「ムーンライトシンドローム」の考察記事、第三回です。
前回、第二回「夢題②」はコチラ↓
「奏遇」
この話は、ミトラからミカへのお話しがメインです。
ミトラが言っている
「人間は弱いから超越した存在に救いを求めて、自分たちからコントロールされたがっている」
というのは、「運命」や「神様」というそのままの意味もありますが、恐らくは「社会」「世間」と言ったものを想定しているのだと思います。
このあとの「浮遊」にも関係していくる話ですね。
「あの時から」の「あの時」は、スミオがミトラと契約したときからですかね? これはよくわかりませんでした。
「変嫉」
他の考察記事を読むと、この話の冒頭の金色の粉をミカにまいた妖精がミトラの原型らしいです。
このあと、ミカが赤く染まった光景の中で、チサトに会う夢を見ます。
「夢題」でリョウがスミオとヤヨイに会ったときもそうですが、画面が赤く染まったときは、その人の妄想のような気がします。
このシーンは、実際、ミカの夢であるとすぐに分かります。
妖精の金色の粉の影響か、もしくはミカが家族に対して、もともとこういう思いを抱いていたんですかね。
そのあとのリョウの言葉
「記憶にない、思い出がそうさせている」
というのは、ミカの中で両親に何らかの思いがあり、それが金色の粉によって表に出たとも思えます。
ルミの
「ミカは、甘い」という言葉や
ヤヨイの
「この世界はこういう世界。あなたには分からないだろうけれど」
という言葉は、自分の周りの世界だけを見て、この世界には優しい人だけしかいないということを信じているミカに対する、苛立ちや嫉妬です。
第一回「プロローグ」でも出てきましたが、
「自分の目に見える世界が、本当に真実なのか?」
ということを問いかけているのだと思います。
ムーンライトシンドロームでは、この問いが頻繁に出てきます。
自分の周りの世界だけを見て、世界は優しい人で構成されていると信じているミカに、ルミとヤヨイは世界はそんなものではない、ということを分からせようとします。
いざとなれば誰かが守ってくれる。だって、人は優しいから。
当たり前のようにそんな風に考えて、無防備なミカを、本当に守れるのか?とヤヨイはリョウを挑発します。
「片倫」
この話も、「見る目が変われば、世界(=事実)など簡単に変わる」というテーマの繰り返しです。
「自分が不要な人間である」「否定される自分」という現実を変える(なくす)ために、自分を変えるのではなく、その事実を作り上げている環境である周りを殺す。
周囲の世界(周りの人間の認識)が、自分という存在を規定している。
という発想は、なんとなくエヴァくさいですね。
「僕は僕でいいんだ」
「おめでとう。パチパチパチ」
という伝説の(悪い意味で)あのTV版の最終回を思い出します。
「ムーンライトシンドローム」が発売された1997年は、エヴァンゲリオンブームがまだ続いていた時期なので、ところどころ影響されているのを感じます。
今回は、あまり書くことがなかったなあ……。