うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

史上類を見ない大量殺人「津山三十人殺し」の動機は何だったのか。松本清張「闇に駆ける猟銃」

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昭和13年、岡山県の現加茂町で起こった「津山三十人殺し」。

たった一人の人間がひと晩で同じ集落の人間33人を殺害した事件で、様々な創作でモチーフとして使われている有名な事件だ。

松本清張が関係者の実際の証言や供述を基にして、事件の構図を探っている。

ミステリーの系譜 (中公文庫)

ミステリーの系譜 (中公文庫)

  • 作者:松本 清張
  • 発売日: 1975/02/10
  • メディア: 文庫
 

 

書出しがポーの「アッシャー家の崩壊」やカポーティの「冷血」を例に引いて、話の内容を際立たせる効果的な舞台設定や書出しについて語っている。

本編も、この事件が起こった集落がどんな風景を持つどんな場所だったのか、そこに住む人々の生活や風俗がどんなものだったのか、ということから話が始まる。

目が楽しい自然が溢れるのどかな田舎という雰囲気ではなく、当時は山間の狭い地域にへばりつくようにつくられた、箱に閉じ込められたような陰鬱さが漂う場所、その場所に生まれ育つときどういうことを感じるか、ということが冒頭から伝わってきた。

 

読む前は「村の閉鎖的な環境から生まれた事件だったのでは」と漠然と思っていたが、読んだあとは「関わりはあるが、主因はそこではなかったのかもしれない」と思うようになった。

 

本作の中の調査に基づく事件の概要を述べると、

この集落は元々、性に関しては相当おおらかなところがあった。

後に事件を起こす都井睦雄も何人もの集落の女性と関係を持っていた。

しかし睦雄が肺病を患った(と考えた)ことをきっかけに、女性たちが皆冷たくなり、睦雄に関して一方的に噂話を流すようになった。

陸雄の集落内の評判は悪くなり、そのことを恨みに思い凶行に走った。

 

松本清張も、だいたいこの筋に則って話を展開している。

かなり睦雄に肩入れしているのには辟易したけれど、話としては面白かった。

 

この本に載っている資料のみを見た限りだが、「こう思った」「こうだったのでは」と思ったことがあるので書きたい。

 

睦雄の本来の標的は、一番が姉で二番めが祖母だったのではないかと思う。

「標的」というとやや語弊があり、「殺害を決意するほどの執着の対象」は、元々はこの二人だったのではないかと思った。

「もし、姉が結婚しないで家に残っていたら、睦雄のこの犯行はなかったと思う」(P102)という作者の意見に自分も賛成だ。

女性たちがいくら睦雄に冷たくあたり、村で不本意な噂を立てられようが、姉が側にいたら恐らくこの犯行はなかったのではと思う。

 

「睦雄の犯行の動機は、時本スミに始まったと言っても云い過ぎではない。(略)彼の遺書には、時本スミのことが最も多く書かれている」(P84)と言われている「村人の中で、睦雄が最も恨んでいると言っていた」時本スミは、P84‐P86で推測されている通り、睦雄自身が犯行を予告して逃がしている。

またスミと同じくらい恨んでいると言われていた西田ミネも、スミから「睦雄がこう言っていたから逃げる」と聞かされている。ミネがスミの言葉を信じて逃げていれば、睦雄は「一番憎んでいた二人」を自分から逃したことになる。

この部分だけでも「本当に、時本スミと西田ミネを一番恨んでいたのか」「この二人に代表される村人たちが、本当に恨みの対象だったのか」と不思議に思えた。

 

清張が言う「エイディプス・コンプレックスがあるのではないか」まではわからないけれど、彼が関係を持った女性はある程度、姉の代替だったのではないかとは自分も考えた。

たった一人の肉親だった、という理由もあるだろうが、最後の姉宛ての遺書もやたら長い。

内容は「平凡」(P22)というより、これだけの事件を起こしたにしては、具体的な事柄は書かれておらずやたら抽象的ではっきりしない内容だ。

自分の印象だと「村人の仕打ちなど、具体的な事柄の理不尽さを訴える文章」よりは、「どれだけ辛かったかという自分の内面を姉に訴える文章」に読める。

睦雄は経済的に困窮していたが、コツコツと集めていた銃器弾薬を家宅捜索され没収されたあと、再びこれらを買い集めている。

すさまじい執念だ。

だが遺書を読んでも、この執念の対象がぼんやりしていてはっきりしない。

「一番恨んでいた一人」である時本スミはわざと逃がした節があり、「一番憎んでいたもう一人」西田ミネも取り逃がしても良いような節があった。

この執念がこの二人を始めとする村人たちに向けられていたとは、どうも思えない。

そう考えると「どれだけ辛かったかという自分の内面を姉に訴える文章」を書くために、こんなすさまじい事件を起こした、と考えるほうが自分にはしっくりくる。

 

