面白く見ごたえがある物語だった。
Amazonプライムビデオで見ていたアニメ「無限のリヴァイアス」全26話を見終えた。
とても面白く、見ごたえがあるアニメだった。
「独断と偏見による、こんな人におススメ」
・人間の心理を扱った暗い展開が好きな人。
・群像劇が好きな人
・キャラがどうこうというよりも、面白い物語が見たい人。
・女子の恐ろしさを見たい人
「こういう物語ではないので注意」
・ロボットアニメではない。
・主人公の無双は皆無(むしろ、何もしない。殴られてばっかりいる。)
・ハーレムものじゃない。
ネタバレ感想
不安感と緊迫感がずっと続く。
一番よかったのはこれ。
「無限のリヴァイアス」は物語が開始した当初は謎が非常に多く、初期の時点では視聴者にもほとんど情報が与えられない。色々な事象が起こるのに、主人たちや視聴者には「なぜそれが起こるのか」が分からないため、非常に不安な気持ちになる。
「誰が何のためにリーベデルタを襲ったのか」
「リーベデルタの中に隠されていたリヴァイアスとは何なのか」
「なぜ、救助を求めても助けてもらえないのか」
「なぜ、子供しか乗っていないのに攻撃されるのか」
「一体、外の状況はどうなっているのか」
そういうことがまったく分からないまま、判断し、行動を決断しなければならない。そういう理不尽な状況に対する不安や恐怖、苛立ちを視聴者も一緒に感じることができる。
これが物語がどこに向かうか分からないスリルとつながっている。
特にブルーの故郷であるハイペリオンが破壊されたときの絶望はすさまじい。
大勢の人が居住するハイペリオンを破壊してでも手に入れなければならないリヴァイアスとは何なのか。そしてそこまでして救助されることを拒否されているのに助かることができるのか、物語の緊迫感が非常に高まるし、この緊迫感が最後まで続いたところがこの物語のすごい点だと思う。
「状況が分からない登場人物と視点を一体化させることで、恐怖をあおる」というのは、ホラーやミステリーではよく取られる手法だけれど、これをSFで、アニメでやってここまで成功したというのはすごい。
現代以降の時代でこれをやろうとすると、通信機器の問題などで閉鎖空間を作ること自体が難しいのだけれど、その辺りも違和感を感じることがなく見れた。
個性的なキャラが豊富な群像劇
「群像劇」の失敗例として、キャラクターが立っているのはせいぜい主要登場人物7~8人程度であとは見分けがつかない、ということが多いけれど、リヴァイアスは端役に至るまでキャラの描き分けができている。
チームブルーの構成員やツヴァイの面々も、一人一人のキャラがきちんと立っている。
また群像劇なのに、主人公の特別感が悪目立ちしているなどの失敗例もあるが、リヴァイアスでは主人公はほとんど目立たない。
子供たちの中で多少能力の優劣はあっても、結局のところ、「リヴァイアスに乗って漂流している」という状況下では全員が等しく無力で、ちょっとした「特別」など何の役にも立たない。
そういう中で一人一人がどう生きるか、という点に焦点を絞っているのが良かった。
罪悪感男子とメンヘラ女子の組み合わせ
「リヴァイアス」に出てくる女性は怖い子が多い。
というと、恐らく多くの人がファイナやこずえを陥れた女性陣を思い浮かべるだろうが、どちらかというとあおいやこずえのほうが性質が悪いと思う。
イクミとこずえの関係性は、「鉄血のオルフェンズ」のオルガと三日月の関係に似ている。また、このパターンか…と思った。
「罪悪感によるコントロール」である。
オルガとイクミは「罪悪感を感じやすい」ベースがあり、その罪悪感を払しょくするために限界ギリギリまで責任を背負い込む。
「相手が傷つくのは、不満を抱くのは、笑顔でいられないのは、不幸なのはすべて自分の責任だ」
そういう罪悪感を背負い込む側にも事情があるので、お互いさまだと言われればそれまでなのだが、それにしてもこずえはイクミの罪悪感に付け込んでいるようにしか見えない。
暴行されたことはとても気の毒なのだが、その前からこずえは「守ってくれ(=自分は弱者なのだから、守ってもらって当然だ)」ということを繰り返している。
この辺りの描写で面白いと思ったのは、イクミがこずえを陥れた女子三人組には暴力は振るっていないのに、レイコに対しては怒りをぶつけている点である。
「傷つけた人間よりも、守らない(守れない)人間のほうが悪い」という発想で、これは自分への怒りにつながっている。
イクミが一番怒り責めているのは、こずえを暴行した人間たちでもなく、レイコでもなく、自分自身なのだということがよく分かる。(罪悪感人間あるある)
こずえもそれが分かっていたから、最後の最後で「もう無理しなくていいいんだよ。ごめんなさい。ありがとう」と言ったのだとは思う。イクミがだいぶ前から限界にきていたのは明らかなので、もっと早く解放してやれよと思ったけれど。
「リヴァイアス」の女性キャラは依存心が強い女性とそうではない女性(または依存心が強いと見せかけて、それを利用する女性)に明確に分かれるが、作中では前者のほうが圧倒的にモテる。
「女性は男性に守ってもらって当然」という発想は、昂治とあおいの関係でも繰り返されているので、恐らく作者がそういう考えの人なのだろう。(「好きなら守れ」という言葉が何度も繰り返されるし。)
殺人はもちろんいけないことだが、ファイナの行動力や意思はたいしたものだなと思う。カレンやミシェルもたくましいが、こういう子はまったくモテない。
何もしないで「守ってくれ」「助けてくれ」「こう言ってくれ」「信じている」「会いたい」って連呼しているほうがやっぱりモテるんだなあ、としみじみ思った。
こういう変にリアルなところも良かった。
