先日、ちょっとしたきっかけで「場面緘黙症」の体験をつづった漫画を読んだ。
「場面緘黙症」という症状を知ったのは少し前で、そんな症状で悩んでいる人がいることさえ知らなかった。
場面緘黙症というのは、特定の場面でのみまったく話せなくなる症状で、いわゆる「人見知り」などとは違う。
場面緘黙は、ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象である。子供が自宅では家族らと問題なく会話をしていても、学校や幼稚園など家の外では全く、あるいはそれほど話さず、誰とも話さないという例は多い。そして、その子供は非常に内気な様子に見え、グループでの活動に入りたがらなかったりする。 たいていの場合、発話以外の、表情や動作やその他のやり方であれば、人とコミュニケーションを取ることができる。また、脳機能そのものに問題があるわけではなく、行動面や学習面などでも問題を持たない。
単なる人見知りや恥ずかしがり屋との大きな違いは、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があるという点である。
(Wikipediaから引用)
原因については色々な説があるようだが、心因性が今のところ一番有力らしい。自宅などでは問題なく話せるので、身体的・構造的な問題ではないことは分かる。
心因性と呼ばれる症状の多くはそうだが、この症状を持つ人も周りから「単なる甘えでは?」といわれ理解を得られないことが多いようだ。
場面緘黙症については、リンク先の漫画を読んでもらうと非常によく理解できると思う。
(作者の方はBL(ボーイズラブのこと)の同人活動をしています。そこに興味を惹かれる過程なども多少出てくるので、BLに忌避感を持つ方はそのことを承知のうえで読んでください。そのことがメインテーマではないので、大丈夫だと思うけれど。)
この漫画は場面緘黙症について描かれているが、その二次被害とも思える「生きづらさ」についても非常によく分かる。
「場面緘黙症」という言葉は聞いたことがなくても、作者が幼稚園時代から感じ続け、いまなお後遺症のように悩み続けている「生きづらさ」については、共感を感じる人も多いのではないかと思う。
「元かんもく少女」の状況
元かんもく少女の家庭環境は過酷だ。
作者は子どものころなので、それが普通だと思って当時はよく分からなかったと言っているが、読めば読むほどこの年までよく生き延びてきた、そう思える。
父親が少しのことでもキレやすい暴君であり、子供とのコミュニケーションがほとんどない。唯一のコミュニケーションが、子供に命令すること。最終的には子供の学費も払わず、家に生活費を入れないなどモラハラ、経済的DVをする。
母親は外面がよく、自分にも子供にも完璧を求める。夫婦仲が悪く、精神的なよりどころとして宗教活動をしており、その集会に子供を連れていく。子供のしつけとして、体罰をする。子供に対しては「できて当たり前」という姿勢なので褒めず、常に否定的な言葉を投げかける。
「犯罪が関わる環境以外で、どんなに素晴らしい素質を持った子供でも、ダメにすることができる環境を考えなさい」と言われたとき、これ以上の環境はなかなか思いつかない。
父親はちょっとした物音を立てても、自分の部屋に怒鳴り込んでくる、風呂やトイレに入っていても「早く出ろ」と言われ、実際にドアをこじ開けられたこともあるなど、聞いていて唖然とするようなエピソードが出てくる。
作者は「家庭環境が主因とは限らないけれど」と断りを入れているが、そりゃあこんな家庭で育てば、一言、物を言うのも緊張するようになるよ、と思う。小さいころから、自分が何かしたり言ったりするとキレる人がいたら、喋ることは文字通り命がけになるだろう。
本当にこの作者がグレもせず、犯罪も犯さずに生きてきただけで十分立派だと思う。
幼稚園時代に場面緘黙を発症した作者は、そのあと小中学校時代を通してほとんど喋れずに日々を過ごす。
暴力をふるわれても「痛い」と叫べず、いじめられても「自分がしゃべれないのが悪い。しゃべれないから気持ち悪いと思われて当然だ」と考える。
何をされても「相手は悪くはない。自分に責任がある。自分はどんなことをされても、それを受け入れなくてはならない」
この恐ろしいほどの自己肯定感の低さ、これが生きづらさの正体なのではないかと作者は考える。
自信がない人間は生きづらい
自分も人生で何人か生きづらそうな人に出会ってきたが、やはり共通するのはこれではないかと思う。
「自信のなさ」「自己肯定感の低さ」
無理に言葉にすれば「自分という存在に対する無条件の肯定がない」と言っていいかもしれない。
これがあるのとないのでは、人生の生きやすさが百八十度違う。
