平松伸二「ブラック・エンジェルズ」は1980年代前半に、週刊少年ジャンプで連載していた漫画だ。
「ブラック・エンジェルズ」の内容には、子供のころはよく理解できなかったことがあった。その辺りのことを含めて、うろ覚えな思い出話を語りたい。
*この記事の内容は、筆者のうろ覚えな記憶に基づいています。記憶違いなどもあることをご了承のうえ、お読みください。またネタバレをしています。未読のかたはご注意ください。
「ブラック・エンジェルズ」あらすじ
主人公は高校生→フリーターの冴えない男・雪藤洋士。彼には裏の顔があり、法で裁けない悪党を、自転車のスポークを使い制裁している。決め台詞は「地獄に落ちろ」
自転車で時速90キロ出せる。速い。自転車でバックできる。すごい。
最初のうちは一、二話で完結するよくある悪党を制裁する物語なのだが、この話の内容がけっこうキツかった。
覚えているなかで一番キツかったのは、夫に先立たれたお婆ちゃんが不良たちに目をつけられて、家に入りびたれて金を脅しとられる話。不良たちに虐待される描写が、無茶苦茶キツかった。
お婆ちゃんは耐えかねて自殺してしまい、雪藤が不良たちを殺す。
「ブラック・エンジェルズ」は途中で被害にあっている人間が死ぬことが多く(しかもその死に方が惨いことが多い。)悪党が死んでもまったくすっきりしない。爽快感ゼロで、憂鬱な気持ちが残る。
この悪党制裁の話から、胸に十字架の傷を持つ「ブラック・エンジェルズ」たちと「M計画」という関東壊滅の計画を練る謎の組織「竜牙会」との戦いの話になる。
「M計画」は防げたけれど、富士山の噴火で関東が壊滅し、北斗の拳のようなヒャッハーな世界になる。その壊滅した関東で、謎の力を持つ八枚の金貨を巡って抗争が行われる。
その後、新政府を操る謎の超能力集団「ホワイト・エンジェルズ」との戦いになる。
「ブラック・エンジェルズ」は謎描写が多かった。
「ブラック・エンジェルズ」は「よくよく考えると何なんだ?」という描写や設定が、特に説明もなくサラリと出てきて、特に説明もないまま終わる。
子供のころは何の知識もないので、「大人には色々な事情があるのだろう」とほとんどすべての描写を流していたけれど、大人になった今でもよく分からない描写が多い。
その謎描写について語りたい。
物語の謎
松田とボクサーの話
松田と仲良くなった元ボクサーが、悪党に薬を飲まされて強盗殺人を起こしていた話。
何の罪もない一家四人が、殴り殺される描写がある。
松田は警察官を辞めさせられた自分を元ボクサーに重ね合わせており、ボクサーを自らの手で殺したあとに、彼の亡骸を抱えながら「夢を見続けちゃ悪いっていうのかよ!」と雪藤に反発する。
ええっ!!? そこ??? そこに共感して話が終わるのか???
という気持ちが否めない。
夢を見続けるのが悪いのではなくて、何の罪もない人を殴り殺したのが悪いのでは…。ちなみに殺された一家は、老夫婦と若奥さんと四歳の女の子。
「頭蓋骨陥没、内臓破裂」など描写がやたら生々しい。
薬を打たれたからとはいえ、そんな殺人を犯した相手に共感して終わる筋立てにものすごくもやる。
鷹沢の言っていることが意味不明だった。
「竜牙会」のリーダー切人=「ブラック・エンジェルズ」の創始者・鷹沢神父という衝撃の事実が、「竜牙会」編最大のどんでん返しだった。
このときに鷹沢が、なぜこんなことをしたのかということを説明するのだが、
「本当は自然災害で関東は全滅するんだけれど、そんなことを神様がしていいはずがない。だから人災で壊滅させるために、M計画を起こした。でもM計画を起こすことに対する良心の呵責から、その計画を食いとめる「ブラック・エンジェルズ」を組織した」
というものだった。
子供のときは「大人ってそういうものなのかな」と思いつつ、「訳分からん」と思って流していた。
大人になった今でも訳わからん。
理屈ではわかるけれど、そんな良心の呵責がある割には人をどんどん殺しているし。
「それがわしの中の鷹沢神父と切人だ(ドヤ!)」って言いたかっただけじゃないか? と思ってしまう。二重人格というわけでもないし。
こういう形而上の理由で犯罪を犯す、というパターンは少年漫画ではほとんど見ないので、今思うとけっこう画期的だったなと思う。
そういう理念的な話を、ほとんど突っ込まずサラッと流したところが逆にすごい。初めて読んだのが大人になってからだったら、「そんな話もサラッと終わらせるのか?」というほうにびっくりしたかもしれない。
勇気は何で突然、邪悪になったのか?
