらし」で例えると、梨花がループをしていない一回目から

「ルールXYZ」を打破して、生き残れることができるはずだと考えているということです。

(そんな、馬鹿なと思いますが……。)

 

わたしは「うみねこ」はルールを当てる物語であり、

作者もそのつもりで書いていると思っていたのですが、

作者の発言を読むと、その点に作者はまったく無自覚で、

偶然そうなったみたいです。

 

にわかには信じがたいですが、作者の発言を読むとそうとしか思えません。

なので、読者の「アンフェアだ」「意味が分からない」という批判に対して、

「皆さん、本格推理をよみなれていないのか」

という度肝を抜くような、責任転嫁の発言ができるのだと思います。

 

うみねこ」の各エピソードのトリックは、広義にはすべて叙述トリックを原型としています。

「探偵が見ていないものは、地の文であろうと真偽は保証されない」

という発想自体はいいと思うのですが、

その場合、古戸ヱリカの登場のときのように

 

「探偵とはっきり名乗らせる」

「探偵は見たものの事実を見誤らない→従って、探偵以外は誤認をする可能性がある」

 

という「探偵の定義」をしっかり読者に知らせないと、ゲームとしては著しく不公正です。

エピソード1のときの戦人は探偵とは名乗っていないし、

「探偵の定義」自体曖昧だったからです。

戦人を「探偵」と定義して推理を進めても、後から

「でも、戦人は探偵と名乗っていませんよね?」と

後出しジャンケンをされればおしまいです。

 

ただ、そのように最初から「探偵の定義」をはっきり知らせると、

うみねこ」という物語の面白さは、恐らく大幅に下がると思います。

読者がまったくルールが分からない状態で話が進むことが、「うみねこ」の醍醐味だからです。

うみねこ」という話の面白さは、このアンフェアさを楽しむことにあるからです

 

なぜ、それなのに作者が頑なに

うみねこは本格推理のルールに則って書かれている。それが分からないのは、激辛カレーであることを理解できない読者が悪い」

というのかが理解できないです。

 

うみねこ」の面白さって、

はやしライスだと思って食べたものが今まで食べたこともないような激辛カレーだった、

そこにびっくりしたと思わせるところじゃないの?

そのびっくりした顔を見たくて、この作品を書いたんじゃないの?

 

そうじゃなかったとしても、お店でお金を出して売っといて、

文句を言われたら「お前の味覚がおかしい」って言うなんて、

料理人として最低だと思います。

ベアト風に言うならば、

「どんな料理でも、ぼくの作っている料理なら

おいちいおいちいって言ってくれるママ相手だけに作っていろ」

っていう話ですよ。

 

わたしは「うみねこ」という作品が本当に大好きであり、

このような作品がもっと読んでみたいと思っています。

作者への批判は、尤もなものだとは思います。

でも、できれば作者への批判とは別に、

うみねこ」という作品の面白さはもっと世に広まって欲しいなと思っています。

 

 

 

「うみねこのなく頃に」が、なぜ批判されたのかを考えてみた。その概論

漫画版を読んだ感想です。原作のゲーム、アニメ等は見ていません。

「ネタバレ」しています。

 

完結した当初、非難轟々だった「うみねこのなく頃に」について考えてみました。

先に言っておきますと、わたしはこの「うみねこのなく頃に」という作品が、

大好きです。

 

じゃあ、この文章は「うみねこのなく頃に」という作品がいかに素晴らしいか、

批判している人たちがいかに何もわかっていないか、を語っているのかといえば、

そんなことはありません。

わたしは批判している人たちの批判は尤もだと思っていますし、

その気持ちもよくわかります。

 

なぜ、そんな矛盾したことを言っているのかと言えば、

うみねこのなく頃に」という作品は、

アイディアは素晴らしく、ストーリーもよくできているのに、

演出で大失敗しているという面白い作品です。

厳しい言い方をすれば、アマチュアとプロの違いがよく分かる作品です。

読者のことを考えず、

自分の好きなことだけを好きなように描くところは、まさにアマチュアです。

それを商業ベースにのせたのが、失敗だったと思っています。

 

しかも自分たちで商業ベースで発表したのに、作者が、

「この作品を理解できないのは、読者の受け取り方が悪い」

という主旨の発言をしているので、批判がさらに加速化しました。

 

当然だと思います。

対象を選ばずに広告出して、食べてね食べてねって言っておいて、

辛いと文句を言ったら、「うちは激辛の味の店なんですよ」ってどういうことですか?

