うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「うみねこのなく頃に」が、なぜ批判されたのかを考えてみた。各論

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*漫画版を読んだ感想です。原作のゲーム、アニメ等は見ていません。

「ネタバレ」しています。「ひぐらしのなく頃に」のネタバレも含まれています。

注意してください。

 

概論からの続きです。

概論であげた批判の二つのポイント

 

?作品の見せ方の問題

?作者への批判

 

を、考えていきたいと思います。

 

うみねこのなく頃に」という物語の真の目的は、

「どういうルールに基づいて、この物語が作られているのか」

ということを読み解くことだというのが、わたしの見解です。

その物語内独自のルールが分かったときに、

この作品が、何を目的として作られているかが分かるという仕組みになっています。

 

ひぐらしのなく頃に」は梨花が気が遠くなるほどループを繰り返しながら、

自分の運命を縛る「ルールXYZ」を探し当てて、それを打破しましたが、

うみねこのなく頃に」は、それを読者がやっているのです。

 

ひぐらしのなく頃に」の梨花と同じで、

うみねこ」の読者は、物語の開始当初は、

うみねこ」の世界に、そもそも自分たちのいる世界とは異なる

「独自のルールがある」という事実すら知りません。

自分たちのいる現実と同じルールに則って動いている世界だと、信じています。

なので、読者はそもそもの物語の目的が分からない(もしくは誤解した)状態で、

物語を読み進めます。

 

エピソードが進むにつれて、ルールのヒントが与えられるので、

それによってじょじょに、この物語の世界の成り立ちが明かされていきます。

この構造自体は、すごくうまいなあと思います。

 

エピソード1のときの読者の状態は、

ひぐらし」の梨花が、ループを一回もしていない状態と一緒です。

「ルールXYZ」の存在はおろか、

それがあるということを、推測する手がかりさえ与えられていない状態です。

「アンフェアだ」、「意味が分からない」という批判は、ごく当然のものだと思います。

ルールが開示されていない状態で、公平なゲームができるはずはありませんから。

 

うみねこ」の最大の問題点は、

「作者が、自分しか知らない物語独自のルールを、何故か読者も知っていて当然と思っており、だからこの物語は、エピソード1の時点から公平な物語だと信じている」

というところだと思います。

ひぐらし」で例えると、梨花がループをしていない一回目から

「ルールXYZ」を打破して、生き残れることができるはずだと考えているということです。

(そんな、馬鹿なと思いますが……。)

 

わたしは「うみねこ」はルールを当てる物語であり、

作者もそのつもりで書いていると思っていたのですが、

作者の発言を読むと、その点に作者はまったく無自覚で、

偶然そうなったみたいです。

 

にわかには信じがたいですが、作者の発言を読むとそうとしか思えません。

なので、読者の「アンフェアだ」「意味が分からない」という批判に対して、

「皆さん、本格推理をよみなれていないのか」

という度肝を抜くような、責任転嫁の発言ができるのだと思います。

 

うみねこ」の各エピソードのトリックは、広義にはすべて叙述トリックを原型としています。

「探偵が見ていないものは、地の文であろうと真偽は保証されない」

という発想自体はいいと思うのですが、

その場合、古戸ヱリカの登場のときのように

 

「探偵とはっきり名乗らせる」

「探偵は見たものの事実を見誤らない→従って、探偵以外は誤認をする可能性がある」

 

という「探偵の定義」をしっかり読者に知らせないと、ゲームとしては著しく不公正です。

エピソード1のときの戦人は探偵とは名乗っていないし、

「探偵の定義」自体曖昧だったからです。

戦人を「探偵」と定義して推理を進めても、後から

「でも、戦人は探偵と名乗っていませんよね?」と

後出しジャンケンをされればおしまいです。

 

ただ、そのように最初から「探偵の定義」をはっきり知らせると、

うみねこ」という物語の面白さは、恐らく大幅に下がると思います。

読者がまったくルールが分からない状態で話が進むことが、「うみねこ」の醍醐味だからです。

うみねこ」という話の面白さは、このアンフェアさを楽しむことにあるからです

 

なぜ、それなのに作者が頑なに

うみねこは本格推理のルールに則って書かれている。それが分からないのは、激辛カレーであることを理解できない読者が悪い」

というのかが理解できないです。

 

うみねこ」の面白さって、

はやしライスだと思って食べたものが今まで食べたこともないような激辛カレーだった、

そこにびっくりしたと思わせるところじゃないの?

そのびっくりした顔を見たくて、この作品を書いたんじゃないの?

 

そうじゃなかったとしても、お店でお金を出して売っといて、

文句を言われたら「お前の味覚がおかしい」って言うなんて、

料理人として最低だと思います。

ベアト風に言うならば、

「どんな料理でも、ぼくの作っている料理なら

おいちいおいちいって言ってくれるママ相手だけに作っていろ」

っていう話ですよ。

 

わたしは「うみねこ」という作品が本当に大好きであり、

このような作品がもっと読んでみたいと思っています。

作者への批判は、尤もなものだとは思います。

でも、できれば作者への批判とは別に、

うみねこ」という作品の面白さはもっと世に広まって欲しいなと思っています。