個人ブログに何を求めるか、というのは人それぞれだと思う。
ひと口に「ブログ」と言っても内容も色々だし。
自分は、個人ブログに何を求めているか。
その人が本当に思っていることを聞きたい。
無茶苦茶でも自己中心的でも一方的でも偏っていても、何でもいい。
その人が「本当に」そう思っているのならば。
表面的な礼儀正しい言葉ならば、現実でいくらでも聞ける。
正確な情報や公平な意見ならば、それを仕事でやっている人や組織には恐らく敵わない。情報量が圧倒的に違う。(だからと言って正しいとは限らないが、それはまた別の話。)
あらすじだけちゃらっと書いてあるような本や漫画の紹介、どこからも異論がこないような当たり障りのない意見、「みんなが幸せでありますように」のようななぼんやりとした優しい言葉、それもまあいいとは思う。そういうものを求めている人もきっといるのだろうし、そこは人それぞれだと思う。
でも自分は、その人生を歩んできた、その人にしか叫べないような言葉、滅茶苦茶な偏った、人から見たら「えっ?」と思うような言葉、そういうものを求めてブログを読んでいる。
「これはすごい! 誰が何と言おうとすごい!」
「同意しかない!」
「ふざけんな! それは間違っている!」
思わずそう言いたくなるものを求めている。
「こんなことを言ったら引かれるんじゃないか」
「こんなことを言ったら変に思われるんじゃないか」
「こんなことは誰も興味を持たないんじゃないか」
そう思って、決して現実では表に出さない、たぶん一生音声化しないだろう言葉、礼儀正しい笑顔や無表情な仮面の裏で一体何を考えているのか、それを知りたい。
一度話し出したら止まらない、くそ長ったらしい特定の作品に対する偏愛や批判、世の中に対する疑問、特定の物事に対する強い主張、今まで生きてきたなかで背負ってきたものに対する思い、そういうものが聞きたい。
正しくなくてもいい。
一方的でもいい。
礼儀正しくなくてもいい。
その言葉の激しさや偏りや尖り具合や醜さが、きっとその人がどれだけそれに囚われているのかということを表しているかと思うから。
暴言は許せないけれど、ギリギリ煮詰まった叫びが何かに対する暴言になってしまうことはある、と心のどこかで認めてしまっている。リアルでそれを歯を食いしばって耐えているならば、ネットで目についてしまうのは仕方ないのではないか、と心のどこかでそう思っている。
内向し続けて、すさまじく尖りきった鋭利なナイフのような思考、煮詰まりすぎてドロドロに腐ったような感情、一歩間違えば読む人間も傷つくような、そんなものを読んでみたい。
そういうものを生み出すものに、強く心惹かれる。
そして、それに対して思うことがあれば、「自分はこう思っている」と書きたい。
「そういうこともあるんですね」「いやあ、自分にはよく分からないですね」「まあ、好みは人それぞれですよね」
こういう言葉を言いたくなるものが悪いわけではない。
でも自分はリアルでそういう言葉を余りに言いすぎたと感じているし、これからも言わなくてはならないだろうから。
10記事読んでひとつでも、自分の血がわきたって脳みそが沸騰するような記事を読めたら、残りの9記事が読んだ5分後には忘れてしまうようなものだったとしても、「やっぱりブログはすごい。ネット最高!」と心の底から思える。
そういうものを求めてネットを徘徊している。
- 作者: テッド・チャン,公手成幸,浅倉久志,古沢嘉通,嶋田洋一
- 出版社/メーカー: 早川書房
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