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うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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「自分が読みたいものが読ませてもらえない」のは、誰のせいなのか??

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先日、いつも愛読している「明晰夢工房」さんのブログで、こんな記事を読んだ。

saavedra.hatenablog.com

 

 記事内で紹介されている記事も読んでみて、色々なことを考えさせられた。

 

以下は、あくまでこれらの記事を読んで、自分が考えたことだ。

誰の主張を代弁するものでも、支持するものでも、否定するものでも、非難するものでもないことを最初にお断りしておく。

それぞれの記事の書き手の主張を知りたい場合は、必ず元の記事を読んで確認していたければと思う。

 

コンテンツの偏りは、誰の責任なのか??

これらの記事を読む前から、自分は、

 

「書きたいものを書いても評価されないから、結局は多数の読者が好むようなものを書くしかない。そのためにコンテンツがひとつのジャンルに偏ったり、似たようなものばかりになっている」

「それは書き手の責任ではなく、そのようなものばかりを評価する読み手の責任ではないか(もしくはサイトのシステムの責任)」

 

という問題を、考えたことがある。

 

コンテンツの偏りによる、多様性の低下、そして多様性が損なわれることによって起こる質の低下は、書き手側ではなく読み手側の問題ではないか??

 

これの問題については、「書き手側の自分」と「読み手側の自分」では、主張がはっきり異なる。

 

誰かの鼻息ひとつで飛びそうなしがないブログの書き手だとしても、書き手側からとして言えば、結論はいつもひとつである。

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(引用元:「バクマン。」大場つぐみ/小畑健 集英社)

 

「バクマン。」の編集長のこのセリフ。

そして「描きたいように描いたものが圧倒的に面白い少年マンガならば、それが採用される」と続く。

 

自分は作品を発表する側が、「自分の作品が認められないことの原因」を自分以外に求めてはいけないと思っている。

なので、書き手側として考えたときは、これ以上言うことはない。

 

ただ一方で、読み手としてはまったく違う意見を持っている。

 

読み手としては、現況に不満と怖さを持っている。

以前、ニコニコ動画で人気実況者のふぅが提起した「マリオメーカー問題」に触れた記事を書いたことがある。

 

「マリオメーカー問題」とは、マリオメーカーというソフトが発売されたとたん、有名実況者がこぞってそのソフトばかりを実況し始めたために、ニコニコ動画のゲーム実況のランキングが「マリオメーカー」一色になってしまった問題だ。

 

 

それの何が問題か。

ふぅは動画の中で、「実況動画を見る人の中には、ランキングしか選択肢がない人がいるんだ」ということを訴えている。

 

ふぅ自身、批判を浴びている人で、その問題については別に記事を書いて語った。 

ただそれとは別に、この「マリオメーカー問題」の主張には、自分も同じような気持を持っている。

 

初めてニコニコ動画で実況動画を見ようという人は、まずはランキングを見て、その中から自分の見たい動画を選ぶのではないだろうか??

もしくは見たいゲーム名を検索して、その上位に表示されたものを見ると思う。

これは別にニコニコ動画だけではなく、どんなコンテンツサイトでもだいたい同じ作りになっていると思う。

 

ネットが登場してから久しく言われていることではあるが、

 

結局、自分たちは見たいものを自由に選んでいるようでいて、すでに何者かによって選別された情報から選ばされているだけにすぎない。

 

全部の情報を開示されていない状態で、向こうから提示された選択肢の中で選んでいる。

「そもそも自分が様々な方法で探さなければ、存在すら知らず、選択肢の中にすら入れられていない情報がある。そしてその情報こそ、自分が最も求めている情報かもしれない」

そのことを、読み手の立場になったときに、もっと強く意識するべきではないかと考えた。

 

 分かっているつもりでも、日常の中では提示されているシステムに慣らされ、流されがちになってしまう。

 

「意識的に求めなければ、存在することすら知らないものが無数にある」

 

そういったことを強く意識して、与えられた方法以外でコンテンツを探すことが大切だと思う。

 

「人気順」「多くの人が目を通している」というのもひとつの選択基準ではあると思う。

しかしそれは、選択基準のひとつに過ぎず、当たり前だが絶対的な基準ではない。

他の多くの人が必要ないと感じていても、自分には必要であると感じるものもこの世にはたくさんある。

 

そういった選択基準をたくさん設けて、選択肢の多様性を保っておくことが、自分は長い目で見たときに、そのサイトの質も高めると思う。

 

せっかくそういった多種多様でニッチなコンテンツも抱えているのに、それを生かせないのは余りにもったいないと思う。

 

はてなブログでは、自分が書き始めたころ、トップページに比較的新しいブログを紹介する枠があったと思う。

あれはあれで選択の意図はあるとは思うが、それでもないよりはあったほうがいい。

実際、このブログも一定期間、あそこに掲載してもらって、ずいぶんたくさん読者登録をしてもらった記憶がある。

今のシステムだと、どうやって新しい興味深いブログを探せばいいのか、途方にくれるときがある。

 

「目につくのは、もう知っているものばかりで、最近、新しく購読したいと思えるブログが見つからない」

 

そう漠然と不満に思っていたが、自分自身が提示された選択肢以外で探してみようという努力が欠けていた。

 

「全ての情報が見られない」

それは昔から同じである。

「情報というものは、誰かが意図的に選んだもののみが流されているにすぎない」それは、実はネットがあろうがあるまいが同じなのだ。

しかし、ネットの誕生により、あたかも「自分はどんな情報でも触れることができる」と、時に錯覚しそうになる。

ネットが、余りに便利だからだ。

 

「まったく選別しない」ことが不可能だとしても、それでも選択基準は多く、選択肢が多いほうがいい。

繰り返すが自分はそれがサイト管理者にとっても、長い目で見れば利益になると思っている。

 

読み手としての自分は、多数決で決められた選択肢のみを見て、「それで自分は手に入れたいと思った内容をいつでも自由に見ている」「自分にとってこれ以上のものは存在しない」と思わないようにしたい。

ついそう思ってしまいそうになることに、自分自身、危機感と恐怖を持っている。

常に差し出された選択肢以外にも選択肢が存在することを念頭におき、自分が求めるものを探す努力を怠らないようにしなければと思った。

 

そうするためには、読み手側が差し出された選択肢に常に懐疑と監視の目を向け、多様性を求め続けることが大事なのだ、と改めて考えた。

 

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ふぅが前言をひるがえして「有料ちゃんねる」を開設したことに対する見解を語っています。

 

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