うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「自立して男に頼らない、主体的に動く女性が主人公」のラノベ「女戦士エフェラ&ジリオラシリーズ」が懐かしい。

【スポンサーリンク】

 

少し前に話題になった「自立して男に頼らない、主体的に動く女性が主人公のアニメはあるのか」という話で、「女戦士エフェラ&ジリオラシリーズ」を久しぶりに思い出した。 

anond.hatelabo.jp

 

落ちこぼれの魔導師エフェラとかつて大陸を支配していた大帝国ムアールの跡継ぎの姫ジリオラが、傭兵になって様々な依頼をこなしていく話。

二人がメインの話は全8卷で、そのあとに二人の子供の話も出ている。

 

上記の増田があげている条件を考えていくと、

・サポートする男性キャラがいない、男の影が無い

エフェラの幼馴染ユーリックがいるけれど、要所要所しか出てこない。二人の冒険を都合よく助ける役割ではないので、OKかな。オーリンは男の子だけれど、二人にとって被保護者なので「男の影」とは言えないだろう。

 

・女の子が戦って格好良いのが見たい

傭兵でバンバン斬り合う。戦争を指揮したり、魔術師同士の遠距離の戦いにサポートとして参加したりもする。陰謀劇もあったり、ひと口に戦いと言っても、様々なシチュエーションがある。酔っぱらって殴り合いの喧嘩もする。「紫の大陸ザーン」の船上の戦いが良かった。

 

・聖闘士星矢や北斗の拳みたいに何かの為や世界の為に戦うというのが望ましい

人助けや世界の理に関わる話が多い。それも「自分たちのため、自分たちが選んだ」と言い切るところが、むしろ格好いい。

 

・戦闘時に技名を喋ったり、気合の掛け声が入るようなのは男性視点が入っているからダメ。例としてキルラキルの纏流子はダメとのこと。

「戦闘時に技名を喋ったり、気合の掛け声が入るようなのは男性視点」という理屈はよく分からないが、技は出てこない。魔術を使うときも、術名を唱えたりしない。

 

・恋愛要素が無い。あっても恋愛至上主義ではない

後半で恋愛要素が出てくるが少ない。一瞬と言ってもいいくらいで、(色々な意味で)びっくりする。

 

・男尊女卑が無い

見ている限りは、女性のほうが強力な地位についている。

 

・大人の女性が見て楽しめる

今読んでも、十分鑑賞に堪えられる。むしろ子供のころは、「ラノベの中では地味だな」と思っていた。

 

・プリキュアのような女児向けは「女性向け」ではないのでダメ。ハイターゲット向けのフィギュアや大人向けグッズが出ているアニメは男性ファンが見るからダメ。

・メインターゲット層が男性ではない。「女性も楽しめる男性向け」アニメはダメ。

講談社ホワイトハート版もあるので、メインターゲット層は女性と考えられる。一番最初は、大陸書房から出版された。

 

・男性原作者、男性制作者といった男性視点が一切入らない「女性が考える女性向けの女性主人公」でなければダメ。男性が考えた女性主人公は名誉男性主人公となるのでダメ。

これだと「パトレイバー」と「攻殻機動隊」はダメな気がするが…。

それはおいておいて女性作家による女性同士のバディものの物語。

 

・萌え絵はだめ。

・ベヨネッタ、キルラキルのようなセクシー系の格好はOK。

幻冬舎版のイラストはずいぶん今風になったな。大陸書房版とホワイトハート版は、米田仁士さんがイラストだったので、それはそれで贅沢だったと思う。

 

・深夜帯放送じゃない、大衆受けしたメジャー作品だとよい。

小説でもOKということなのであげたけれど、メジャーかと言われると難しいところ。初版はかなり古いし、ここが唯一ひっかかりそう。ただパトレイバーを例に挙げているので、古いのはいいだろう。

 

探せば当てはまる作品はかなりありそうだが、これらの条件に一番合っていそうなのは自分が思いついた中ではこれだ。

「後宮小説」もいい、と思ったが作者が男性なんだよな。

 

