うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

自分の血肉となっているゲーム10本を全力で語りたい。

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75年生まれの俺を作ったゲーム10本を全力で紹介する

 

そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。

それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。

 

おっしゃる通り、と合いの手を入れたくなる。

というわけで、自分の血肉になっているゲームを10本選んでみた。選ぶのが大変だったので、選外も設けた。

 

ファイナルファンタジーⅡ(1988/FC/スクウェア)

「何でⅡなんだよ」という話だが、偏愛している。

矛盾や弱さを抱えたキャラクターたち、人がバタバタ死んでいくストーリー、幻想的な音楽の虜だった。

生まれて初めてその世界観に骨の髄まで魅せられてはまり込んだのが、FFⅡだった。

「ファイナルファンタジーⅡ」がこことはまったく違う別世界に連れていってくれるような感覚を与えてくれたから、その後ゲームやファンタジーにのめりこんだのだと思う。

未だにメインテーマを聴くとあのころの興奮を思い出して血が沸き立つ。

色々と言われていた成長システムも、いま考えると自由度が高くて画期的…と言えなくもない。

 

キングオブキングス(1988/FC/ナムコ)

生まれて初めてやったシミュレーションストラテジーゲーム。

「キングオブキングス」のすごかった点は、シンプルでいながら奥深いシステムと絶妙なゲームバランス。システム自体はそれほど難しくなく子供でも理解できるのに、やり方次第でいくらでも多種多様自由な遊び方ができる。シチュエーションを変えるだけで延々と遊び続けられる魅力があった。

ゴブリン、エルフ、ハーピーで三すくみを覚え、いくら強くても食糧がなくなって動けなくなったら役立たず、という補給の大切さを覚え、弱いキャラを一生懸命育てて強くなったときの愛着と喜び、成長途中のユニットを殺される悲しみと世の非情さ、ありとあらゆることを教えてもらった。

大人になってからは世界観に没入したいのでゲームはソロでプレイするほうが好きだが、このときのことを思い出すと友達と対戦するマルチプレイも楽しかった。

 

ファミコン探偵倶楽部(1988/FCD/任天堂)

「消えた後継者」と「後ろに立つ少女」セットで選出。

「ポートピア」も好きだったが、こちらのほうがより好きだった。

ぞくぞくするような不気味さと恐怖、謎解きの面白さがいっぺんに楽しめる贅沢さ。

未だにホラー要素を含むミステリーが好きなのは、「ファミコン探偵倶楽部」の影響じゃないかと思う。

「後ろに立つ少女」のクライマックスは兄ちゃんと二人でプレイしていたが、犯人が判明した瞬間、二人そろって「ひっ!」となったのも懐かしい思い出。

 

ラングリッサー(1991/MD/メサイヤ)

「ファイアーエムブレム」とどちらを選ぶか悩んだが、当時のハマり具合から「ラングリッサー」を選出。

すさまじくハマっていた。

早く続きがやりたくて急いで学校から帰ってきたら、兄ちゃんにテレビを占領されて続きができなかったとき、カバンを壁に投げつけたのを今でも覚えている。(最悪だな)譲ってくれましたよ、いい兄貴だな。

ストーリーの複雑さやキャラクターの多様性は「ファイアーエムブレム」のほうが上だったけれど、うるし原智志のイラストの世界観がすごく好きだった。鎧やクラウンの描き方をよく真似した。

 

バハムート戦記(1991/MD/セガ)

「バハムート戦記」の面白さは、選んだマスターによって戦略が限定されるところにあった。

「メリットや自由さ」を楽しむゲームではなく、「デメリットや不自由さ」を個性として楽しむゲームだ。

クリアするだけなら、クリムトやジークあたりを選べば難なくクリアできる。

なぜあえて魔法も使えない、英雄も雇えない、LPが入ってこない、召喚に適している土地でもない、雇えるのは脳筋兵ばかりのガイラムでプレイするのか。

「ゲームに勝利すること」だけを目的とせず「不自由さや弱さや苦労を楽しんでもいい」という自由さがあり、不自由さや弱さや劣っている者たちにもそこを含めた「キャラとしての面白さ」があった。

ターンごとに起こるイベントの理不尽さも良かった。どれだけ強くなってもこの世界には自分の手でコントロールできないことがある、不条理さがあるところが好きだった。

「ロック鳥襲来!」を引いたときの絶望とか懐かしい。

 

ガイア幻想紀(1993/SFC/クインテット・エニックス)