「人間には誰でも二面性がある」と言っても、いくら何でもいきなり変わりすぎだろう。
雪藤が「勇気、いったい何がお前をそこまで変えた」って言っていたけれど、それはこっちが聞きたい。勇気本人も聞きたいに違いない。
勇気にそういう素質があったなどの伏線があればいいのだが、そんな描写は一切なく、後付けの説明すらない。
そこが「ブラック・エンジェルズ」の面白いところと言えばそうなんだけれど。
松田はなぜ、全裸にされたのか?
脱獄犯に、松田(男)と雪藤が山小屋に監禁される話がある。この話で松田が全裸で手錠をされるんだけれど、なぜ松田だけ全裸にされたのかが分からない。一人だけ反抗したから?? 武器を持っていないか、確認するため??
ちなみに加藤という松田の元同期の刑事も一緒にいたけれど、彼も服は脱がされていない。何だったんだろう???
吹雪の雪山で、全裸にコート1枚羽織っただけの姿で、脱獄犯に空手の技を繰り出す松田が無茶苦茶シュールだった。
武器の謎
飛鳥のトランプは、何でできているのか?
飛鳥のトランプの攻撃は子供のときによく真似をしたのだが、なぜ刺さらないのかが不思議だった。普通の紙製のトランプなんだから当たり前なのだが。
飛鳥のトランプは鋼鉄でできているとか、設定があったのだろうか?? シャッフルとかしていたような記憶があるんだけど…。
閻魔球は、あのまま生活していたのか?
どう見ても着脱できないよな。あのまま生活していたのか? トイレ事情が気になって仕方ない。
もしかしたら中央で割れるようになっているなどの仕組みがあるのかもしれない。見たところ継ぎ目がまったく見当たらないけれど。
神麗院の耳は、なぜ尖っていたのか?
つけ耳か? と思いきや、飛鳥にトランプで切られていたので本物のようだ。エルフ? 気になる。
男女間の謎
切人と卑弥子の関係
切人が寝ている御簾の中から卑弥子が起き上がって全裸で出てくるシーンがある。
この二人って親子だよね?? 義理の親子??(それでもどうかと思うが。)添い寝していただけなのかな…。
「お父様の力をもらいましたもの」みたいなセリフがすごく意味深だった。
気になって仕方がない。どういうこと?? そういうこと??
ジュディと牙の関係
「あのジュディという女、俺はてっきり雪藤の女だと思っていたがな」
同感だ。
読者のほとんどが同じことを思ったと思う。どうしてクライマックスにこういういらない恋愛描写をいきなりぶっこんでくるんだろう。
余りに唐突すぎてポカンとした。
「ブラック・エンジェルズ」の根底にある考え方
相手が悪党でも、殺人は悪。
大人になってから読み直して気づいたのは、「ブラック・エンジェルズ」では「どんな悪党でも殺人は良くない」というメッセージが繰り返し出てくることだ。
「ブラック・エンジェルズ」に出てきて制裁の対象となる悪党は、小悪党レベルではない。人間の皮をかぶった鬼畜としか思えない悪党が山のように出てくる。一分一秒でも早く地獄に落ちてくれと言いたくなるような悪党ばかりなのだが、そんな悪党でも殺せば松田や露口、飛鳥と言った面々は、殺した雪藤を「殺人者」と罵る。
決して「奴らは殺されて当然。いいことをした」という風にはならない。
亜里沙は雪藤を「ブラック・エンジェルズ」にすることを非常に嫌がるし、雪藤は「どんなきれいごとを言っても、自分たちはしょせん殺人者」という姿勢を一貫させている。
「死んで当然だ」と思うような悪党に対する殺人でも、きちんと「殺すこと」への嫌悪感や葛藤を描いている。
悪党が反省も改心もしない。
「ブラック・エンジェルズ」には様々な悪党が出てくる。街のチンピラから国家の裏で暗躍する大悪党、たいした力のない奴から、強大な力でブラック・エンジェルズを苦しめる強敵まで出てくるが、全員に共通していることが、誰一人として改心しないということだ。
彼らは改心どころか反省もしない。読者が少しは感情移入しそうな、悲惨な境遇や不幸な生い立ちのような裏話もほとんどしない。
最初は敵でも味方になったり、事情がある敵が出てきたり、最後は分かり合えたりする描写が多い漫画が多い中で、これはかなり珍しい。
牙と飛鳥の仲間だった武蔵も、他の少年漫画であれば少しは背景事情や心の弱さなどを描きそうなものだが、何で裏切ったのかぜんぜんわからないまま死んだ。
