うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【映画感想】綾野剛主演「そこのみにて光輝く」は、俳優のガチンコ勝負から生まれた奇跡の純愛ストーリー。

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Amazonプライムビデオで、前から気になっていた映画「そこのみにて光輝く」を観た。

そこのみにて光輝く

そこのみにて光輝く

 

 

「設定が重い」「展開が暗くて救いがない」という話をチラホラ聞いていたので、余裕があるときに腰を据えて観ようと思っていた。

 

見終わったあとに思った。

もっと早く見ればよかった~!

 

人と人がどうしようもなく惹かれ合う姿を描いている。

「そこのみにて光輝く」は、「人が人にどうしようもなく惹かれる」「人を愛して必要とする」とはどういうことなのか、を描いている。

古今東西、腐るほど描かれているテーマだが、この映画においてはそれを直接的には表現していない。恋に落ちる主人公二人は「愛している」「好きだ」はもちろん、好意をにおわす言葉すら言わない。

演出や演技、登場人物の行動や表情で、「人と人がどうしようもなく惹かれ合う」とはどういうことなのか、を全て説明しつくしている。

主役の二人の恋愛以外も、菅田将暉演じる拓司と綾野剛演じる達夫の疑似兄弟のような友情も、登場人物の感情や関係性が全て言葉ではないもので感じとれるようになっている。

 

ありがちな設定を生きた物語にする、池脇千鶴の存在感

千夏の弟、拓児はクソうるさくてうざい、どうしようもないバカでうっとうしいのに、どこか可愛くて憎めない、どこかにいそうだからこそ説得力を出すのが難しい役だと思う。

「バカと可愛いは紙一重」というが、この紙一重が難しい。

「バカでうっとうしい」のほうに傾いてしまうと、出会ったばかりの拓児についていく達夫に、観客がまったく感情移入できなくなる。

菅田将暉は拓児を、この紙一重の幅で完璧に演じ切っている。アホだな、と思いつつも放っておけない無邪気さと可愛さ、画面から飛び出てきそうな生命力と存在感が圧巻だ。

拓児を演じた菅田将暉は各所で絶賛されているというが、この演技を観たら誰もが「すごい俳優になるだろう」と思うだろう。

 

自分がそれ以上にすごいと思ったのが、千夏を演じた池脇千鶴だ。

これまでも何度か見たことあるけれど、こんなにすごい女優とは思わなかった。

「そこのみにて光輝く」はあら筋だけを聞くと、正直なところ陳腐とさえ思いかねないくらい、ありがちで絵空事の設定だ。

女はあばら屋に住み、DV男と不倫をし、身体を売って家族を養い、脳梗塞で倒れた父親の性欲処理まで行っている。余りに不幸のてんこ盛りで、設定だけでお腹いっぱいになりそうだ。そんな女をトラウマのある男がひと目で好きになり、恋に落ちる。

 

しかし池脇千鶴が演じる千夏が、この不幸のてんこ盛りのお花畑設定に生命を吹き込み、説得力を与えている。

千夏は拓児以上に難しい役だと思う。

主人公の達夫が、なぜ出会った瞬間から、自分でも戸惑うほど千夏に惹かれてしまうのか、その魅力を観客に納得させなければならないからだ。そこに観客が納得できなければ、この物語は全てただの妄想の絵空事になってしまい、話自体が破たんする。

 

というグダグダした説明はどうでもよく、

とにかく池脇千鶴演じる千夏は、どうしようもなく可愛い!!

千夏に強く惹かれて、彼女を守りたい、愛したい、何とかしてこの境遇から救いたいと思う達夫に簡単にシンクロしてしまう。

 

映画では千夏をひと目見た瞬間から、彼女から目を離せなくなる達夫の感情が非常にうまく表現されている。

台所に立つ千夏の背中をジッと映し続ける画面、いざ千夏が近寄ってくると目線をすぐに外す動作や、「名前は?」と拓児に聞かれたのに千夏に答えてしまったり、そういうひとつひとつに達夫が千夏にどうしようもなく惹かれる気持ちが表れている。

拓児と歩いているときは気だるげな適当な話し方だったのに、千夏に対しては何故か敬語で話すところとか上手いなあと思う。自分でも怖いくらい惹かれると、距離の取り方が分からなくておかしくなるよね。

 