文句言われるのが嫌だったら、

不特定多数の人に金を払って食べてもらう商売などやめて、

家で家族相手に激辛の食事を作ってりゃあいいんです。

わたしは漫画版で読みましたが、漫画の表紙や帯に

「この漫画は激辛味です」なんて一切書いてありませんでしたけれど???

 

わたしも作者の姿勢には、(特に発表後がひどい。)おおいに疑問を感じています。

ただ、「うみねこ」は批判されるポイントがいくつかあるのですが、

そのポイントが他の批判のポイントとごちゃまぜになっていることが多く、

作品や批判の本質が見えにくくなっています。

 

「みんなが悪く言うけれど、結局、何が一番悪かったのかわからない」

 

という状態だと思います。

 

なので、「うみねこのなく頃に」は、どごが悪くてこんなに批判されているのか、

そもそもこの物語の本質は何なのかということを考えていきたいと思います。

 

うみねこのなく頃に」の一番の批判される部分は、結末だと思います。

実際、ネットを見ると、「最初のほうは良かったのに、結末が最悪」という意見が多いです。

 

「結局、ぜんぶOSS前がう思うなら、うなんだろ)かよ」

 

結末が批判されるのは、この点だと思います。

確かに既存の推理小説を想定して読んだ人なら、この結末は批判したくなりますよね。

わたしはこの点を、多くの読者が誤解していると思います。

(誤解というと語弊がありますが。

作者が理解させられなかった、と言ったほうが、正しいと思います。)

 

うみねこのなく頃に」という物語は、誰が犯人かをあてる物語ではなく、

ファンタジーかミステリーかを争う物語でもなく、

ウィルが主張するように、犯行の動機をさがす物語でもなく、

それらすべてを通して、

この物語がどのようなルールで動いているか、主題は何なのか、

ということを見つけることが目的となっているのです。

 

既存の推理小説のように、犯人が誰かや、トリックや動機を当てることが目的ではなく、

それら全てを知ったうえで、この物語がどういう法則性で動いているのか、

物語内の黄金律を見つけることが目的なのです。

そして、その黄金律こそ、

「世の中というのは、OSSなんだ」

これなんです。

 

うみねこのなく頃に」という物語は、

実はこの事実に気づくための物語なのです。

 

推理小説は一般的に、世の中の(主に物理的な)法則性(ルール)がベースにあることを前提にして、謎解きをします。

つまりルールがすべて開示された状態で、

作者も読者もそのルールに則って推理を進めていきます。

 

うみねこのなく頃に」という作品は、この逆です。

提示された物語内の事象から、その世界を支配するルールを見つけ出すという、

逆転の発想で成り立っています。

しかもそこに、この物語は「ファンタジーなのか、ミステリーなのか」という風に、

読者をミスリードするパッケージまでかぶせられているので、

読者はまんまと普通のミステリーの謎解きの手法で、物語を解読しようとしてしまうのです。

 

この発想には、脱帽します。

わたしはこの仕組みに気づいたとき、本当にすごいなと思いました。

しかも、その仕組みをひとつの物語として破綻なくまとめている、

しかも読んでいてとても面白い、本当にすごい作品だと思っています。

 

ただ、この物語の性質上、どうしても後出しジャンケンのような話になってしまうこと、

しかも後出しジャンケンにも拘わらず

作者が絶対にそれを認めないこと、

さらにこの作品は公平なジャンケンで、

それを理解できないのは読者が悪いと言ってしまったこと、

 

この作者のありえない発言への批判が、作品への批判にまで波及してしまい、

作品の評価を著しく下げてしまいました。

なので、今回は「うみねこのなく頃に」という作品において、

大きな批判のポイントになっているだろうと思われる点、

 

?作品の見せ方の問題

?作者への批判

 

を分けて、それぞれ考えていきたいと思っています。

というわけで、各論に続きます。