風剣と恋人だった魔導沙は、昔の情をカケラも残していない。割り切りがすごい。風剣が色々と過去を思い出す描写が切ない。
唯一、幽姫と幽魔だけは改心はしないけれど肉親の情を見せたために、雪藤が許している。ただこれは同じように肉親を手先として使った女性、妖姫との差別化を図っただけな気もする。
勇気は特に理由もなく伏線もなく、突然悪になったけれど、むしろそこがいいのかもしれない。
悪は理由もなく仮借もなくただ徹頭徹尾、悪としてそこに存在する。
「ただの殺人者」であるブラック・エンジェルズの正しさは、そういう悪に対する「相対的な正しさ」にしかなりえない。
という構造も、いま読むと作者の考えを感じる。
男性が一途で女性がフラフラしている。
「ブラック・エンジェルズ」の男性陣は、非常に一途だ。自分の好きな女性以外には、一切目をくれない。浮気をしない云々レベルではなく、性的な反応自体を好きな女性以外に一切しない。
例えば雪藤は、麗羅の胸がはだけようが、太ももが見えようが無反応。ジュディが相手だと、「添い寝しようよ」と言われたくらいで滅茶苦茶照れているのに。
水鵬の麗羅に対する尽くしぶりもすごい。
それに対して女性陣は、余りはっきりした意思がない。
麗羅は水鵬が自分に気があるのは明らかなのに、きちんと突き放さないで尽くされるがままになっているし、ジュディは牙といつのまにかいい関係になっていて「あなたと雪藤どっちを選べばいいのか」などと言い出す。
男性陣はそういうフラフラしている女性に対して特に何か言うでもなく、黙って受け入れている。
「都合のいい男」ではなく、「相手がどうあろうと、そういう相手を自分は自分の意思で好きなだけ」というスタンスだ。
「相手が自分を好きになってくれなければ、見返りをくれなくては、自分も相手を愛さない」という、結局「自分の愛情は相手次第」という愛しかたとは一線を画している。
「北斗の拳」のトキやジュウザもそうだけれど、自分の好きな女性の意思をきちんと尊重しており、自分も普段はその女性とは離れた場所で自由に生きている。でも、いざ相手の女性がピンチに陥ったら、相手が自分のことを好きとか好きじゃないとか、他の男が好きとかはまったく関係なく、見返りなく駆けつける。
それが犠牲だとも損だとも思わない。自分は自分の意思で、その人のことを愛しているだけだから。
こういう愛し方ができる人は、最高に格好いい。
このころの少年漫画は「こういう生き方や愛し方をする男が格好いい」というメッセージを伝えているものが多かった。
自分もこの頃の少年漫画の女性キャラは、お色気要員やお飾りみたいな扱われ方をしているだけかな、と思っていたし、そういう面があることも否定はできないけれど、敵はともかく主要男性キャラクター陣は女性という他者をきちんと尊重している。
過激描写ばかりではなく、こういう面からの影響も見て欲しい。
「悪」に対する哲学。
「ブラック・エンジェルズ」は読み返してみると、大人になってからこそ色々と考えさせられることが多い。
どんな悪に対しても私的制裁というのは、相対的な正しさにしかなりえない。
「悪」によって「より大きな悪」を打ち消すことはできるのか。果たしてそれは正しいのか。
「ブラック・エンジェルズ」がやっていることが、「より大きな悪」であるM計画を倒し、そのM計画が自然災害の「悪」を打ち消すことができるのか、など。
勇気のように、理解の余地のない「悪」は、誰の心にも生まれることがある。そういうものとどう向き合うのか。
そもそも物語のモチーフに「天使」「切人」「神父」「神」「悪魔」など、キリスト教の概念が頻繁に出てくる。
最後に雪藤をキリストになぞらえて、ブラック・エンジェルズの罪や宿命を一人で背負わせているところを見ても、単に物語のモチーフとして利用したというよりは、作者の考えが色濃く反映されている気がする。
話がやや複雑だし、理解しづらい描写も多いので子供のころはそんなに面白いとは思わなかったけれど、大人になってから読み返したらとても面白かった。子供のころはわからなかった、雪藤や松田、牙などの格好よさにも気づいた。
読んだことがない人も、「そういえばそんな漫画があったな」と思う人も、ぜひ手にとってみて欲しい。
一番好きなキャラは水鵬。生きざま死にざま戦いかた、すべてが格好いい。
妖姫や卑弥子も好きだ。本気でぶん殴りたくなる女性の極悪キャラは珍しい。