うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【小説】 無人島で少年たちが殺し合う 暗黒版十五少年漂流記「蠅の王」と子供のころの思い出

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ノーベル賞作家ウィリアム・ゴールディングの処女作で、暗黒版十五少年漂流記の愛称で親しまれている「蠅の王」の感想。

 

「蠅の王」あらすじ

未来の戦争の最中に、疎開する少年たちを乗せた船が難破する。

無人島に漂着し助かった少年たちは自分たちで規則を決め、助けを待つことにする。

しかし少年たちの一人・ジャックとその仲間たちは、大人がいない島で規則に従うことを拒絶する。

ジャックたちは島の中で自由に生きることを望み、やがて獣性に目覚めて行く。                     

 

感想と子供のころの話

「蠅の王」は今まで読んだ物語の中でも一、二を争うくらい好きな小説だ。

理由が二つある。

 

一つ目は、情景描写が非常にうまいところだ。

例えば、灯りひとつない真っ暗な無人島の浜辺で、子供の一人が「獣は海からくる」と泣きながら言ったときの真夜中の海面の描写やそのとき子供たちが感じた恐怖の描写。空からパラシュートを付けた兵士の死体が無人島に落ちてくるときの不気味な描写など、ひとつひとつの描写が美しいうえに、恐怖心や不気味さを的確に煽る。

「蠅の王」は、日本語訳が余り評判がよくないようだが、訳文でこれだけ素晴らしい描写であれば、原文の文章も良いのだろう。

 

もう一点は、これほど子供の生態を正確にとらえた物語は他にないところだ。

「子供が、これほど残酷になるのか」とか「人間の原始的な悪を描く」とかそういうことではなく、もともと子供はこういう生き物だと思う。

子供は大人が考えるよりも、ずっと残酷で計算高いし、ずっと狡猾だし、ずっと自己中心的だ。

「子供ってかわいいよね。天使だよね」ということを言う人は、冗談で言っているんだろう、ずっとそう思っていた。

 

「蠅の王」では、一人だけ現実的な考え方をするピギーの言葉を、ピギーが眼鏡をかけて小太りで滑稽な外見をしているというだけで、誰も真面目に聞こうとしない。

主人公であるラルフでさえ、ピギーの言うことを取り合わず、ピギーが困らされている様子を笑ったりする。

子供のときの力関係ってこういう感じだよなあ。そういう納得しかない。

ゴールディングは、子供のことを良く知っていると思う。

 

大人の場合は長期的な損得勘定や打算が加わるので、あからさまには出さないだけで、子供も大人も、人間が持つ残酷さというのは一緒だ。

社会の中で残酷さを出しても、結果的に自分が損をすることが多いと分かっているために大人は残酷さを押さえつけることができる。これが、社会性と呼ばれるものなのかもしれない。エネルギー量が、子供に比べて少ないということもある。

子供はその場の状況判断だけで、エネルギーの暴発するままに残虐な行為を行ったりする。先のことよりも、目の前の現実で頭がいっぱいになりやすい。

 

子供は、その場限りの状況判断をすることが多い、力関係に敏感な、自己中心的で残酷な生き物だと思っている自分にとっては、「蠅の王」の子供たちは「子供ってこうだよな」と思う姿そのものだ。

 

物語の中で犠牲になるのは、滑稽な外見でいながら聡明な言葉を発するピギーと、勇気をもって一人で悪の象徴である蠅の王と対峙するサイモンだ。

これも、子供社会の縮図だ。

正しさや真実が称賛されるのは、大人が作った理屈の世界であり、子供の世界では、大人の規制さえなければそんなものは一顧だにされない。

子供の世界で重視されるのは、どれだけ空気が読めるかどれだけ楽しいかひと目でわかる能力、そういうものだ。

ピギー(聡明さ)やサイモン(正しさ)の存在が重んじられるのは、社会というものが形成されている大人の世界においてだ。子供たちだけの無人島では、そんなものは何の役にも立たない。

 

ピギーは小太りで運動音痴の間抜けな奴、サイモンは空気の読めない変わった奴、子供の世界では真っ先に淘汰されて駆逐されるか、もしくは残虐性の標的になる存在だ。

「蠅の王」の中では露骨だが、似たような光景を子どものときによく見た。「蠅の王」を読むと、そんな子供時代の記憶がよみがえってくる。

 

子供のころの自分は「人間未満」だった。

大人になってようやく、自分のやりたいことができ、自分の時間を自由に使え、色々な人に接することによって、他人の気持ちを想像できるようになった。

「自分が行きたくもない場所に行き、いたくもない人間といて、やりたくもないことをやることが、当たり前のことだ」と思っていた子供のときには、二度と戻りたくない。

ゴールディングの中の子供像は、自分の子供のときと同じものだ、ということにほっする。

「蠅の王」は自分が子供だったときの気持ちや残虐さや環境を思い出させてくれる、そしてそんな自分を分かってくれる本だ。

 

人間の原型である子供のこういう姿を描くことによって、人間が本来持つ残酷さや愚かさを認めた上で、人間や社会というものを考えていかなければいけない。

頻発する未成年の残酷で痛ましい事件を見ていても、そう思う。