うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」を十話まで見て面白かったので、その感想を書きたい。

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「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」を十話まで見たが、とても面白かった。

とりあえず今の段階の感想を書きたい

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一期二期すべてみたうえでの感想及び総評はコチラ↓

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ガンダムが前面に押し出されていないストーリー

ガンダムについてそんなに詳しいわけではないんだけれど、ガンダムっぽくない物語だなと思った。(後の展開は分からないけれど。)

ガンダムは味方には安心感を、敵には畏怖を与える強力な兵器として物語の中で登場することが多いが、「鉄血のオルフェンズ」では、それほど強力な兵器ではなく、「変革の象徴」として扱われている。しかも歴史の中に埋もれていた、知る人ぞ知る象徴で、非常に控えめな扱われ方だ。

「ガンダム」という強いイメージが前面に出ていないから、ガンダムの旧来のシリーズにはほとんど触れていない人間でもすんなり入りこめると思う。

 

「大人」が不在の疑似家族

物語開始当初の「大人の不在」と「子供の不在」

「鉄血のオルフェンズ」には、物語開始当初「大人」が出てこない。

「大人」というのは、「大人としての機能を持っている存在」ということだ。

「大人としての機能」というのは、いい意味でも悪い意味でも「子供を子供として扱うこと」と言っていい。

「子供だから守らなきゃいけない。色々なことを教えてあげる。好き勝手やらせても、最後の最後まで止められるように見守ってあげる。反抗しても受け止めてあげる」

これが「大人の機能」の良い面。

もちろん悪い面もあり「子供なんだから言うことを聞け」と抑圧したり、「子供は何も分からない存在」と不当に扱ったりする。

悪い面は単体では悪い面なんだけれど、そういう「嫌な大人」は反面教師になったり、倒すべき敵になったり、乗り越えるべき壁になったり、悪い方向とはいえ「大人として機能」する。

 

「鉄血のオルフェンズ」は子供たちが主人公だが、物語開始当初彼らの周りにいる大人は全員「大人としての機能」が欠落している。

CGSの社長や社員たちは彼らを虐げているが、彼らを「子供」としては見ていない。「子供だから扱いやすい」という発想ではなく、そもそも彼らを「道具」としてしか見ていない。

オルガが「あいつらはオレたちをネズミくらいにしか思っていない」と言ったように。

三日月たちにとってCGSの面々は「反抗し倒すべき悪い大人」ですらない。

CGSの中では唯一、三日月たちに好意的な雪之丞も「大人としての機能」(彼らを導いたり、保護したりする機能)はほとんど持っていない。対等な仲間、という側面のほうがずっと強い。

 

クーデリアの両親も、「大人としての機能」をまったく持たない存在として描かれる。クーデリアを守ったり導いたりすることもできないし、逆に対立することすらできない。父親、母親でありながら、「親としての機能」は完全に失った存在として描かれている。

 

この「大人の不在」の問題点は、大人という存在に対する相対的なものとしてしか存在できない「子供」という概念がなくなる。

だから物語開始当初の三日月たちは、子供らしさがほとんどない。自分たちを虐げる「大人」に対する怒りもないし、理不尽な環境に対する嘆きもない。自分たちの環境をそのまま受け入れ、その中でどう生きるかだけを考えている。

現在の苛酷な環境への諦めの念と、「ただ生きる」という目標への行動の先鋭化が恐ろしいほどリアルだ。

「そうか、大人が不在だと子供ってこうなるんだ」

 「子供の概念」を持たなかった三日月たちは、大人のようでありながら大人でもない。

この「大人の不在」からくる「子供の不在」に息苦しさを感じる。

 

大人不在時の疑似家長・オルガ

それは恐らく「大人不在時」にリーダーであるオルガが背負わなくてはならなかった、責任からの息苦しさと重なる。

鉄華団には「大人」がいないがゆえに、リーダーであるオルガは、子供でありながら、自分で自分の責任を持つ「大人」すら飛び越えて、自分以外の家族を守らなければならない「父親」にならなければならなかった。

 

「大人の機能を持つ存在」と出会うまで、オルガはほとんど弱み(子供らしさ)を見せない。常に冷静であり、「三日月の目に映る自分は、カッコいいオルガでいなければならない」「仲間を守らなければならない」と気を張り続けていた。

それは家族に対する父親の機能、そのままだ。

オルガは誰にも弱みを見せず、強いリーダー・父親であり続けた。

 