祖母は「祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ」「あとに残す不びんを考えて、ついああしたことを行った」「楽に死ねるようにと思ったら、余りに惨めなことをした」(P 100)と書いているが、殺し方だけを見ると最も残酷な殺し方をしている。

「一番恨んでいた一人」と言っていた西田ミネでさえ、猟銃で即死させている。同じように寝ていた祖母を、斧で何度も頭部を叩いて殺しているのと余りに落差がある。

殺し方だけを見れば、祖母が一番の憎しみの対象に見える。

祖母は愛情と良かれと思う気持ちから、睦雄を過保護に育てたのだろうけれど、それが睦雄には軛のように感じられ、さらに今の閉鎖的な環境から逃れられないことと重なって、祖母が自分を閉じ込め抑圧するものの一部に見えた。

自分を抑圧するものを叩き割る、ぶち破ると考えると、猟銃で撃つのではなく、斧で何度もたたき割るという殺し方になる。

「あとに残す不びんを考えて、ついああしたことを行った」なら姉もその標的にしなかったのは何故なのか、と疑問が出てくる。嘘をついて里帰りさせても良かったはずだ。

同じ身内でありながら、姉に対しては「どうか姉さんは病気を一日も早く治して、強く此の世を生きて下さい」(P23)と書いているのと比べると、落差が大きい。

 

「自分は病弱という運命を背負わされ、そのため村人から冷たくされている。そのことを恨みに思った」

本当にこういう動機で犯行を起こしたのであれば、

・なぜ最も恨んでいた時本スミを、わざと逃がしたのか。

・どういうことをされた、こういうことを恨んでいると、具体的な事例が遺書に書かれていないのは何故なのか。

「うつべきをうたず、うたいでもよいものをうった」とはどういう意味なのか。

・同じ身内なのに、祖母は「あとに残す不びんを考えて、ついああしたことを行った」のに姉に対しては「どうか姉さんは病気を一日も早く治して、強く此の世を生きて下さい」という落差は何故なのか。(嫁ぎ先の肩身の狭さは、村に残された祖母と大して変わらないと思う)

少し考えただけでも様々な疑問が出てくる。

 

上述したことを考え合わせると、睦雄は「祖母を自分を閉じ込めるもの(物理)と考えており、姉をそこに自分を置き去りにしたと恨んでいた」

だが普通の物の見方である「祖母には自分に対する愛情がありそうしていただけで、育ててもらった恩もある。姉は自分を置き去りにするつもりはなく、ずっと家にいるわけにもいかなかった」という事情が正しいと、頭ではわかっている。

気持ちの行き場がなく積り積もったところに、「自分は病弱という運命を背負わされ、そのため村人から冷たくされている」という「自分が犯行を行ってもいいと納得できる尤もらしい事情」を作る要素が集まったのではないか。

 

「時本スミ」は「姉と祖母」の代替であり、「村の女たち」は「姉と祖母の代替である時本スミ」のさらに代替だった。

村人たちは「自分を閉じ込める要素である祖母を壊し、そんな場所に置き去りにされたことがどれだけ辛かったかを姉に訴えるための尤もらしい理由付け」として殺されたのでは、と思った。

 

こういう事件の本を読むたびに、「本当の理由は本人にさえよくわかっていない」とよく思う。

「冷血」でも一家四人を殺した犯人は、「本当に感じがいい人たちで、最後の最後まで自分がこの人たちを殺すなんて思いもよらなかった」と述懐している。

犯人の中に積みあがった謎の積み木が崩れる瞬間に運悪くいただけ、犯人の中で作られているパズルのちょうどいいピースとたまたま目されただけ、それだけで殺されるなんて、どう考えても理不尽な話だが、そういう話が本当に多い。

 

「心臓を貫かれて」もそんな話だなあ。

www.saiusaruzzz.com

 

冷血 (新潮文庫)

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こちらも購入した。また別の視点で事件を見れそう。

夜啼きの森 (角川ホラー文庫)

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