うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

子供の「何で勉強しなきゃいけないの?」という問いに、何て答える??

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先日、仕事関係の知り合い(以下Aさんとします。)から聞いた話です。

 

Aさんには中学三年生になる息子がいます。

以前から、「この前、塾をさぼったんだよね~~」という話や「別れたあとも、ずっと好きだった元カノとよりを戻した」などと息子の話を聞いていました。

 

この間、久しぶりに会ったので、

「そういえば〇〇(息子)くん、最近どうしていますか?」と聞いたら、

「この前、塾をやめちゃったんだよね~~」

という返答。

えっ??? 中三の夏のこの時期に????(゚д゚)!

という思いが、あからさまに顏に出てしまったのでしょう。

「この時期に?? って思うよね~~」

と、Aさんも苦笑いしていました。

 

「でももう、中学三年生だからさ、小学生のときと違っていくら言ってもいうことを聞かないんだよね」

Aさんが塾に行くように諭すと

「お母さんは中学生のとき、俺よりも勉強したの?? していないよね。それなのに何で俺には、勉強しろって言うの?」

と反論されるそうです。

Aさんはとてもいい方ですが、中学生のころはいわゆる「やんちゃな」感じだったようです。

勉強なんてまったくしなかった、と本人も認めています。

 

「親バカかもしれないけれど、〇〇は私と違って勉強すればできるんだよ。偏差値もそこそこあったんだけど、ずいぶん下がっちゃって」

「周りを見ても、将来、やりたいことがある子はがんばっているんだよね。うちの子は、やりたいこともなりたいものも特にないっていうし」

「何で、勉強しなきゃならないの??って言われるんだよね」

 

ちなみにAさんは再婚しており、〇〇くんは前夫との間の子供です。

現在の夫と〇〇くんの間はうまくいっていますが、Aさんと〇〇くんが毎日ケンカをするため、夫は「最近、家に帰りたくなくなる」ということをAさんに言っているそうです。

夫は、「イヤというものを無理に行かせることはないんじゃないか。どこか公立高校には入学できそうなんだし」という意見で、本人の気持ちを尊重する方向で、というのが、〇〇くんに対する基本スタンスらしいです。

 

そのためAさんもこれ以上「勉強しろ」というのは、自分のエゴなのではないかと悩んでいるそうです。

 

*知人の身の上のため、一部事実を変えている部分がありますが、大筋はこの通りです。

 

この話を聞いたとき、自分に子供がいてこう言われたら、何と答えるだろうと考えました。

自分は、勉強以外で好きなこと(スポーツなど)があって、それに打ち込んでいない限りは高校生までは勉強したほうがいいという意見です。

 

高校生までの勉強は、素振りや基礎体力作りのようなものだと思います。

確かに好きでなければやっていてつまらないと思いますが、それをすることによって自分が興味のある分野に進むときに役立つと思います。

また日本はまだまだ学歴で選別されるケースが多々あるので、学歴はもっておいて損はないと思います。

よっぽどある分野において秀でた才能を持っていて、しかも学生時代から行動している人ならば「学歴は関係ない」と言ってもなるほどと思えますが、「やりたいことがない(分からない)」という人、秀でた才能がない凡人(主もその一人です。)は、とりあえず世の仕組みに乗っておけと思います。

生まれつき天空の剣を持っているのならばいいですが、持っていないのならば「こん棒だせえ」と思っても、素手で戦うよりはマシでは?と思います。

 

ただ……自分が中三のときにこの話をされたら、納得して「うん、わかった。勉強する」というかと言えば、絶対に納得しないと思います。

こういう考えに至ったのは、自分が社会に出て、色々なものを見て、色々なことを経験して、自分自身で身にしみたこと、実感したことだからです。

「自分が経験したことがないこと」の理屈を言われても、まったくピンとこないどころか反発しただけだったと思います。

「社会の仕組みはこういう風にできているんだから、こういう風にしたほうがいい」

そんな風に言われても、

「社会の話をしているんじゃない。自分は、自分自身の話をしているんだ」

そういう強い反発を覚えたでしょう。

 

人は、自分の人生において「失敗する権利」があると思っています。

「親だから」「心配だから」「それが愛情だから」という理由で、その個人の権利を奪っていいのだろうか。

他人であれば「それ見たことか」というような失敗も、温かく見守って、その失敗を受けとめてあげるのが真の愛情なのではないだろうか。

その「失敗する権利」を奪って、「こっちのほうが失敗しないから」という理由で自分の考えを押しつけるほうが、先に言って子供の人生を歪めることにはならないだろうか。

 

ただ一方で、今の日本の社会が一度、レールから外れると自分ののりたいレールにのりにくい社会であることは確かです。

ようやくやりたいことが見つかったのに、それをやるための素地がない。やる気が出たときには、選択の幅が著しく狭まっていた。

他人なら「自己責任だよね」と言えますが、自分の子供に対してそんな風に割り切った考えが抱けるのか。

「やはり、あの時、無理にでもやらせておけば」と思わないだろうか、と考えてしまい、この辺りから思考の無限ループに入ります。

 

自分がAさんの立場だったら、自分の考えは全部どこかへおいておいて、一度、子供が何を考えているのかとことんまで聞いてみると思います。

その子が何を考えているのか、自分でも見えていない本当の気持ちのようなものが、見えてくるんじゃないかなと思います。

ただ、それをするには、子供との信頼関係がきちんと構築できていることが前提条件だと思います。

中学三年生で男の子だと、話せといっても話さないと思いますし、この方法もなかなか難しいとは思います。

まさに厨二病真っ盛りですからね。

うーん、難しい。

 

でもあのころ、まさに真性の厨二でそこそこしか勉強しなかった自分も、「やんちゃ」していて勉強をまったくしていなかったというAさんも、まあまあ何とかなっているから、何とかなるものなのかなと思いつつも、

真性厨二病だったあのころの自分によく似た子供に、

「何で勉強しなくちゃいけないの?」

と聞かれたら、何て答えるだろうと未だに考え続けています。

あなたの子どもはなぜ勉強しないのか―そのアドバイスが子どもをダメにする

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