「ゆとりですがなにか」第6話の感想です。
前回、第5話の感想はコチラ↓
「誰も傷つけない奴は、誰も幸せにできない」
今回は、茜ちゃんが言っていたこのセリフにつきますね。
思いあっているのにすれ違う、好き同士なのにどこが問題なのか、どこですれ違うのかが顕著に分かる回でした。
特に「男って何を考えているのか分からない」という恋愛に悩む女子が見ると、すごい色々なことが分かるんじゃないかと思いました。
まりぶの「オレは世界中の女とやりてえ」とかやまじの「誰かを選ぶというのは、誰かを捨てること。誰も選ばなければ、誰も傷つけない。俺も傷つかない」とかね。
まりぶのほうは、「正直だなあ(^-^;」で終わりですが、
やまじのこのセリフをリアルで言われたら、朝まで説教するな。
そんなに傷つきたくも傷つけたくもないなら、押し入れか無人島で、誰とも関わらずに暮らせば???
って話ですよ。
人が傷つくときというのは、大部分は自分の側の要因が大きいと思います。
内容が自分が気にしていることならば、どんなに相手の人が何気なく言ったことでも傷つくし、言った相手が自分にとってどうでもいい人なら、その場でムカついておしまいだけれど、信頼している人や好きな人なら、深い傷を負って奈落の底まで落ち込みますよね。
感情がないなら、期待もしていないならば傷つかない。
でも、自分に気持ちがあるから、傷つくんです。
「傷つかない」とか「傷つけない」とかは、つまりは、人の感情に触れない(自分も他人も含めて。)ということですからね。
その傷は、自分自身なんですよ。
感情を動かさないで、本当の自分自身から目をそらして、それって幸せかなあ。
この辺りは人にはいろいろとあるので何とも言えませんが、せめて、「人を傷つけたくないから」なんてかっこつけずに、「自分が傷つきたくないから」と正々堂々と言って欲しいものです。
やまじもそんなことぐちゃぐちゃ言っていないで、好きなら好きな気持ちのまま、行動すればいいんだよ、と思います。
やまじみたいな頭でっかちな人って、こういうところが恋愛で引っかかるんだと思います。だからこそ、子供たちの気持ちが分かるいい先生なんだなと思うので、難しいところですが。
モテ期はきましたが、残念ながら
悦子先生もシンママも、二人とも地雷ですから!!
残念っっ!!(古い)
やまじはいい先生だし、いい友達だし、いい奴だけど、女を見る目は全然ないな。
「まーちんは、私と付き合っていたらダメになる」
「ダメなまんまでいいんだよ」
「ダメなまーちんと一緒にいたい」
もう、この辺りの茜ちゃんの気持ちが痛いほど分かる。
いいんだよ、そのままで。
ダメなところもぜんぶ、含めてその人じゃん。
一体、いつもっと立派になってくれとか、もっとしっかりしてくれとか、もっと出世してくれとか、もっとこうしてくれとか、そんなことを言った??
そのまんまでいいんだよ、というかそのまんまがいいんだよ。
そのまんまを好きになったんだもん。
しかしその一方で、
「それを聞いたら、ますます戻ろうなんて言えない」
「この先、変わらないなんて耐えられない」
っていう正和の気持ちも、痛いほど分かる。
いくら女性に「ダメなところも含めて、そのまんまがいいんだよ」と言われても、それに甘えることができないんですよね。
自分がどういう存在なのか、どう在りたいのかという自分自身の問題なんですよね、きっと。
男がこういうモードに入ったら、自分が納得がいくまでは、女性の言葉は、それがどんなに理に適った言葉でも温かい思いやりに満ち溢れたものでも耳に入らないと思います。
スラムダンクで、花道が背中に怪我を負いながら、試合に出続けると決めたときみたいなものですね。
「オヤジの栄光時代はいつだよ。全日本のときか?」
「オレは今なんだよ!!」
知らない方は、申し訳ありませんが。
自分自身の戦場に立っているんで、女子供の言うことは耳に入りません。あとはただその戦いを見守って、戻るのを待つしかありませんね。
今回は、頭の中がおっぱいでいっぱいな男の恰好悪さとダメさとしょーもなさ、でも、やるときはやる恰好よさの回でした。
しかし、まりぶとゆとりは本当に付き合っているし、やまじと茜ちゃんは二人で旅行に行くし。(しかも一緒の部屋って、さすがにありえないと思うのですが。)
どんどん、カオスな展開になっていくな(;・∀・)
来週は、正和VS茜パパか。
正和は、常に何かと戦っているな。