ストーリー、音楽、世界観、すべてが美しかった珠玉の思い出。

普通の少年が王女さまに出会って、英雄の力を借りて遺跡を巡る夢を追いかけながら冒険をする、そして自分が知らなかった現実を知っていく、という王道ど真ん中のストーリー。

「ガイア幻想紀」はメインストーリーは王道のボーイ・ミーツ・ガールだったけれど、周辺で語られる小さなエピソードに苛酷なものが多かった。

プレイしていたときに一番衝撃を受けたのは「少女が奴隷として売られてきて、何十年もひたすら織物を織り続ける。そして彼女が年老いて死ぬころに、美しい一枚の織物ができてそれが高値で取引される。そういう世界もあるのだ」という奴隷商人の話だ。メインストーリーにもサブイベントにも何も関係がなく、ただの背景として語られる。

もう一度プレイしたかったが、後継機に移植されていない。何でだろう?

 

かまいたちの夜(1994/SFC/チュンソフト)

謎解きの面白さと追い詰められる怖さと不安さ、次々と人が死んでいく恐怖をここまで体感させてくれるゲームはない。

話自体はよくあるクローズド・サークルもののミステリーだし、トリックも大したことはない。

ただクローズド・サークルに取り込まれた恐怖、正常な思考力を失ってしまうリアルさを体感させられる、という小説にはないサウンドノベルの強みを極限まで活かしきったところがすごかった。

話自体は単純でありがちなものでも、演出とシナリオとゲームの特性がここまで奇跡的にかみ合っているゲームはもう出てこないのでは、と思う。

「かまいたちの夜」よりもすごいゲームはあっても、あのデスゲームに突入したときの緊迫感と怖さはもう味わうことはないだろうなと思うと寂しい。

名前入力のときのBGMを聞くと、恐怖でテンションが上がる。

 

ムーンライトシンドローム(1997/PS/ヒューマン)

ゲームどころか、自分が人生で影響を受けたものの五指にも確実に入る「ムーンライトシンドローム」というより「浮誘」。

当時はこの話の何が自分をここまで惹きつけるのかよくわからなかった。

ヤバい奴なのは百も承知で言うと「自分がそれまでの人生で感じていたことを、説明している話だ」と思ったのだと思う。

自分にとっての「浮誘」という話の一番の肝は、「自分には見ることも関与することもできず、理解することもできない、自分が決して届くこともない場所で永遠にグルグル動き続けている謎のシステムに支配されて生きていく恐怖」なのだ、と思う。

中学生たちはいったいなぜ「ダイブ」するのか、なぜそれを「象徴であるリル」すら止められないのか、そもそも「象徴」ってなんだ?など訳がわからないことだらけだが、「浮誘」をずっと見ていると「ああなるほど、だからダイブが始まり終わったのか」と分かる。

分かるし一応説明もできるが、「なぜ、そうなっているのか?」ということにはもう手が届かない。

「ダイブがなせ始まって、何のためにしなければならないのかはよくわからない。でも自分の順番が来たら飛ぶしかない。自分ができることは、自分の番が来る前にダイブという現象が止まってくれることを祈るだけ」

これが自分がずっと感じてきたことで、その説明がつかない感じを「こういうことだろ?」と教えてくれたのが「浮誘」だった。

子供のころは、「このあとの人生はずっと、謎システムに付き合って生きていくのか」と憂鬱で仕方がなかったが、大人になったらだいぶ楽になった。恐らくその謎システムとの自分なりの付き合いかたがわかったからだと思う。

「謎システム」とは何ぞや?というのが、社会と個人の関係とか内在化された何かとか大人になるとまあまあ言語で整理できるようになったのも大きいと思う。

 

「浮誘」は自分がそれまでずっと感じてきて、自分でも感じていたとわからなかったことに共感してくれたストーリーだった。

 

昔は「自分の心が描かれているみたいだ」とノリノリで見ていたけれど、この前久しぶりに見たら、「中学生が同調圧力で飛び降り自殺というのは…ちょっとどうなんだろう…」と思ったので、自分も大人になったんだなあと思った。

話し出すと止まらないのでこの辺で。

 

シャドウタワー(1998/PS/フロム・ソフトウェア)

「あなたのフロムはどこから? 私はシャドウタワーから」

「キングスフィールド」は話題になっているのをたまに見るけれど、「シャドウタワー」は余り見ない。

BGMなしの乾いた暗い世界にいきなり一人で放り出される。コツコツと靴音だけが鳴る世界で、効果音と限られた視界でこの先に何が待ち受けるのかを判断する。

いつ修理できるかわからない武器、いつ補給できるかわからないアイテム、不安と絶望感がすごい。

「人間界 孤独域」などの独特の厨二っぽいネーミングセンス、ショートカットも存在していて、各界が行き来自由の巨大立体迷路になっている点など設計やシステム面ではダークソウルにつながっている部分が多い。NPCが自分のことしか考えていないところもw

