日テレドラマ「ゆとりですがなにか」の視聴率が下がっているみたいです。その件について、思ったことです。
「ゆとりですがなにか」の視聴率ですが、今のところ
第一話 9.4%
第二話 8.9%
第三話 7.1%
という風に推移しています。
主は、このドラマはすごく面白いと思いますし、
最近みたドラマの中では、群を抜いたできだと思います。
ただ、視聴率が下がっていることについてはさほど意外には思いません。
「ゆとりですがなにか」は、見ているとすごく疲れます。
何故かというと、現実の自分の悩みや環境とのシンクロ率が半端ないからです。
しかもひとつのテーマにしぼられているわけではなく、
20代の人間が誰もが一度は考えることが、すべて網羅されています。
まったくの他人事として見れる人は、
50代以上の人(推定)ではないでしょうか??
そういう人は、このドラマに最初から興味を持たないだろうという、
パラドックスに陥っているのだと思います。
自分が悩むこと、コンプレックスに思うこと、考えていることの
ひとつひとつが的確にリアルに、しかもやや誇張されて描かれているので、
日曜の夜にこのドラマを見るのは、けっこう根性がいると思います。
ネットで見た意見では、
「20代の男性をメインターゲットにしているのだろうが、
その世代を「ゆとり」とバカにしているので、誰も見ない」
という風なことが書かれていました。
主はこのドラマは、「ゆとり世代」の人を馬鹿にしているとは思いません。
話題作りじょう、「ゆとり」というキーワードを使っているだけで、
20代なら誰もが通る道に寄り添って、温かく見守っているドラマだと思います。
そして、ネットにこの意見を書いた人も、
自分が本当に感じていることを的確に表現できないだけで、
おそらく本当に「バカにしている」と感じているわけではない、と思います。
寄り添われて、温かく見守られていたとしても、
20代のときに通る道というのは、
通っている本人にとっては、けっこうきついのだと思います。
「何者でもないから、何者かにならなかければならない。
十代のときとは違い、自分からも他人(=社会)からも、
お前は何者なんだと、絶えず問われ続ける年代」
20代とは、そんな世代です。
自分と他人との差が否応なく見えてくる、
社会に出て、自分が何もできない、
たいしたことのない人間であることを思い知らされる
それでいながら、早く役に立つ人間になることを求められる。
真剣に先のことまで考えて生きようとすればするほど、
けっこうきつい年代だと思います。
(もともとの能力がとびぬけて高いか、
先のことをそれほど考えなければ、楽しい年代だと思いますが。)
「ゆとりですがなにか」は、そういう
「自分は何者なのか。そもそもこの社会で、自分は何者かになれるのか」
という普段は感じないようにしている悩みに、潜在的に悩んでいる自分の姿を、
あまりにはっきりと映し出してしまっているのだと思います。
主は、主人公の正和たちとは違う世代なので、
「ああ、こういうこともあるよなあ」
という気持ちで見られます。
抜け出したトンネルを振り返っているので、
それが世界を覆う暗闇ではなく、
いつかは抜け出せるトンネルにすぎない、ということが分かっているからです。
たぶん、同じ世代だったら、
見るのが辛くなって、見なくなっていたと思います。
それほど、
このドラマが潜在的に秘めている破壊力は大きいと思います。
それでも、このドラマを主人公たちと同じ二十代の人に見て欲しいなあと思います。
みんな同じなんです。
みんな、「自分は何者でもないかもしれない」という不安に耐えながら、
それでも、自分なりに精一杯、できることをやりながら生きているんです。
それができるだけで、十分立派だとわたしは思います。
そうやって生きることが、
「誰かにとっての何者」かになることなんだと思います。
正和が取引先の人にとって、信頼できる営業さんであるように。
やまじーが四年二組の生徒にとって、いい先生であるように。
主が下村さんだったらやまじーのことを、
大人になってもずっと覚えていると思います。
たぶん、この世の中では、誰もそんなことを言ってくれないから、
このドラマを見て、そう思ってくれるといいなあと思いました。
本当に、クドカンはすごいなと思います。
視聴率がどうこう言っておいていまさらなんですが、
主も録画組なので、視聴率は気にしないで見ようと思います。(^◇^)