うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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優しさや人間らしさと共存する、恐るべき残酷さを知る。「凶悪 ある死刑囚の告発」の感想

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他の事件で死刑を求刑されている人間の告発によって、明るみに出た数々の残酷な事件。

一般的には「上申書殺人事件」と呼ばれており、この本を原作とした映画も作られている。

 

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事件についての詳細はコチラ↓

上申書殺人事件 - Wikipedia

 

不動産ブローカーの男がヤクザを使い、土地や家屋を持っていて、親類縁者がほとんどいない老人を殺して土地を転売したり、保険金目当てで自殺に見せかけて殺した事件だ。

ヤクザの男が「先生」と呼んで慕っていた不動産ブローカーに裏切られたことに怒り、事件を自白したために発覚した。

 

人間はこれほど冷酷になれるのか

本当に実際にこんなことが起こりうるのか?

本当にこんな人間が存在するのか?

人が人に対して、これほど残酷になれるのか?

 

そんな風に思える事件だ。

自分は様々な事件のルポや犯人の手記などを読んでいるが、事件そのものの残酷さや悲惨さから言えば、この事件以上にひどい事件もある。

 

この本で一番恐ろしいと思ったのは、この事件を明るみに出した後藤も主謀者である「先生」三上も、ごく普通の一面……むしろ、普通よりも潔癖だったり、優しかったりする一面を持っている点だ。

それは凶悪な一面を隠す芝居でも何でもなく、彼らの中で矛盾なく成立するものなのだろう。

 

著者は後藤から話を聞き、事件を調べるため、読者も著者の視点で後藤と向き合うことになる。

 

後藤に会う前のイメージは

「ヤクザの中でもその凶悪さで恐れられており、激高すると何をするか分からない男」

というものだ。

これは後藤が現在進行形で罪に問われている事件や、後藤が著者に告白することになる数々の事件の残忍さと、結びつけることが簡単な人物像だ。

 

しかし実際に面会した後藤は

「事件を解明してもらおうと、腰を低くして丁寧に調査を依頼してくる」

「解明を依頼した動機も、死刑が確定するまでの時間稼ぎの一面も確かにあるが、それ以上に自分の舎弟を自殺に追いつめた先生が許せなかった」

「男が一度約束したことはひっこめない、女子供には手を出さないなどの色々なルールが自分の中にある」 

 などという、筋の通ったところや、好きになった人は大切にするなどという意外な一面をのぞかせる。

 

そして後藤にそういった一面があることが嘘でないことを証明するかのように、 取材の過程で「後藤を助けるためならば、何でもやる」という後藤の弟分や、「確かに人殺しをしかねない人だったけれど、自分は後藤みたいな人が好き。今まで付き合った誰よりも優しかったし、経済的に楽をさせてくれた。自分の母親の面倒までみてくれた」という元恋人も出てくる。

 

頭では後藤がどういう犯罪をしたどういう人間かは百も承知なのだが、それでも読んでいるうちにだんだんと好意のようなものが湧いてくる。

著者がそういった心境だったのだと思う。

 

後藤が起こし裁判にかけられている事件は、自分を裏切った男と、男とたまたま一緒にいた三人の男女に致死量の覚せい剤をうち、しばったまま部屋に火をつけるという残酷きわまりないものだ。

そして後藤が著者に告白した事件もまた、資産を持っている孤独な老人を殺してその資産を奪ったり、多額の生命保険をかけられている老人に無理やり酒を飲ませて殺したりという、やはり耳を塞ぎたくなるような残酷なものだ。

 

特に「日立ウォッカ事件」と言われている後者の事件は、被害者がどういう目に合わされたのかという詳細が描かれているが、文章ですら正視に堪えない。映画では、この事件を詳細に再現しているらしいが、とても見る気になれない。

日々、拷問まがいのひどい目に合わされて、「家に帰してくれ」と哀願する被害者。

しかしこれは、被害者が借りた莫大な借金を、生命保険で清算するためにそもそも家族の依頼で行われていることだから、家族も「続けてくれ」と答える。

 

不動産の知識を持っており、「こうすれば多額の金が手に入る」という錬金術を見つけた「先生」が、後藤という殺人すら平然と行う「人間凶器」を手に入れたことによって起こった事件だったと著者は述懐する。

「先生」は自分では手は汚さずに、獲物に狙いをつけて計画を練り、後藤に実行させる。そして、人を殺し、多額の金を手に入れる。

 

後藤が犯したこれらの通常では考えられないような事件の残虐さと、自分たちの目の前で協力を求める後藤と、後藤を慕う人間たちの言葉がまるで結びつかない。

 

周囲の人間たちに対しても「後藤が普段は優しいけれど、激昂すると暴力を振るうような人間だった」というのならば、話は分かりやすい。しかし、交際していた女性は、「今まで付き合った男性の中で、一番よくしてくれた」という。

 

誰かを愛して大切にできる人間が、同時に他の誰かを拷問まがいの恐ろしい方法で死に至らしめることができる。

自分たちから見れば「愛情や優しさ」と「非人間的な残虐性」という、どう考えても相反するものを、矛盾なく内包している存在がこの世にいる。

 

自分がこの本を読んで、一番、怖いと思ったのがこの点だ。

 

他の事件とは違い、後藤がどういう思考を辿ってこれほど残虐なことができたのか理解ができなかった。

 

例えば他の残虐な事件、連合赤軍事件や名古屋アベック殺人、北九州監禁殺人事件などは吐き気を催すような残酷な事件だが、彼らがどういう思考過程で殺人を犯したかは、理屈としては理解はできる。

しかし、後藤の場合は理解ができない。彼の中に理屈や、人格的に一貫したものが見えてこない。

顔を突き合わせて話してみれば、「ひょっとしていい奴なんじゃないか」と思えてしまう。そして時には、「同じ人間であり、理解し合える部分もある」と思えてしまう。

 

なのに、彼は自分たちが「そんな理由で?」と思うような理由で、簡単に人を殺す人間である。

「いくら大金が手に入るからと言って、ただ殺すだけではなく、人が人に対してそんな残酷なことができるのか?」と思うことを他人に対してする。

 

そういった自分たちの理屈では矛盾して相容れないものが、後藤という人間の内部ではまったく等価で矛盾なく内包され統合されている。

その存在に出会ってしまったとき、自分たちが今までの人生で培ってきた理屈や法則性など、何一つ通用しないのではないか。

そして「自分たちの理屈がまったく通用せず、ある時は優しく、ある時は残虐になる」その存在は、実は自分たちが手を伸ばせば届く距離にいるのではないか。

 

単なる残酷さならば、理解することはできる。しかし、その残酷さと同じくらい、潔癖さや優しさ、愛情を持った存在を理解することはできない。

 

嘘偽りのない優しさや親しみが、ある日、想像すらつかない残虐さに変わることがある。そういう事実に恐ろしさを感じた。

 

数々の残虐な事件を主導し、金のためならば平然と人を殺す「先生」が、普通の退職後の中産階級の老人という風貌をしていることにも恐怖を感じた。

 

だがそれ以上に、矛盾だらけの性質で、一人の人間として統合されている後藤や、その後藤に非難がましい感情どころか、同志のような気持さえ抱いてしまう著者……そして、著者に感情移入して、どうしても後藤に共感のようなものを抱いてしまう自分自身に言いしれぬ恐怖を感じた。

 

凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)

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