もちろん、大人になって経験したことから、「あるジャンルにおいての自信」を身につけることはできる。だからこの自己肯定感を持っている人間は「自信なんて、自分の力でいくらでも身につけられるのでは?」と考えがちである。
しかしこれは、多くの場合、子供のころ親に与えられるものである。幼少期にこれを与えられないと、大人になって回復するのは至難だと思う。
この「自分という存在に対する無条件の肯定感」を持たない人間は、基本的に人間関係で悪循環に陥ることが多い。「自分がそこにいていい」という許しや安心感を、自分で自分に与えることができないからだ。
なので、他人からそれを得ようとする。そうすると他人の顔色を窺うようになる。他人の顔色を窺うようになると、自分の行動が他人次第になるので、他人と一緒にいるのがしんどくなる。他人と一緒にいるのがしんどいから、人間関係を避けるようになる。そうすると人間関係に慣れることができないので、ますます苦手意識を持つようになる。
そういった負のループに入る。
「元かんもく少女」を読んでいると、その負のループがどういうものなのかよく分かる。
そしてこの自己肯定感の低さが大人になっても基盤となるので、仕事をするにしても恋愛するにしても、何か他のことに挑戦するにしても、そして仮にそれらが叶ったとしても、今度はその状態を維持するのに、人の何倍ものエネルギーを使わなければならなくなる。
結果、しんどくなりその状態から離脱する。そして「みんなが普通にやっていることができないなんて、自分は何てダメな人間なんだろう」と自分を責める。ますます自己肯定感を低め、自信がなくなっていく。
元かんもく少女が、親に対して「学校に行くのが疲れた」と訴える場面がある。
自分はこの気持ちがよく分かる。自分も学校に行くことに疲れきっていた時期があったからだ。
何か大きな問題があったわけではない。だから、理由を言えと言われても「疲れた」としか言いようがない。
大人になった今なら分かる。
人の顔色を伺ったり、その場の空気を読んで話を合わせたり、グループ内の力関係を探ったり、そういう人間関係を維持することに疲れきっていたのだ。
今考えてみると、あんなに狭い世界で毎日毎日、人間関係に気を使い続けたことは驚異的なことだと思う。
余談だが、自分の知人が「今の中高生女子は、学校にただ行っているだけでも偉いと思わないといけない。それくらい、人間関係のストレスが半端ない」と言っていたが、自分もそう思う。
学校の人間関係で悩んでいる子は、「自分は学校に行っているだけで偉い」と思ったほうがいい。少なくとも自分はそう思うし、行きたくなかったら行かなくていいと思う。心の底から。
「自己肯定感の低さ」それは親が子供に与える呪いに似ている。
「自己肯定感の低い人間」は、たいていが幼いころから自分の言動や存在を、親に否定され続けている人間だからだ。
「決して幸福になるな。お前が幸福になるなんて、そんなことは許さない」
無意識のうちに、親がそういう呪いをかけているのだ。
「親だって人間だ。子育てというのは大変なものなのだ」という言葉もよく分かる。悩み試行錯誤しながら、懸命に子供に愛情を注いでいる人もたくさんいることも知っている。
ただ自分はある一定数、こういった呪いを子供にかけている親が存在すると思っている。そしてこういった親は、多くの場合、無自覚であり自分は立派に親としての務めを果たしていると信じている。その事実を、最大限控えめに表現しても、腹ただしく苦々しく思っている。
自分は親が子供に与えられる最高の贈り物は、この「自分という存在に対する無条件の肯定感」なのではいかと考えている。これがあるのとないのとでは、苦境に立ったときの踏ん張りも違うし、挫折したときの立ち直り方も違う。
そしてそれは、人生において親にしか与えられないものなのだ。(ごくまれに例外もある。ただ大人になってからだと、その価値観を無条件に受け取るのが難しくなるという問題もある。)
「生きづらさ」と抱えている人を見たり、色々なケースを読んだりして感じたことは、何となく感じていたけれどその正体が分からず、その感情を解消するための努力の方向性すら分からないということが多いということだ。
感じている感情の正体が分からないとそこから抜け出すのは難しいと思う。生きていく中でいつも「生きづらさ」のようなものに悩まされていたら、同じように悩んでいる人がいるんだということを知って欲しいなと思う。
そして、できればその呪いから抜け出して生きて欲しい。
*ちなみに著者は「自分のケースでは、親が原因なのかもしれない」と推測しているが、場面緘黙症の発症の原因が育て方にあるといっているわけではない。ひと口に場面緘黙症と言っても性格や症状も様々のようである。
*「生きづらさ」の原因も、この記事では親子関係を取り上げたが、親子関係以外にも様々な原因があると思っている。
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