*ネタバレあり。注意してください。
前回。140周め。
残すのはセツの項目を除けばレムナンの二項目のみになったが、常に仲の悪い人枠だったのが祟ったのか、何度プレイしていもイベントが起こらない。ようやく起こったときは「うおおおっ」と一人で叫んでしまった。
エンディングの組み合わせで「グノーシア」の真髄を知る。
「絡みはあったが、そこまで仲が良かったか?」と思う意外な組み合せが多く、最初は「なぜこいつとこいつが?」と不思議だった。
価値観や生き方が真逆の組み合わせだと気付いたとき、このゲームの奥ゆきにうなった。
嘘をつくのが苦手なジナと嘘つきなSQ。
粘菌と共生しなければならなかったコメットと猫と共生していくことを選んだシピ。
優秀であることがすべてであるラキオと、人として価値を認められていなかったレムナン。
「せめて外見だけでも人でありたかった」誰よりも人らしかったオトメと、外見は人でも元々は人形だったククルシカ。
千年も一緒にいてまったく分かり合えず、それでも最後まで一緒にいたジョナスとステラ。
真反対のキャラクターたちの関係がループするたびに進展していく様子は「覚えていないだけで、彼らも一緒にループしていたからでは?」と思う。
「存在を忘れられるなんて、いかにもレムナンらしい」と言っていたラキオが、生き残ったループで言い合いをし、マナン人格のSQに怯えるレムナンを気にかける。そんなラキオを「本当は優しい」とレムナンが気づく。
SQのことを知らないジナが、SQの体を乗っ取ったマナンに毒舌を浴びせ、SQに会ってみたいと思うのはSQと過ごした時間を覚えているからでは、と思わせる。
「グノーシア」は設定や展開だけを聞くとありがちなものが多い。
ステラが制御システムの擬知体だった、ククルシカが人形だった、オトメが人間になりたいと思っている、沙明もラキオもレムナンも表向きどう見えるかの違いはあれど全員優しいとわかる、など「お約束」の展開が多い。
しかしそんな使い古された設定もお話のための出来レース感がなく気持ちが揺さぶられるのは、自分がそのキャラと関係を築いてきたという確かな手ごたえがあるからだ。
例えばコメットとグノーシアサイドで生き残り、「宇宙船を乗っ取って一緒に冒険に行こう」というイベントだ。
「『好きだよ』が嘘なのは、『大好きだから』」というメチャクチャベタな流れだ。
今までさんざん嘘をつくのが下手なコメットの嘘を見抜いてきた経験があるから、「好きだよ」が嘘であることを「見抜いた」と錯覚させられ一瞬ガックリきてしまう。だからそのあとの「大好きだよ」が「お約束」ではなく「不意打ち」に感じられるのだ。(このイベントを正規ルートでシピに乗っ取られて、エンディングで二人は一緒になったんだろうな…。最後のコメットの「大好きだよ」の笑顔は心に保管されているのでいいんだけど…。)
エンディングでセツがLeViに格納庫を開けてくれるように頼むときのやり取りも、それ自体はありがちな流れだ。
ループしてステラの苦悩や葛藤を見て「幸せになりたい」というステラの願いを聞き、ずっとステラと過ごしてきたから、「私をステラと呼ぶんですね」というひと言に万感の思いがこもっていることがわかり、涙が出てくる。
「グノーシア」の最もすごい点は、「面白いけれど仲間外れゲームのような陰湿さがある」という「人狼」のイメージを覆し、「人を深く知れるコミュニケーション手段」として見せ、その本当の魅力がどこにあるのかを教えてくれたところだ。
最初のうちは五里霧中で疑心暗鬼のなか、胃が痛くなるようなの雰囲気だったが、徐々にどのキャラがどの場面でどういうふるまいをするかわかるようになり、そこから「こう見えていた人間が本当はこういう人だ」ということが説明されなくても「わかる」ようになる。
最初は「胡散臭い」「苦手」「何を考えているかわからない」「気が合わなさそう」と思っていた人が、知れば知るほど「こんな人だったのか」と思える。
そしてまたどれほど一緒にいようがまったく分かり合えないジョナスとステラもいる。
価値観が真逆に見えても人は分かり合えることがあるし、一緒にいたいと思うことはある。逆にまったく分かり合えず一緒にいたいと特に思えなくても、何となくずっと一緒にいることもある。
「人が人と共に生きていく」というのはどういうことなのか、というのは余りに難しくよくわからないけれど、「グノーシア」をプレイして、もしかしてこういうことなんじゃないかと思う。
そういう「人と生きていくことの楽しさや尊さ」を感じさせてくれる話だった。
エンディング後の雑感や疑問
ジョナスはなぜコメットのポッドを開けたのか
結局うやむやにされたままだった。粘菌をコレクションにしたかったからでいいのか。
ククルシカとマナンの関係
