「残響」はストーリーやセリフを極限まで切り詰めることで、絵(演出含む)の力でどこまで伝えられるかを挑戦しているように見える。
高橋ツトムの絵は元々大好きだが、「残響」は画を見るだけで様々なことが伝わってきた。「絵の持つ力」を強く感じた。
ストーリーはいたってシンプルで、施設で育ち社会の底で孤独に生きる青年・智が、アパートの隣人の元ヤクザの頼みを聞き、ヤクザがかつて殺した人間たちに香典を届けにいく。
殺した相手であるヤクザの身内に捕まり、そこで知り合った女装の青年・大悟と大悟の甥の魁也と共に、ヤクザと警察から逃げながら旅を続ける。
途中で大悟がヤクザに殺されたため、智は仇討ちを決意する。
ストーリーやセリフは余計なものがそぎ落とされたシンプルなもので、「なぜ、そうするのか」「なぜ、こうなったのか」という説明がほとんどない。
主人公・智の背景も「施設育ちの普通の孤独な人生」とひと言で終わってしまう。感情移入するような生い立ちについての説明や語りなど、叙情が切り落とされている。
智が抱えてきた孤独も絶望も、画でのみ表現されている。
伝えたい何かを強調するのではなく、伝えたいもの以外を色のない世界に退かせることで、鮮やかに浮かび上がらせている。
絵のことは余りわからないけれど、「絵の力」に対する信頼に加えて自負がないと、こういうことはできないのでは感じる。すごいとしか言いようがない。
この話が好きな点は、主人公の智が「卑しい」普通の青年であるところだ。
「孤高のカッコよさ」などはなく、強いものから虐げられて生きてきたから、自分より弱い者を虐げる卑しい人間性を持っている。
お前、この前向こう岸でネコにエサあげていただろ。
やさしくしているように見えてな、目は殺意のかたまりだったぞ。
お前は弱いものを攻撃する男だ。性根が卑しいんだよ。(略)
衝動をぶつけるなら、自分より強い奴に向けろ。
(引用元:「残響」1巻 高橋ツトム 小学館)
守りたい家族ができることで、智は変わる。
智の性根は変わっていないが、独りだったときはただ卑しいだけだった智が、大悟と魁也という家族ができたことで、誰かを守るために強いものに立ち向かうようになる。
智から「我が子」である魁也に伝えられたものは、一般的に考えれば「どうなんだ」と思うものだ。
でも伝わったものの内容ではなく、何かを誰かに伝えること、伝わったという実感自体が、人を強くし生きる力を与える。
智は伝えたい相手ができ、智の何かが魁也に伝わることで、孤独で絶望しかなくこれからもそうだろうと思った人生が、「人の道」になった。
(引用元:「残響」3巻 高橋ツトム 小学館)
銃をぶっ放して人を撃つことで、地図に載っていない「人の道」や「家族愛」を語る。
人から見れば「人の道」に外れることでも、智にとっては家族である大悟の仇討をする自分は「誰かを愛して守るマトモな人間」になれたのだ。
「ブルー・へヴン」が好きで読み直そうと思って、「残響」が気になって買ってしまった。
今度読もう。