アクションゲームとしての爽快感はほぼなく、訳がわからなすぎてストレスがたまる一方だが、そのストレスも含めて自分が理解できない謎の暗い世界を探検するという醍醐味が存分に詰まっている。「塔」なのに上るのではなく、落ちていくところもいい。

「エターナルリング」はまったくハマれなかったので、自分がハマるかハマらないかは世界観が好みかどうかという要素が大きいんだなと確認させてくれたゲーム。

 

スカイリム(2011/PS3/ベセスダ)

大人になってから最もハマったゲーム。

一番ハマっていたときは、ゲームのほうが現実のような感覚になっていた。ヤバい人だ。

「スカイリム」は子供だった自分が妄想していた、「こんなゲームがあったらなあ」という思いそのままのゲームだ。

「スカイリム」の面白さは「自由度」よりも、「自由さ」を支える作りこまれた壮大で緻密な世界観にある。

現実を考えれば個人がどれだけ滅茶苦茶なことをやっても、世界は変質はしても壊れることはない。個人の行動で壊れるものは世界ではない、という自分の思いを受けとめてくれたゲーム。

プレイヤーが滅茶苦茶なプレイをやっても壊れない強固な世界観があるから、ストーリーの方向性に縛りを入れなくても面白いのだと思う。

エルダースクロースシリーズの設定を詳しく解説した動画を見たけれど、アルゴニアンとヒストの設定に感動した。ゲームの設定を超えて、もはや哲学だ。

 

 選外

悩んだ末に入らなかった選外のゲーム。栄養分として摂取されている。

 

ポートピア連続殺人事件(1983/FC/エニックス)

「ポートピア」が面白かったから、「ミシシッピー殺人事件」や「ファミコン探偵倶楽部」も購入したので原点としては外せない。

 

ミシシッピー殺人事件(1986/FC/ジャレコ)

子供のころ、ある地点までループし続けたゲーム。この前、自力攻略動画でエンディングを見て感動した。 

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餓狼伝説スペシャル(1993/ネオジオ/SKE)

猫も杓子も格ゲーをやっていた時代、いくらプレイしてもちっともうまくならず面白さもわからなかった。

ガロスペをあげたのは、ギース・ハワードというキャラを教えてくれたという一点に尽きる。

自分の悪の哲学を言葉でなく強さのみで語る。理由も背景もなく、ただ強くただ悪である存在そのもののカッコよさにしびれた。

若ギースも好きだが、やはりギースと言えば金髪オールバックで袴をはいた古武道の達人のおっさんマフィアだ。

 

ファイアーエムブレム 聖戦の系譜(1996/SFC/任天堂)

OPからEDまでを通してなら、自分が人生で一番プレイしたゲーム。

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ファイナルファンタジータクティクス(1997/PS/スクウェア)

これもくり返しプレイした。未だに何記事も書いている。

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大元の「伝説のオウガバトル」はカオスフレームの管理がまったくできず挫折したが、今プレイしたらハマるかもしれない。

 

街~運命の交差点~(1998/SS/チュンソフト)

「かまいたちの夜」とどちらを入れるか最後まで悩んだ。

「誰かにとってのちょっとしたことが、誰かにとっては運命の分岐点になる」「まったく関係のない人生が交わって世界はできている」

というこのゲームの発想そのものがすごく好き。

「世界の成り立ちの美しさ」をそのまま切り取ったようなゲーム。

 

ワンダと巨像(2005/PS2/ソニー)

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 「PS4」版のジャケは巨像が後ろを向いている。

「ワンダと巨像」において巨像は後ろを向いていなければならない、とこれを見たとき思った。

こういうところも含めて自分の中では神ストーリーだ。

 

ダークソウル(2011/PS3/フロム・ソフトウェア)

表面の西洋的な世界の奥底に、東洋の一元的世界観が眠っているという余りに独創的な世界。「Ⅳ」は出ないのか…。

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「ダクソの世界に生まれたかったなあ」←こういうのはリアル厨二のときに卒業したはずなんだが。

 

血肉になるほど影響されるゲームは、子供のときに出会ったゲームが多い。

「ソウルシリーズ」は子供のときにプレイしていたら確実に十本の中に入っていた。人生のどの時点で出会うかも含めて縁だなあと思う。