うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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個人の思いを、「世間」や「常識」で解体して分かった気になることは罪。

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togetter.com

 

このまとめ記事を読んだだけの感想です。

 

誰でも、自分が今まで生きてきた過程の中で、自分独自のフィルターやモノサシを持っていると思います。

他人の話を、自分のフィルターを通してみたり、モノサシで測ったりするのは仕方ない、というかそうするしかないと思うんですよね。

 

問題なのは、「ぜんぜん関係ない場所」を「どこからか借りてきたモノサシではかってその数値を書きとめて」「これ、何センチですよね?」「この長さだと、今まで大変だったでしょう」「いやいや、今のあなたには分からないかもしれないけれど、これがどれほど大変かということは、将来分かりますよ」って勝手に結論づけることです。

「はあ? ふざけんな。こんなもの図る価値ねえ」ってぶっ叩かれるよりも、あるいは傷つくかもしれない。

自分であれば、後者よりも前者のほうが遥かに傷つきます。

 

「本当は相手のことなど分かる気がなくて、自分が言いたいことがあるだけなのに、相手のことを分かったふりをすること」

「分かったふりをするために、「世間」や「常識」などマクロな視点で、個人の事情を解体すること」

「君には分からないだろうけれど、先に行けば分かるよ、などと相手に関係ない場所で結論づけること」

 

自分の言っていることをまったく理解しようとしていないのに、自分とはまったく関係ない理屈で作品を解体して理解したような気になって、自分の投げかけた課題を勝手に結論づけて終わらせようとしている。

これをやられると本当にキツイなと思います。

 

この世で自分しか持たない、変な形のモノサシで測るのはいいと思うんですよ。意見や感想を言うというのは、そういうことだと思うので。

どこからか借りてきた「世間」や「常識」「誰かの知識」などのモノサシで相手を測って分かった気になって、自分自身で相手に相対しようとしないことがどうかな、と思います。

自分が分かりやすい形に手早く物事を切り分けて、多くの人に飲み込みやすい意見に落とし込むために、自分のものではないどデカいモノサシを持ってきて、他人の一挙手一投足を測って解体したくなる誘惑に駆られるときはあります。

どんなに不完全でもあくまで自分として向き合うことが、人や作品に対するときの最低限の誠意だと考えています。難しいと思うことも多々ありますが、この件を反面教師にしたいです。

 

以下余談ですが、自分のモノサシで測った作品の感想です。

その人の幸福はその人にしか分からないので、誰に何と言われようと、自分自身の幸福を追求できた人は幸せだと思います。

「その人がそんな選択に迫られない、そんな立場に陥らない社会にであれば」とは、余り感じません。

この食人された子のようなタイプの人は、前提によって生き方を変えるわけではないような気がします。こういう人たちは「こういう境遇だから、こういう生き方をせざるえなかった」のではなく、たぶんもともとこういう生き方をする人なのだと思います。

 

ただ境遇によって目に見える条件が変わるので、条件や設定によって周りの人は「それは幸福だ」「それは気の毒だ」と自分のモノサシで解釈するだろうけれど、本人の本質的な行動原理みたいなものは、変わらないんじゃないかと思います。

本人は表層的な事象(自分が食人されるとかそういうこと)には余り興味がなくて、自分の決断で自分が望むものを手に入れるということだけにひたすら熱意を傾けているのではないかと。

表層的な部分であれこれ解釈するのではなく、その人が「本当に幸せだった」というのなら、自分の考えはどうあれ、その感覚をまずは認めることが「他者を尊重する」ってことではないかな、と思います。

これを「そんなの幸せなわけないだろ!」って言うのは、それはそれで価値観の押しつけだと自分は感じます。

 

本質的には同じことを言っているのに細部の要素が違くなるだけで、賛成・反対が百八十度変わる例というのは見ていて残念だな、と最近特に思います。

ディティールが「食人」や「孤児の死」のような極端なものになると、特に本質を見失いやすくなります。(そういうことを問いたくて、極端な設定を用いているのだと思いますが。)

結局、語られていることがどうこうではなく、その細部の設定が自分が受け入れられるケースか否かで、物事に対する賛成反対が変わるのかなと。

この作品もそういうことを聞かれている面があると思います。

 

自分がこの物語で大切だと思ったのは、食人一家が「泣きながら」この子を食べた、という点です。

この子が幸せになれたのは、裕福な生活を与えられたからでも、好きな人の役に立てたからでもなく、生まれて初めて自分のことを「この世でたった一人しかいない自分」として認められたからではないでしょうか。

「誰かに、自分を自分と認められる」

ということは、人にとってすごく重要なことだと思います。 

 

 そのことについては、この記事で詳しく書きました。

www.saiusaruzzz.com

  

「自分を自分として認められること」の大切さも埋め込まれているのだとしたら、「その人本人をまったく見ずに、自分が正しいと思うことを語るための材料として、自分自身のものではないモノサシで作品を解体すること」は、二重の意味で罪深いです。

作品で「そういうことをしてはいけないのではないか」と語っていることを、キレイにやらかした感想が返ってきたら、自分だったら絶望の溜息しか出てこないです。

地獄だよ、ほんと。

幸せのものさし/うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)

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