「エフェラ&ジリオラシリーズ」の良かったところは、ファンタジーでありながら、登場人物の内面や状況の本質自体はリアルなところだ。

ジリオラは「自分の目で世界を見たい」という理由で冒険の旅に出るが、六巻の「オカレスク大帝の夢」で叔母である皇帝が危篤になったため、故郷に戻る。

エフェラは「放っておけばいい。故郷は捨てたと言ったじゃないか。このままじゃ、なし崩し的に皇帝の座につかされる」と怒る。

子供のときはエフェラの言うことが尤もに思えて、ジリオラの気持ちがよく分からなかった。

 

だが、いくら「捨てた」とは言っても皇族に生まれた責任までは捨てきれない、故郷や家臣や国民を見捨てられない、「自分で望んで生まれたわけではないから関係ない」とは突っぱねられないジリオラの気持ちも今はよく分かる。

この件でエフェラは拗ねて宮殿から出て行ってしまう。

おおらかで闊達なジリオラに比べて、エフェラは頭はいいものの神経質で気難しい性格をしている。この巻では「みんなジリオラジリオラって。私のことなんかどうでもいいんでしょう」というエフェラの僻み根性からくる(これは本人も認めている。)面倒くささが爆発している。

またジリオラに対して無意識に「私と故郷とどちらを取るんだ」と迫っている構図に、リアリティがある。

このエフェラの面倒くささは当時はよく分からなかったのだが(何でジリオラが大変な状況なのに、拗ねているんだ?と思っていた)いま考えるとリアルに感じる。

 

もうひとつ良かったのは、「チート」に生まれたメリットを取り上げず、それに伴う負荷やしがらみに焦点を当てているところだ。

大帝国の後継者として生まれたジリオラもそうだが、後にエフェラにも巨大な力があることが判明する。しかしその力は、エフェラにほとんど恩恵をもたらさない。

 

ひかわ玲子は「チート」な能力にまつわる責任や周りの人間たちの期待や思惑、羨望などが主人公に負荷としてのしかかる様子を描くことが多かった。

「チートな能力を持てば無敵で、周りからチヤホヤされる」という発想は、ほぼなかったと思う。

いま考えると、その辺りがすごく良かった。

大人になって思い返してみても面白いと思えるのは、そういう「登場人物の等身大の不完全さ」「現実的なうまくいかなさ」があるからでは、と思える。

 

女性同士の関係も時にお互いの気持ちが分からなくなったり、理不尽な対応をしてしまったり、相手のことを妬んでしまったりなど、変に理想化されておらず、お互いに友達だと思っていても、思っているからこそ感じる感情の揺れや機微が描かれていた。

創作の中でたまに見られる「何をしてもされても、相手に対して負の感情を一切持つことがない友情(というより、人間関係全般的に)」には、絵空事のようで興味がわかない。

「ハッピーマニア」のように恋愛でライバルになったり、「ラブコン」のようにツッコミを入れ合ったり、「エフェラ&ジリオラ」のようにお互い噛み合わない部分があって、時に相手を疎ましく思うこともある関係が好きだ。

完成されて安心感のある関係よりも、流動的で常にお互いの感情の相互作用で変化し続ける関係のほうが、人間関係の本質をとらえているし、丁寧に描かれていると感じる。

 

決してカッコいいだけではない、自分と同じように欠点やダメさや恰好悪さを持つ不完全な女性が、主体的に道を切り開く姿がカッコイイと思っていたことを、懐かしく思い出した。

 

ドラゴンマガジンで連載していた「バセット英雄伝エルヴァーズ」も好きだった。これも「伝説の英雄の生まれ変わり」である苦しみと、疎外感を描いていた。

主人公のセイトが暴走して「やらかしてしまう」ところもいい。

バセット英雄伝 エルヴァーズ 文庫 1-4巻セット (富士見ファンタジア文庫)

バセット英雄伝 エルヴァーズ 文庫 1-4巻セット (富士見ファンタジア文庫)

 

 

王道の騎士道物語「銀色のシャヌーン」。シャヌーンも助けを求めにきたファリナに冷たかったリ、気難しいキャラだった。

銀色のシャヌーン (トクマ・ノベルズ)

銀色のシャヌーン (トクマ・ノベルズ)

 

 

アニメの主題歌、今でも歌える。

後宮小説 (新潮文庫)

後宮小説 (新潮文庫)