うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

こんな書評を書いてはいけない。福田和也、石田衣良から学ぶ

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このブログは名前が表す通り、自分が読んだ本、漫画、ドラマ、ゲームなどの感想や考察がメインコンテンツです。

余り細かいことは気にせずに、自分の思ったことを自由に書いていたのですが、先日、石田衣良が語った「君の名は。」の感想に、新海誠が(石田衣良を名指しこそしていないが)不快感を示した、という記事を読んで非常に考えさせられました。

 

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他人の創作物について、色々と感想を語っている側の人間として、いま一度「書評とはどうあるべきなのか」ということを自分なりに考えてみたいと思います。

 

創作物は公表された瞬間、どんな批評をしようが自由である

個人的にはこう思っています。

自分は表題のところに「好きも嫌いも全力で語る」と明記している通り、どんな創作物に関しても、自分の感じたことをそのまま言うようにしています。

 

「すごい面白い」と思ったら、なぜそう思ったのか事細かに語ります。

「まったく面白くない」と思ったら、なぜそう思ったのかを事細かに語ります。

「クソだ」と思ったら、なぜそう思ったのかを事細かに語ります。

 

自分はそういう姿勢が、評価を問うために世の中に公表された創作物に対する(*作者に対してではない)礼儀だと心の底から信じています。

作品を世の中に出したときに、どんな酷評でも評価として受け止め、次の作品で黙らせるのがプロだと信じています。

 

自分が好きな漫画のひとつである、槇村さとるの「恋のたまご」の中でこんなシーンがあります。

恋人の「まっちゃん」と一緒に、有名なお店のランチを食べにきた主人公の眞子。しかし評判に反して、ランチの味はおいしくありませんでした。

「悪いけど私、もう二度とこない」

眞子はそう言いますが、まっちゃんは驚きの行動に出ます。

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(引用元:「恋のたまご」3巻 槇村さとる 集英社)

店長を呼び出して、「これうまくないよ。食べてみな?」と言います。

「うわああ、逆切れされたら、どうするの?」と心の中で眞子は思います。

まっちゃんから差し出されたランチを食べた店長は、こう言います。

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(引用元:「恋のたまご」3巻 槇村さとる 集英社)

「言っていただかなかったら、信用を落としていました」

「必ず名誉を挽回しますので、また来てください。ありがとうございました」

 

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(引用元:「恋のたまご」3巻 槇村さとる 集英社)

驚く眞子に、まっちゃんは言います。

「そのほうが親切でしょう? 当然だよ」

 

まっちゃんはこう言っていますが、これは当然ではないと思います。

自分は技術職で働いていますが、相手が満足のいくものを提供できなかったとき、多くの客は眞子と同じ反応をします。

「ありがとうございます。また来ます」そう言って、二度と来ません。

 

プロというのは、自分で勝手に商品に値段をつけ、「その価値がある結果を差し出す」と見る側に誓約しているのです。誰に強制されたわけでもなく、自分の自由意志でそうすることを決めたのです。

 

「そんなことを言うなら、お前がやってみろ(作ってみろ)」

という言葉をたまに見かけますが、

こういうことを言う人間はプロだと認められないし、仮にも人から対価をとっているプロがこういうことを言ったら、その人の作品やパフォーマンスはその後一切見ません。

対価をもらって何かを他人に提供するということを自分の意思で決めた人間が、こんなことを言うこと自体、恥じて欲しいと思っています。

 

「いいと思ったら、いいと言う。ダメだと思ったら、ダメだという。そして、なぜそう思うのか説明する」

プロが値段をつけて公表し、世間に対して評価を求めた創作物に対しては、こういう姿勢で挑むのが礼儀であり、誠意だと信じています。

 

今の時代は筋違いの批評に関しては、「それは読み方がおかしい」「これはこういう意味だと思う」というような反論が別のところからあがります。(自分みたいにクソうるさい人間が、こういうことをしょっちゅうしています。)

なので創作者は、何の憂いもなく創作に集中して欲しいと思います。

 

「これだけはしてはいけない」と思うことがある

以上が、自分が創作物の感想を書くにあたっての基本姿勢です。

作品自体は本当に「こうである」と思ったら、どれほど酷評してもいいと思っている自分ですが(その酷評に対して批評もくると思うし。)決してこれだけはやってはいけないと思うことがあります。

 

作品ではなく、作者という人間を評価すること。

です。

 

福田和也の「作家の値うち」という書評本がありますが、今まで見たどんな書評よりも面白いです。福田和也は極端な思想を持った人なので、書評にもそれが色濃く反映されています。

創作物の感想は、しょせん公平に書くなんていうことは不可能で、感想を書く人間の感情や価値観が色濃く反映されていればいるほど面白い、と思うのですが、「作家の値うち」その最たる見本です。

 

当時の主な作家の主要作品を、100点満点で採点して感想を書いているのですが、賛美も酷評も極端なので読んでいて飽きません。

 

例えば、藤原伊織の「テロリストのパラソル」29点

かつて全共闘運動に従事し、挫折してから天才ボクサーとなり、今はアル中のバーテンダーなのだが、イノセントな若い娘に惚れられているという全共闘世代の妄想がテンコ盛りになった作品。そういう性向を持った人には、堪えられない世界なのだろう。

