イキリタイトル済みません、新海作品のファンです。(秒で謝る)
2022年11月16日(水)の読売新聞に「すずめの戸締まり」と過去作品について、新海誠のインタビューが掲載されていたのでそれを読んだ感想。
新海誠の作品は、「自分にとってのみの世界の意味」を語っている。
この傾向は「秒速五センチメートル」で最も顕著で、「現実とは異なる法則の、『秒速五センチメートル』の世界で生きている人間から見た世界の姿」が描かれている。
「自分にとっての意味が全てであり、それによって世界の究極的な法則である時間も空間も超えうる」
自分は新海作品のこういうところが凄く好きだ。
若い頃は、自分自身が未知なる他者であり、自分と対話するように物語が進んだ。
(引用元:「オリジナルの道を行く」新海誠/2022年11月16日(水)読売新聞27面掲載)
新海誠の作品は、基本的に「自分」と「世界という概念」しか存在しない。概念としての世界の中で「自分とは何なのか、何者なのか」を、自分にとっての意味を描写しながら考えている。
「新海誠の作品は信仰型恋愛だ」と書いたことがあるが、「信仰型恋愛」とは恋愛のガワを被った自己葛藤である。
「象徴としての神」は存在しても「他者」は存在しない。
だから無視している「他者である世界」にとっては異質であり、疎外する対象になる。
新海誠の作品で好きな点は数多くあるが、ひとつは「自分*1が世界(他者)にとって、気持ち悪い存在であること」に自覚的な点だ。
自己しか存在しない、自己のためならば世界に「雨なんか降らなくていい」(©天気の子)と言う存在は、他人にとっては薄気味悪いし認めがたいだろう。
世界にとっての意味は関係なく、自分にとっては「雨は降らなくていいものなのだ」、それは何故かということを延々と話し続ける。
新海作品はそういうものだった。
ところが「君の名は。」は「うん?」と思うくらい方向性が変わった。
「君の名は。」(2016年)では、彗星の衝突が震災のメタファーだったが、「その感覚が強くは共有されていない」と感じていた。(略)
「今だったらまだ共有できる。三年後なら遅いかもしれない」と語る。
(引用元:「オリジナルの道を行く」新海誠/2022年11月16日(水)読売新聞27面掲載/太字は引用者)
「君の名は。」は、他者と何かを共有することを目指していたと明確に語っている。
「自分と対話するように物語が進んだ」初期の作品とは違い、はっきりと他者が意識され、出てくる作品だと感じたのはそのためだったのか、と思った。
以前、新海作品は原型がありそこから全てが派生していると考えて、その派生のしかたを表にしてみたことがある。
「君の名は。」は既存の新海作品でもかなり原型から外れている。(特に自己葛藤の系譜から)
作品を解体して考える。新海作品の大地は丸く、思考しているのか。 - うさるの厨二病な読書日記
長い間、新海作品は「自己にとっての意味」だけを描いていた。
一秒が一秒の意味しか持たない世界のことなど関係なく、秒速五センチメートルで生きる自分にとって世界がどういうものであるか、そこに何の意味があるのかを一人で考え続けていた。
世界にとってはたかが初恋、気持ち悪いセンチメンタリズムだとしても、自分にとっては神を失い、一人で暗闇を進むに等しい世界を生きているのだ。
そういうことを描く新海誠の世界観が大好きだった。
だから「君の名は。」を観た時は、若干ショックだった。そうか、一秒が一秒の意味しか持たない世界に行くのかと。
秒速五センチメートルの世界や雨が降る東屋の外に出たら、それは自分が好きな新海作品ではないのではないか。
そう思っていたが、インタビューを読んで気持ちが変わった。
「秒速」は思いがけず、狭く深い場所に届いた。「同じような作品を」と望む声があるのは知っているが、自分自身の興味も変わっていく。
(引用元:「オリジナルの道を行く」新海誠/2022年11月16日(水)読売新聞27面掲載)
批判も受けて、作品の意図が届かなかった観客に『次こそは』という気持ちで作ってきた。
(引用元:「オリジナルの道を行く」新海誠/2022年11月16日(水)読売新聞27面掲載)
これを読んだとき、自分のように新海作品が好きだ凄いと思った人間よりも、批判的な感想のほうが作者に大きく作用し、方向性を変えたのかもしれない、と思った。
「自分と違う感性を持つ人」こそ、他者なのだから。
これだけ多くの人に観られている作品なら、批判的な感想は一割以下だとしても膨大な数になるだろう。それを聞いてなお「次こそは」「他者を知りたい」と思えるのは、凄いことだ。
若い頃は、自分自身が未知なる他者であり、自分と対話するように物語が進んだ。年を重ねて自分のことが分かってくると、自分の外側にある他者を真剣に知りたくなった。
(引用元:「オリジナルの道を行く」新海誠/2022年11月16日(水)読売新聞27面掲載/太字は引用者)
貴樹は秒速五センチメートルの世界から脱け出したのだ。それが例え自分にとって不本意なことだとしても、一秒を一秒の意味として受けとめその世界を見るのだ。
そういうことならば、見せてもらおうじゃないか、あの世界を脱け出した人が言う「自分の外側にある他者を真剣に知る」とはどういうことなのかを。世界を他人とどう共有するのかを。*2
そういう気持ちになったので、「すずめの戸締まり」を観に行く方向に心が傾いている。
観てきた。