うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

姉妹が死んだ理由を考える話かと思いきや。「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」

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何十年か前に同級生だったリズボン家の十代の五人姉妹が全員自殺した事情を関係者に聞きながら、当時のことを思い出す話。

何かの事象が起こった理由を、色々な立場の人の話を聞きながら探り当てる話、いわゆる「藪の中」系統が大好きなのであらすじに惹かれて買ってみた。

 

レビューでもさんざん「想像するような話ではない」と書かれているし、裏表紙のあらすじ紹介にも「異色の青春小説」と、暗に「謎解きが本題ではない」と言っているのに、自分の希望的観測を優先させてしまった。

文句を言うのはおかど違いなのはわかっているけれど…。

 

いくら何でもここまで期待はずれとは思わなかったよ…。

 

元々のタイトルは「THE  VIRGIN SUICIDES(処女たちの自殺)」。

このままだったら、内容を察して買わなかったのに。

 

以下、ネタバレあり。

 

この話がひどいと思った一番の理由は、語り手の元同級生(少年)が、姉妹にさほど興味がないことがありありと伝わってくるところだ。

「姉妹がどういう少女たちだったか」「何を考えていたか」よりも「自分(たち)が姉妹をどう見ていたか」に力点が置かれている。

主人公は、本当の意味では「姉妹が自殺した原因」に興味がないのでは? と思うくらいそこへの追求のしかたがぼんやりしている。ただ色々な人に話を聞いて、その話から当時のことを思い出して、特にそのことを深く考えるでもなく終わりということが多い。 「姉妹の死」を出汁にして、当時の自分を懐かしんでいるようにしか見えない。

 

この手のジャンルの話は、普通は「その自分たちの鈍感さ、自己中心性こそ相手を追い詰めていたのではないか(真偽はともかく)」というところに思い至るなり、そこを前提に出発したりすることが多いけれど(というより、そうでなければその事件を思い出す意味がない)この話はそういうことが一切ない。

 

主人公たちが姉妹に向ける関心は、①憧憬②性的興味これだけだ。

そのこと自体はこの年の人間の生理現象だから仕方ない。むしろ健全なことだとも思う。

ただ、大人になったらもう少し別の視点で見れないのかと読んでいてうんざりしてくる。

姉妹五人の見分けすらつけていないし、そのことをひどいとすら思っていない。(この話で一番ひどいと思ったのは、周りの人間のほぼ全員が「五人姉妹をワンセットで見ている」ところだ。)

この主人公や周りの少年たちが姉妹に向ける視線は、滅茶苦茶気持ち悪かった。恐らくある種のリアリティがあるからだと思う。

女性の生理や肉体に対する興味や、男同士の「あいつとやったぜ」的な自慢話や、性的知識が豊富なことが優れていることだという価値観だとか、内面には一切興味がなく、見分けもつかない姉妹たちにアプローチをかける様子だとかすべてがうんざりするし、読んでいて嫌悪感がわいてくる。

病的なほど多人数の男と性交渉を繰り返す四女のラックスを見て、「ラックスは性交渉することが愛情だと勘違いしているのかもしれない」と思う箇所が出てくるので、まったく気づいていなかったわけではないと思う。だが、この考えもこれ以上深く考えられることはない。

 

なぜミセズ・リズボンが五人を厳格に管理していたかというと、ミセズ・リズボンがこういう少年たちのある種の残酷さに傷ついたことがあるからでは、だから娘たちの動向に神経質になっていたのではと思える。

それに加えて少し管理を緩めたら、案の定ラックスがひどい目に合された(性交渉持ちたさに親との約束を破るように勧めたうえ、持ったあとにその場に置き去りってかなりひどいと思う。だが話の中では、主人公や周りの人間がこのあたりをどう思っているのかがまったくわからない。)ので、その管理の厳格さが加速した。

ラックスに恋心を抱いていたトリップは、姉妹の見分けがついていた、それなりに真剣にラックスに恋をしていたという点では一見他の少年たちよりもまだしもマシに見えるが、自分から見ると別の意味でひどい。

常に相手の気持ちよりも、自分の欲求を優先させて、しかもそのふたつがぶつかったときに、相手の心を納得させるように最大限努力するのではなく、相手の弱さや揺れにつけこんで自分の欲求を押しとおすところが読んでいて嫌な気持ちになる。

そしてそのことに主人公を含め、誰も批判的な気持ちを持っていないところが、この話が不快な最大のポイントだ。

 

恐らくこの話の構図は、

当たり前の性的欲求や異性への関心を持つ五人姉妹を、過去に傷ついたり警戒せざるえない経験をした母親が過剰に防衛している。

五人姉妹は外部の少年たちと接触するが、ラックス以外の三人は自分たちが「景品扱いされている」という潜在意識を抱えているうえ、そのラックスもトリップに傷つけられる。

母親は管理をさらに厳重にし、姉妹は外の世界への失望も重なって自殺する。

というものだと思う。

主人公を含め、彼らの言動も姉妹の自殺に加担していた。普通だったら、そのことに気づく話になる。

 

この年頃の人間が自分の視点でしか物が見えない、だから結果として残酷になってしまうのは、性別は余り関係ないと思うし、多かれ少なかれ誰もが通る道だと思う。そういう自己中心的な残酷さや未熟さが、裏を返せばこの年頃のエネルギーにつながっている。

ただそれが異性間の恋愛でぶつかったときに、比較的女性のほうが傷を負いやすい。少なくとも「妊娠のリスク」というのは、女性のみしか背負えないものだ。また、二人きりの空間で物理的な弱者になるというリスクもある。

未熟さはお互いに責任があるけれど、リスク自体は女性が負いやすいという非対称性を、知識が余りなく男性も女性も思いが至りづらい。

 

「ちさ×ポン」は、そのあたりを深く突っ込んだ希有な漫画だと思う。

www.saiusaruzzz.com

 

 「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」は、「ちさ×ポン」を男性側のみの視点で見た物語だ。だから意味がわからない、話がまったく深まらないまま終わる。

「この年頃は未熟だから、お互いにお互いのことを思い至らず、自分の欲求を優先させがちなのは仕方がない」けれど、大人になったらいくら何でももう少し成長しているだろう。

この話は、大人になっても相変わらず相手の内面には無関心で、自分たちの憧憬ばかり追っている。

 

個人的には「ちさ×ポン」は「ちさ×ポン」で、男側に多くを求めすぎではないかとは思う。未熟さに対する責任は、当たり前だが本人が背負うべきことなので、恋愛感情と性的欲求と相手への配慮の配分を、女性は女性で考えなければいけない。

「王子さまや俺様男が、一途に時には強引に私を求めてくれる話」もいいけれど、そういうファンタジーはファンタジーとして、恋愛における女性側のリスクをきちんと描写している話が増えて欲しい。

www.saiusaruzzz.com

 

「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」は、「内面の区別がつかない、興味もない肉体のみのトロフィーとして扱われること」の不快さを疑似体験させてくれるので、そういう意味では貴重なのかもしれない。

ここまで自分とは違う属性の痛みに鈍感で、その鈍感さに無自覚な話もなかなか珍しいと思う。

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

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  • 作者: ジェフリーユージェニデス,Jeffrey Eugenides,佐々田雅子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
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ただそういう不快さを差し引いても読んでいて退屈だったので、おススメはしない。