疑問点:メッセージ性は含まなくても良かったと思う。
「俺たちができることを俺たちなりにやればいい。つかむのは未来じゃなくて、明日でいい」
「上手くいかないことってしょっちゅうあるし、毎日のようにムカついたりしている。そういう流れは変えられないんだよな。でもさ、そうじゃないんだ。その中でも俺らは考える必要があると思う。黙ってやってくる未来は、明日にはつながらない。そんな明日なんか俺はいらない」
最終回で昴治がこういうメッセージを発しているので、これが「無限のリヴァイアス」という物語の総括なのだと思う。
恐らくは「優秀な人間に思考を預けないで、平凡でも自分なりにできることをやり、考えることが大切だ」「間違ってもいいんだ」ということが言いたいのだと思うけれど、「そういう話だったっけ?」という印象が強い。
最終話で「昴治は変わった」とあおいが指摘したり、明弘が「昴治くんは僕とは違う」と書いているように、どうも物語開始当初の昴治には問題点があり、それが物語を通して変わった(成長した)ということになっている。
それがこの最終話のまとめにつながっている、と思うのだが、この昴治の問題点がよくわからなかった。
昴治の問題点を作中で直接指摘しているのは祐希、あおい、明弘の三人だが、この三人が感じている「昴治の問題点」は微妙に違う。
祐希は「こんな時でもいい子ちゃんぶりやがって」「まだいい人気取りかよ」というセリフが多いので、問題視しているのは「昴治が正論ばかり吐くこと」だと思われる。
これはあおいや明弘が指摘する「昴治の問題点」とは異なる。
また祐希は、昴治がファイナと付き合っても気に喰わない、あおいと付き合っても気に喰わない、あおいを守らなくても殴るし、守ると言っても殴るので、祐希の昴治に対する言葉は「昴治の問題」というよりは「祐希の問題」に見えてしまう。
視聴者の目から見ると信頼性が著しく下がる。
あおいは過去の回想シーンで「言いたいことを言わなくてはつながらない」と言っているので、昴治が「言いたいことを言わないで、人と距離を置くこと」を問題にしているのかなと思われる。
また明弘は「君だってイクミくんに引っ張られている」「僕らみたいなキャラは、人についていったほうがいい」というようなことを言っている。
この二人は「本音を言わず、人とぶつからない」「人と関わることを避ける。行動しない」ということを問題視していると思うのだが、自分から見ると昴治はそういうキャラではない。
初期の段階で自分の命が危なくても人を助けにいこうとするし、イクミを助けたりもする。一目ぼれしたファイナに自分から会いに行っているし、一人でいるファイナを心配してあおいたちに仲間に入れるよう頼みに行っている。
ブリッジでも「自分は助かる可能性が高い方法を選びたい」と、ブルーに対して自分から意見を述べている。
あおいと明弘が言う「言いたいことを言わない。つながらない」とか「引っ張られている」とは何を指して言っているのかがよく分からない。
どちらかというと、行動力や自分の意思はかなりあるほうだと思う。
恐らく設定では昴治は「エヴァンゲリオン」のシンジのような、いわゆる「冴えない陰キャラ」だと思うのだが、作中の言動が「陰キャラ」のものでもないし、回想シーン以外の伏線もないので、あおいや明弘の指摘がまったくピンとこない。
「特別な能力もない平凡な冴えない人間でも、自分にできることをやればいいのだ」というメッセージ性をこめたかったのであれば(最終話を見る限りはそうだと思うけれど)失敗していると思う。
後にユイリィとの共通点として反発を喰らうのが、「打開策がないまま反論をする点」である。ここでまた「人命優先というきれいごとから他の人間の案に反対するけれど、代替案を出さない」という祐希による指摘になる。(反論を言える、ということは、あおいや明弘の指摘とここでも矛盾するが。)
これに関しても昴治もユイリィも前半部分では、自分の意見を言っていたのに、急に「自分の意見がないくせに反対ばっかりする人」として扱われることに非常に違和感を覚えた。
ユイリィは「損害が出た」から、重くて背負いきれなくなったのかな、という風には思うのだけれど。
またこの点に関しては、例えばブルーなどはむしろユイリィや昴治の美点として捉えているフシがあるし、物語的にも「それが正しい」という方向性になっているので、ますます訳が分からなくなる。
仮にあおいや明弘の指摘はおいておいて、祐希が言うこの「打開策のないまま、反論かよ」「まだいい人気取りかよ」」というのが1話から続いている昴治の問題点だとしても、これが
「俺たちができることを俺たちなりにやればいい。つかむのは未来じゃなくて、明日でいい」
「上手くいかないことってしょっちゅうあるし、毎日のようにムカついたりしている。そういう流れは変えられないんだよな。でもさ、そうじゃないんだ。その中でも俺らは考える必要があると思う。黙ってやってくる未来は、明日にはつながらない。そんな明日なんか俺はいらない」
なぜ、この最終話の総括につながるのかが分からない。
この最終話のテーマ(らしき)セリフは、昴治の本編内の行動とも何の関連もないので、正直「いいこと風なことを言って、いい話風にとりあえずまとめようとしているのか?」としか思えなかった。
別に物語に必ずメッセージをこめなければならないわけではないので、これはいらなかったのではないかと思う。
まとめ
昴治のキャラと物語のテーマとの関連については、イマイチよく分からなかったけれど、物語自体はとても面白かった。
小説版ではもう少し詳しく、キャラの心情や背景について描いているようなので、購入して読んでみたい。(一巻しか出ていないけれど。)読めば、今回感じた疑問点も分かるかもしれない。