「大人」である名瀬、マクマードの登場

そんな鉄華団の前に、ようやくまともな「大人としての機能を持つ存在」名瀬が表れる。

「大人」が機能し出したことによって、オルガや三日月たちは「子供」として存在することができるようになる。

名瀬に出会ったあとのオルガは急激に弱いところを見せだす。やっと「年相応の子供になれる場所」を得られたのだ。

名瀬にデコピンされたり、「青臭い」と言われたり、ゲ〇を吐くまで酔っぱらったり、そんなオルガの姿を見て、ああよかったとホッとする。あのまま「いつもカッコいいオルガ」のままでいたら、どこかでつぶれていたのではないか、と思う。

こういう「子供時代」を経て、はじめて家族を守れる大人になれる。だからあのタイミングでオルガが、「鉄華団は、仲間以上の家族だ。だから離れちゃいけない」と宣言する。そういう物語展開が上手いなあと思う。

 

キャラクターが魅力的

「鉄血のオルフェンズ」のキャラクターデザインは割と癖があって、自分の好みではない。どちらかというとリアルな絵柄のほうが好きだ。

前評判を聞いていなければ見なかったと思う。

 

だが開始10分くらいで、絵柄がほとんど気にならなくなった。

登場人物は端役に至るまで魅力的だ。

特にオルガの恰好良さは異常だ。

カリスマのあるキャラというのは、「その人になぜ皆が付き従うか」ということを見ている人間にも納得させなければならない、造形が難しいキャラクターのひとつだと思う。(失敗している場合も多い。)

この点、オルガというキャラクターは見れば見るほど、なぜ皆が彼をリーダーと仰ぐのかということに納得する。頭脳も人間性も一級だが、「大人」が登場したあとの弱さもいい。頼りになるのはもちろんのこと、支えたくなるリーダー像だ。

だから主人公である三日月のほうがオルガに心酔している(ほぼ同年齢なのに、三日月の疑似父親として機能している)という設定も、違和感なく受け入れられる。

 

また鉄華団は大所帯でたくさんのメンバーが出てくるが、どのキャラもきちんと立っている。モブのようなキャラがほとんどいない。

女性キャラクターもいい。アトラは外見も性格も文句なく可愛い。

クーデリアはその立場上、常に葛藤し、悩み苦しんでいるが、そういうものを自分自身の問題として受け入れる強さがある。

普通、性格のいいキャラクターって差別化が難しいし、余り面白味のあるキャラにならないのだが、アトラとクーデリアは二人とも負けず劣らず性格がいいのに、きっちり差別化されて魅力的に描かれている。

 

価値観をギリギリまで断罪する。

「鉄血のオルフェンズ」では、ひとつの価値観に対する描写の突き詰めかたがギリギリまで描かれている。

 

敵方の「大人」だったクランクの価値観の追いつめかたはすごかった。

クランクは「大人」として、三日月たちがなるべく犠牲にならないように、そして三日月たち「子供」を殺したという汚名を部下に着せないために、一対一の決闘を申し込む。

しかしその「大人」としての思いは三日月に一顧だにされず、その気持ちを一滴もくみ取られることなくあっさりと殺される。

 敵の理屈はそれがどんなに温かいものであれ受け付けず、「強さ」と「仲間」にしか寄って立つことはない、という三日月の価値観を見る人が受け入れられるかどうかギリギリのラインまで描写する。

 

ここまでやるか、と思うと同時に、ここまで描ききるところがこの物語の凄みだ、と思う。クランクの死にざまは、「この描写を受け入れない人は見なくてもいい」という、製作陣の思いが伝わってきた。

 

見ていない人はぜひ一緒に見て欲しい、と思える。しかし…。

まだ見ていないかたには、この機会にぜひ見て欲しいなと思う。

しかし…、ひとつ不安な点が。

 

感想を見た限りだと、二期の評判がよくない。

一期はおおむね好評のようなのだが、二期は一期の感想ではほとんど目にしない酷評も目につく。

もちろん感想は人それぞれで、多くの人が酷評していても、自分にとっては面白いと思えることもある。

ただ既に今までにない種類の面白い物語だ、と思っているだけに、急激にグダグダになったらどうしよう…という不安がぬぐえない。

 

 面白いままでいてくれることを願いつつ、今後も楽しく視聴しようと思う。

 

続き:一期を全部見たあとの感想

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