  (引用元:「作家の値うち」福田和也 飛鳥新社)

「テロリストのパラソル」に関しては、自分もまったく同じことを思いましたが、さすがにここまでは言えません。

 

最高評価を与えている村上春樹に関しては、こんなことを書いています。

現存作家の中で最高の資質と実力を持つだけではなく、近代日本文学のあり方そのものを変えた大きな存在である。村上春樹の名前に指を屈することで、かろうじて日本文学についての希望を、未来を描くことができる、という感慨すらある。

   (引用元:「作家の値うち」福田和也 飛鳥新社)

こんなに褒められたら、むしろ恥ずかしくなっちゃいますね。

 

「作家の値うち」は、その批評に賛成するかどうかはおいておいて、読み物として抜群に面白いです。

ただひとつ見逃せないのが、たまに人格攻撃すれすれのことを書いている点です。

大江健三郎の項は、完全にアウトだと思います。

出版社も、なぜこれで出版に踏み切ったのか、理解に苦しみます。

 

こういう観点から、先日、話題になった石田衣良による「君の名は。」の批評は、批評として公表してはいけないラインのものではないかと考えています。

 

他人をコンテンツ化してしまう人

この件の石田衣良のように、作品というコンテンツではなくその作り手(の人格)をコンテンツ化して語ってしまうケースをたまに見ます。

 

自分がまったく関係のない赤の他人の人格や経験、思考を無責任に分析して語る、これはやってはいけないことだと思います。

ただ創作物の場合は、作り手の経験や思想が色濃く反映されるので、非常にこの分離は難しいです。

 

非常に難しいのですが、あえて線引きをすると

その創作物から読み取れる思想を語る、

これはいいと思うのですが、

その思想がどういう経緯で生まれたかを、作り手の人格や経験を推測して語る

これはアウトだと思います。

 

自分も気をつけているつもりですが、このブログでも「否定的なニュアンスで、創作者の人格に言及してしまっている」と感じている部分が何か所かあります。

あからさまな誹謗や中傷ではないので、自戒をこめて残しておいています。

 

この件に関しては「褒め言葉のつもりだったのではないか」という意見も見ました。

個人的には例え褒める意図だったとしても

他人の人格や内面、人生や経験を分析して、あたかも分かったような顔をして語るのは、非常に不快な行為だと感じます。

「自分の生きてきた過程が、よく知りもしない人間に瞬時に理解できるはずがないし、数少ない言葉で語りきれるはずがない」そう思うのが当たり前だからです。

 

本来は複雑で、完全に理解することなど不可能であるはずの「他人という存在そのもの」を、勝手に分析して勝手に理解したような気持ちになって語ってしまう。

こういう、人によっては耐えがたい行為をしてしまうのが、「他人をコンテンツ化してしまう人」です。

 

一般的には失礼な行為だと思いますが、こと創作者に関しては本当に難しいと思います。

どこからどこまでが、その作品に関わる思想なのか、どこからどこまでがその人の人格と呼びうるものなのか。

創作者の思想や環境や経験から生み出された創作物を、そこを言及せずに深い感想や批評を書くことが可能なのか。

 

微妙な線引きですが、今後、様々な創作物の感想を書く上で大事な問題だと思うので、自分なりのガイドラインを書き残しておこうと思います。

 

①創作物自体の批評は、本当にそう思ったのならばどんな酷評でもOK。ただしなるべく「なぜ、そう思うのか」を第三者に分かるように説明する。したがって、意味をなさない暴言の類はNG。

②創作者の人格、環境、属性などを攻撃する、否定することはNG。

③創作者を意図的に否定、攻撃するためでなければ、人格、環境、属性などに言及することはいい。ただし本人がそのことについて言及することに不快感を表している場合(もしくはそう推測できる場合)はNG。

 

「外食する」ということに例えてみる

レストランにご飯を食べに行って「まずい」というのは、中傷目的ではなく本当にそう思ったのならばOK。

ただしなぜマズいと思ったのかは説明する。

 

「こんなマズい料理を作るなんて、料理人が女だからだ。女はホルモンバランスが乱れやすいから、味覚もおかしくなりやすい」

「料理人が日本人じゃないからだ。日本人以外に、真の日本料理は作れない」

「料理人が中卒だからだ。料理には知性も必要だから学歴も大事だ」

などは人格、属性攻撃にあたるためNG。

 

「おいしい」と感じて褒め言葉で、

「作る人が女性だと、繊細な味が出しやすいのかもしれない」

これはOKだが、本人が「女性であること」に言及されたくないと言った場合はNG。

すごく微妙な違いなのだが、これが

「作る人が女性のほうが、繊細な味が出しやすい」となると、言外に男性の料理人への攻撃になるので、なるべく気をつける。

 

すごく細かい微妙なニュアンスの問題ですが、言葉というのはニュアンスひとつで、意味の取られ方が変わるので、多くの人に公表しているということを鑑みて、できうる限り気をつけていきたいと思っています。

 

自分がこのブログを書いている目的のひとつに、「自分がいいと思ったものを世の中に広めたい」という思いがあります。

そこには、「すすめる人間がどういう人間か」「批評する人間の信用度」というものも大きく関わってくると思います。

記事を読んだ人から信頼してもらえる批評を目指したいと思っています。

 

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