うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「賭博黙示録カイジ」再読。福本漫画の世界は、命を賭けて鉄骨歩きをしなければ「世間に入っていけない」

【スポンサーリンク】

 

*本記事には「賭博黙示録カイジ」のネタバレが含まれます。

 

『賭博堕天録カイジ 24億脱出編』 【無料公開中】 | ヤンマガWeb

「カイジ」の「24憶脱出編」の冒頭数話が無料公開されていたので、読んでみたら面白かった。

(引用元:「賭博堕天録カイジ 24憶脱出編」福本伸行 講談社)

*サムネの並びが「カイジだなあ」と思う。遠藤、ずっと電話をかけているなw

 

思い出したら、急に「黙示録」から読みたくなった。

「堕天録」までは実家にあるけれど、せっかくなのでkindle版を購入。

賭博黙示録 カイジ 1

賭博黙示録 カイジ 1

Amazon

 

福本漫画の土台には、「命を賭けなければ、世間に入っていけない」という実感がある。

(引用元:「賭博黙示録カイジ」5巻 福本伸行 講談社)

今まで気に留めたことがなかった、佐原のこの言葉が今回やけに印象に残った。

 

佐原は、俗物である店長とも同年代の女性の西尾ともうまくやっていける。

金をちょろまかしてサッと逃げ出したように要領が良く、運び屋として利用したカイジの懐にも調子よく潜り込める。

カイジとは違い「世間とうまくやっていける人間」だ。

ところが遠藤から話を持ち掛けられた瞬間、佐原は切迫した表情でこのセリフを吐く。

佐原が言う「世間に入っていけない」は、単純な疎外感とも違うように思える。

佐原はバイト先で疎外されずうまくやっていたからだ。

「成功できない」や「上に行けない」ならわかるが、「世間」は入る入らないを選ぶものではない。否応なく入らなければならないものではないか。

ということからも、ここで佐原が言う「世間」は、一般的に「世間」と言われるものから少し意味がズレているのではないか。

 

鉄骨渡りのラスト近くで、カイジは人とのつながりを幻視する。

(引用元:「賭博黙示録カイジ」7巻 福本伸行 講談社)

これが佐原が言う「世間」だ。

佐原やカイジは「人はみんな、抽象的には一人で鉄骨歩きをしているのだ」ということを実感(幻視)するために、実際に鉄骨歩きをしなければならなかった。

鉄骨歩きをすることで初めて、これまでの人生でわからず感じることもできなかった他人の温もりを感じ、他人はただそこに存在する、それだけで十分尊いのだと知る。

(引用元:「賭博黙示録カイジ」7巻 福本伸行 講談社)

 

Eカードの時に、利根川が「これほど相手の心を理解しようとすることがあるか」と言うシーンがある。

(引用元:「賭博黙示録カイジ」9巻 福本伸行 講談社)

人と関わり温もりを感じること、他者と対峙し真剣に相手の心を知ろうとすること。

それは命を賭けなければ、決して手に入らない。

「カイジ」を初め多くの福本漫画の世界観を支えているのは、この実感である。

福本漫画の世界では、他者の温もりを感じられないことは鉄骨から落ちること=死んでいるも同然なのだ。

 

無能で情けないが自分を信頼してくれる父親・石田

「『賭博黙示録』は利根川(父親)を倒し、社会(兵藤)と出会う話」

そう思っていたけれど、今回読んで石田は利根川が持たない部分を持つ「もう一人のカイジの父親」なのではないかと思った。

石田はカイジを助けることも役に立つこともできない。

世間でうまく生きることができず、子供から見下される無能で情けない父親だ。

だが、作内でカイジを心の底から心配している唯一の人物であり、最後はカイジの人柄と能力を全面的に信頼していると伝える。

(引用元:「賭博黙示録カイジ」8巻 福本伸行 講談社)

石田から信頼を与えられたから、カイジはこの後利根川と対峙して「真剣な会話」をし、兵藤に立ち向かうことが出来たのだ。

父親と対等になったことで、初めて「情けない無能な負け犬」と見下していた父親がどれほどの矜持を胸に秘めていたか、「とても敵わない巨大で厳しい存在」と思っていた父親が、ひとつのミスも許されないほど厳しい世界で自分と同じように抑圧され苦しんで生きていたかを知る。

利根川が焼き土下座をした時に、カイジが涙を流すのはそのためだ。

 

福本漫画の世界では、このレベルの関わりではないと「世間に入っていけていない」

そのために常に独特の寂寥感があり、そこから「何としても力を得なくてはいけない」という焦燥感が生まれる。

その寂寥感と焦燥感を土台にしているから、「ゲームによってこれまでの生き方を問われる」「そうでなければ『世間に入っていけない』」というキャラたちのセリフや行動原理に説得力がある。

「賭博録」13巻は何度読んでも飽きない。

「24憶脱出編」も読んでみようかな。

 

余談・1「無頼伝涯」が好き。

無頼伝 涯 1

無頼伝 涯 1

Amazon

独特の寂寥感、そこから「だからこそ何としても力を得なくてはいけない」という焦燥感。

「無頼伝涯」はド直球でこういう話をやっていた。

連載で読んでいた時は「話の進みが遅いな」と思っていたけれど、単行本で読むとむしろ連載の時中だるみしているように感じられた涯が手探りで自分の生き方を打ち立てるところが凄くいい。

 

余談・2

画像

(引用元:「葬送のフリーレン」10巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

カイジは「それで、あと何人殺せば理解できるの?」を素でいく世界観で、「人と人の関わりとは何か」という点については「葬送のフリーレン」とは真逆だ。

「『人を理解しようとすること』は時に暴力にもなる」という前提をきちんと描いているのが「葬送のフリーレン」の好きなところだ。|うさる

「そう。それで、あと何人殺せば理解できるの?」←このセリフ、滅茶苦茶刺さるな。