千夏は場末のスナックの一室で、生活費を稼ぐために八千円で身体を売っている。拓児の勤め先の社長と、不倫関係でもある。脳梗塞で父親が倒れ、精神的に追い詰められた母親と仮釈放中の弟と、バラック小屋で暮らしている。

来客である達夫の前でもだらしない恰好をし、乱暴な口をきき、達夫に対しても「一回寝たからっていい気にならないで」「あんなところで身体を売っているのがおかしかったんでしょう? 笑えば?」と憎まれ口を叩く。

でもそんな環境にあっても、失われない無垢さや純粋さが千夏の中にある。

達夫に見つめられて、「うん?」と見返す表情などふとした拍子にそれが垣間見える。

 

千夏が若干ふっくらしているのは、こういう環境下の人は炭水化物メインの食事になるのでむしろ太りやすい、という役作りでは? という意見を見た。

自分もその意見を押したい。

ただまあ仮に役作りでなかったとしても、ふっくらした体は千夏を子供のように見せることに成功している。

千夏は常にどこかあどけなくいたいけで、ひねくれた強がりやけばけばしい派手な下着が、むしろ痛々しく見える。見るたびに守りたくなる。そして守ることによって、守られたくなる。

 

登場人物が生きた人間になることで、物語に説得力を与えている。

主人公の達夫の気持ちはもちろん、最低な奴ではあるが、千夏に自分の負の部分を引き受けさせる高橋の気持ちも何となく分かってしまう。

達夫と高橋は、光と影のような存在だ。

千夏と家族になりたい、と望む達夫と、「家族を大切にしているからこそ生まれる闇の部分」を千夏と同じように持つ高橋。

髙橋は「社会でうまくやっていくことで抑圧しなければならない負のもの」を、千夏にならばぶちまけられる。

家族にすら仮面をかぶり、本当の自分を誰にも必要とされていないと感じている。

最後に拓児に言った「お前を必要とする奴なんて誰もいない」というセリフは、無意識に自分に言っていると考えられる。実際その後、刺された髙橋を助けようとする人間は誰もいなかった。

一方、拓児には、へとへとになるまで探し回って、見つかったときに叩くことでしか感情を表現できないくらい心配してくれ、自首する自分を見守ってくれる「兄」達夫がいた。

髙橋は腐った最低な人間だが、その点だけは気の毒だなと思う。「本当の自分を誰にも必要とされない人生を生きること」が、髙橋に対する最大の罰になるのだろう。

髙橋を演じた髙橋和也も良かった。「なんもなんも」とか真似したくなる。

 

主演の綾野剛は安定の演技だ。

千夏に謝罪を拒絶されたときの寂しそうな表情や、最後に千夏の父親殺しを止めたあとの「大丈夫だから」というときの眼差しなど、千夏に出会ったあとの達夫は、冒頭の気だるげで投げやりな達夫とは別人だ。守るべき人を見つけたときの男の強さを、セリフがほとんどない中でも表現しきっている。

達夫の謝罪を冷たく拒絶しながら、帰りそうになった達夫を引き留める千夏も可愛い。「えっ? 本当に行っちゃうの?」みたいなね。あるあるですな、とニヤニヤしてしまう。

「いま、行くから」声音が全然違う。かわいい~~~! 

服装にちょっと似合わない、可愛いめの帽子もかぶる。かわいい~~!

そりゃあ拓児もからかいたくなるよな。

この二人の恋愛は不器用すぎて、終始ニヤニヤしっぱなしだ。

 

観たことがない人には、ぜひ見て欲しい。

背景の設定は確かに重い。特に男性から女性に対するDV描写が苦手な人は、気をつけたほうがいいかもしれない。

ただそういう描写を少しでも見るのが耐えられない、という人以外は、ぜひ観て欲しいなあと思う。

「誰かに惹かれる」って理屈じゃないよなあ、ということがすんなりと納得できる映画だ。

すさんだ「底」の境遇の中でも光輝くものを失わない千夏がただそこにいるだけで、そこでのみ光輝く二人の愛情を、観ている人間も感じとることができる。達夫や千夏からの拓児への愛情も。

 

 一人一人の登場人物を、演じる役者が生きた人間として生命を与えることで、その人間の感情やお互いの関係性を生きたものにし、どれほど見慣れた設定でもそこでのみ語られる唯一の物語として見ることができる。

映画やドラマは、こんな風であって欲しい。

 

原作の続編では達夫と千夏は結婚しているようだ。

映画のラストも、自分はハッピーエンドだと解釈している。