うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

村上春樹・柴田元幸「本当の翻訳の話をしよう」を読んで、黒原敏行の翻訳にだいぶお世話になっていることに気づいた。

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本当の翻訳の話をしよう

本当の翻訳の話をしよう

 

村上春樹と柴田元幸の翻訳についての本を読むのは、「翻訳夜話」「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」「翻訳(ほとんど)全仕事」に続いて四冊目だ。

 

マニアックすぎてついていけない部分もあるけれど、不思議と内容がよくわからなくても面白い。

「現代アメリカ文学で翻訳してほしいもの、復刊してほしいもの」なんてまったくわからないのだが、著者二人が楽しそうに話しているのを聞いていると「読んでみたい」と思うから不思議だ。

 

コーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」を読んでみようと思ったのは、「本当の翻訳の話をしよう」を読んだからだ。

 

村上 『大陸漂流』もいいし、好きなのいっぱいあるんだけどなあ…。Rule of the Boneもいいですよ。『大陸漂流』はどこから出たっけ。

柴田 早川書房から、黒原敏行訳ですね。黒原さんって、長いもの、難しいものを積極的に訳す奇特な翻訳者ですよね…。コーマック・マッカーシーとか。

 (引用元:「本当の翻訳の話をしよう」 村上春樹/柴田元幸 ㈱スイッチ・パブリッシング P46)

 

うん? 黒原敏行、どこかで聞いたことがある。

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「蠅の王」の新訳版の訳者さんだ。

 

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光文社から出版された、「八月の光」の新訳版も黒原敏行訳だった。

おおっ、めちゃくちゃお世話になっている。

 

「本当の翻訳の話をしよう」の注釈で、コーマック・マッカーシーは「叙事詩のようなスケール、神話のようなトーンで暴力と自然の世界を描く」と紹介されている。

自分は「ザ・ロード」は、人が生きるための神話を作ろうと試みた作品ではないかと思っている。「蠅の王」や「八月の光」も寓話めいた話だ。

ひょっとして趣味が似ているのでは、と思って、コーマック・マッカーシーの著書を調べて、比較的有名で内容にも心惹かれた「ザ・ロード」を読んでみた。

予測的中で、自分の心に大ヒットした。

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「蠅の王」は、もともと出版されていた平井正穂訳と比べると、日本語としての文章の読みやすさを優先している、という印象があった。

「八月の光」は分かりにくい時系列や、宗教に素養がない人間には気づきにくいクリスマスにキリストを重ね合わせている部分などを注釈で説明してくれているので、物語の筋が追いやすく助かった。

「ザ・ロード」は非常にシンプルな文体で、読みやすかった。元のマッカーシーの文章がそうなのかもしれないけれど、他の訳書を読んでも文体がシンプルなので訳者の力量も大きいと思う。

読み手に親切な訳者、というイメージがある。

 

光文社新訳版「八月の光」のあとがきに、訳すにあたってのスタンスが書かれていたが、訳文から想像した通りのものだった。 

翻訳というのはもちろん原文をそのまま日本語に移すのが理想的だが、この小説の場合、ところどころ抽象的だったり、極端に省略的だったり、おぼめかしかったりして、直訳に近い翻訳だと読む人の頭が靄に包まれてしまうことがある。

まさにそこが魅力的で、曖昧なところは日本語でも曖昧にして、喚起力の高い訳文をつくるのが筋ではある。(略)

直訳するといっても、詩的も美しい曖昧さを持つと同時に含意を正しく伝えられる訳文をつくるのは至難のわざだということもある。

そこでこの翻訳では、晦渋な箇所は通常よりも意訳の度を強め、注釈を訳文に織り込むような形でなるべくわかりやすくするように努めた。(略)

小説にも若干方針の異なる翻訳があってもいいのではないかと思う。 

 (引用元:「八月の光」訳者あとがき ウィリアム・フォークナー 黒原敏行訳 P759 光文社)

 

わかりにくさも含めて原文だ、訳者の解釈は極力排した訳で読みたい、と思う人には合わないかもしれないけれど、自分はこのスタンスのように「読み手が現代日本で育った、日本語しか解さない人」と想定して訳してくれたほうがありがたい。

文章の問題以外にも、どうしても文化の違いで判らなかったり、理解しづらいこともある。それを説明してもらうのとそのまま投げ出されるのでは、話の飲み込み方が違う。

 

自分が原文で読めないのがいけないので、訳者には感謝しかないのだけれど、そういう前提でも読みにくくて辛いという訳書はある。

他の訳と比べられないと、「その作品自体がつまらないのか」「訳文が悪いのか」判断がつかない。

昔は比べようがないので、単純に「その本自体がつまらない」と思っていた。「名作と言われているけれど、ちっとも面白くない…」ということが往々にしてあった。

しかし後で他の人の訳文で読んだら、「ええっ、滅茶苦茶面白い」と思ったことがけっこうある。何とは言いづらいんだけれど、あれとかあれとか別の訳だったらひょっとして面白いんじゃないかな、とつい思ってしまう。

 

何種類か訳があったほうがいいけれど、版権だったり売れ行きの問題などで難しいのはわかる。

自分が原文で読めるのが一番いいのもわかる。ただ小説を読むのは、単純に文章が読めればいいわけではないので難しい。そういう意味では、元々が日本語でも読むのが難しい小説はある。

 

自分の好みの物語をこういう方向性で訳してほしい、という方向性で訳してくれる翻訳者がいるのはありがたい。

黒原さんの訳でなければ、「八月の光」の良さはわからなかったと思う。

 

「ザ・ロード」がとてもよかったので、他のコーマック・マッカーシーの著書も読んでみようと思う。ぜんぶ黒原訳なので安心して読めそうだ。