ジョナスが若いときに会ったアーリャがククルシカ(マナン)で、それをモデルに作られたのがククルシカ(人形)、ということかな。
オトメはマナン人格に気づいているのか
心音が聞けるから、マナン人格の邪悪さに気づいていないとは思えないので、気づいているけれど大して気にしていないのではと思う。
「レムナンやSQにとっては悪魔でも、オトメにとっては気の合う人」という「人は見る人によっても違う」という面があるのも面白い。
健気で可愛くて、でもブラックなジョークに爆笑する守備範囲の広さ。
二回目にオトメのバグエンドを見て気づいたのだけれど、「ステラさんやククルシカさんのようにせめて外見だけでも人間に」と言っているので、オトメはステラやククルシカが人間ではないことに気づいていた、と気づいた。
SQ→レムナンの協力の断り方が乗員(SQ)のときとグノーシア(マナン)のときでは違うことが、ゲームのヒントにもストーリーの伏線にもなっていて、しかも「SQとマナンは違う」という設定の下支えにもなっている、とひとつのことが他の箇所すべてに行き届いている。
色々なことに気づけば気づくほど「あー!」となる。すごい。
キャラクターやイベント・女性編
恋愛選択肢が出るのはジナとステラだけだけど、SQとコメットも恋愛っぽい雰囲気になるのでまあ満足。
ジナは真エンディングで株が爆上がりした。元々真面目で大人しそうに見えてかなり毒舌だな、とは思っていたが(「協力しよう」を断るときの、「嫌、かな」は刺さる)マナンに「お前がいなくなっても誰も困らない(意訳)」と言ったときのカッコよさにしびれた。
夕里子がしげみちに協力を要請したときの「お前は幸せな奴隷」→「相棒って呼んでいいか」の噛み合わないくだりが滅茶苦茶好きなので、この二人の絡みがあるイベントが見たかった。
キャラクターやイベント・男性編
沙明とレムナンは一見真逆に見えて、「表層上の態度でわかりにくいが本当は優しい」という自分の中で同じカテゴライズだ。「主人公に対してデレる」のではなく、他のキャラに対する対応やイベントで「元々の性格が優しいとわかる」ところが良かった。
表面上のキャラクター性が好みが分かれそうなところも良かった。
ギャップ萌えと言っても「ぶっきらぼう」などカッコよさを崩さない方向性のものが多いなか、「小者臭が漂う」と「挙動不審な陰キャ」で恋愛イベントも微妙にキモいところがいい。
レムナンはグノーシア化したときのはっちゃけぶりを見ると先行きが楽しみ不安だ。ラキオがいるから大丈夫かな?
キャラクターやイベント・汎性編
ラキオは最後まで「行動だけを見るとすごくいい人だが、言い方は徹頭徹尾嫌な奴」でよかった。ダクソⅢのイーゴンと同じで、究極のツンデレだ。
「ラキオの話はラキオ語から標準語に翻訳して聞く」と交流しやすそうだ。ここまで極端でなくとも、どんな人との会話でもそういう面はある。
オトメは沙明の言葉は心音を聞き取って真意がわかったのに、ラキオの言葉にはへこんでいたのは、心(音)は絶賛そのものでも言葉の内容に傷つくこともあるといういい例だと思う。
スキルについて
便利な上に面白い「うやむやにする」がダントツで好きだった。特にジョナスのバージョンが好き。
できれば全員のバージョンが見たかった。セツやジナはまったくうやむやにできなさそうだな。
「絶対に敵だ」の「どーーーーん」感も好きだ。(特にオトメ)初見は「ロジック」を捨てていたので使えなかったが、二回めは自分でも使いたい。
キャラクター・イベント総評
全員好きで選べない。
強いてあげるなら、一番好きなのはオトメ。バグイベントの健気さにやられた。グノーシアだとわかっても、オトメに嫌われたくない一心で夜会いに行ったりしていた。
他人とは思えない謎のシンパシーを感じるのはジョナスとラキオ。
恐らくそのせいだと思うけれど、この二人は投票してもまったく心が痛まない。むしろ「疑ったら投票するのが礼儀」くらいに思っている。
好きなイベントも選ぶのが難しいが、一番は真エンドまで含めたSQのイベント(ジナの「私もその人に会ってみたい…(ニコッ)」がもう…)。
二番めはオトメとの絡みから沙明の生い立ちが判明するイベント。沙明は主人公との恋愛イベントよりも、「オトメを一番に消してあげたい」のほうが恋愛イベントっぽく見える。
同率2位がジョナスとしげみちのゲーマー対決。腹抱えて笑った。
絶対に誰か黒幕的な人間がいるだろう、と思っていたが、終わってみればみんなそれぞれに事情を抱えた心根の優しい人たちだった。それが一番意外だった。
ククルシカ=マナンも、オトメとは気が合うという別の面を見せてくれた。
疑い嘘をつき陥れ合った記憶さえ、その人を知るためのものだったと思えて、全キャラが好きになりこの先の幸福を願いたくなる。
みんなお疲れさまでした。
見逃しているイベントがまだあるようなので、二周めも頑張ろう。