NHK大河ドラマ「真田丸」第40回「幸村」の感想です。
前回第39回「歳月」感想はコチラ↓
且元無念
国家安康、君臣豊楽キターーーーーーー(゚∀゚)
今回は、家康が豊臣家を攻めるための口実とした「方広寺鐘銘事件」を描いています。真田丸ではどう描くのか楽しみにしていました。真田丸は事件の解釈にせよ、人物像にせよ、いい意味で従来の見解を裏切る、独自の解釈を見せてくれてきたので。
と思ったら、鐘銘事件に関しては、ほとんど通説通りでしたね。
家康の策略にまんまと引っかかった茶々と大蔵卿局が且元を責めたてて、且元が保身のために家康側に走り、家康はそれを口実に大阪城を攻めるという筋書きでした。
真田丸の且元は、平凡でお人好しの心優しい忠義者なので、茶々と大蔵卿局がよりいっそうひどい描かれ方になっています。
且元に家康との交渉を任せておきながら、且元に一言の断りもなく大蔵卿局も家康に接触させる。
これさあ、現代の仕事でも絶対にやっちゃいけないことですよね。
こんなことをしたら、部下は仕事へのモチベーションも上司への信頼も、組織への忠誠心も全て失いますよ。
この一事をとっても茶々という人は、人の気持ちの分からない人なんだなと思います。真田丸の茶々はさらに追い打ちで、「且元には策略を考えるような、才も度胸もない」なんて言っていますからね。
自分だったら、「私たちのことを、全力で裏切って♪♪」って言っているのかな??と思います。
歴史の経緯を見ても、家康という人は、こういう人間の心の機微を誰よりもよく知っていたのだと思います。
いっぽう、大阪側は「どんな無茶苦茶な言いがかりでもいいから、難癖をつけて豊臣家を攻める口実が欲しい」という家康の思惑が見抜けず、「じかに話せばわかってくれる」なんてのんきなことを言っている。
しょせん、家康の敵じゃなかったんでしょう。滅ぶべくして滅んだのだと思います。
そして、こんな無茶苦茶な言いがかりをつけられても、何も言えない、誰も何も言える人がいない時点で、家康と秀頼の勝負はとっくについています。
あとは自分から一大名の立場に退いて、保身を考えるしかなかったのだと思うのですが。
そういう仲介を頼める人間もいなかったし、そういう知恵を授けてくれる人も誰もいなかったのはそれまでの危機感が足りなかったのでしょう。
真田丸では北政所と茶々の確執はほとんど描かれていませんが、そういう仲介を熱心にしなかったところを見ても、余りいい関係ではなかったんだろうなと推測できます。
真田丸の北政所は、この辺りはどう考えているんでしょうね。余り興味がなさそうだな。
淀の方というのは、だいたいのドラマで愚かで女性的な女性として描かれますが、真田丸の場合は、いい女風に描こうという片鱗が見られるところが逆に作用してしまい、輪をかけてヒドイことになっています。
清韓の芝居を見ると、「ひょっとして、こいつは家康の回し者という裏設定があるんじゃないか?」と勘繰りましたが、素でああいうキャラみたいですね。面白かったけれど、よくわからないキャラ設定でした。
真田幸村誕生
真田幸村が誕生するまでの経緯は、しびれました。
キリはすごい女だな。
キリにずけずけ言われて、源次郎は「うっとうしいんだよ、お前は(# ゚Д゚)」とキレていました。こんなに純粋に「怒り」という感情をあらわにするのも、自分の素を出せるのもキリに対してだけなんですよね。
春に対してはすごい遠慮しているので、絶対にこんな風にキレることはないと思います。
源次郎「それが私の幸せなんだ」
キリ「あなたの幸せなんて聞いていない。そんなの関わりない。あなたは、何かひとつでもこの世に残してきたの??」
この会話、すごいなと思いました。
幸せはとても貴重だし価値あるものだし、「幸せであることが一番大事だ」という人の気持ちもとてもよくわかります。
ただ、自分個人としてはやはり「男の一生は、何を為したかで決まる」(By燃えよ剣)という言葉に共感します。
別に後世に残るようなことをしなければならない、というわけではなく、「自分の生き方ができたかどうか」に生き方の基準を置きたいということです。
「燃えよ剣」は時代が時代なので、「男」と言っていますが、現代は「人間」と置き換えていいと思います。
「幸せであることは何よりも尊いことである」という前提さえすっ飛ばして、「お前には、そんなころよりも大事なことがあるだろう」と喝を入れる。
こんなちょっと聞いただけだとぎょっとするようなことも、キリが源次郎のことを本当に理解しているから言えるのだと思います。
自分のことを理解し、自分では自分に認められないことも、自分のために言ってくれる。例え、自分がキレようが、怒鳴ろうが、自分に嫌われることも厭わずに耳に痛いことをはっきりと言ってくれる。
こんな人がずっとそばにいてくれるなんて奇跡だよ。
しかも外見が長澤まさみだよ。源次郎が羨ましすぎて、気絶しそうでした。
人が人を完全に理解することが不可能なら、自分に対して、その不可能なことを試みてくれる人はありがたい存在だと思う。
— うさる (@usaruzzz) 2016年10月12日
たとえ、最後は理解してもらえなかったとしても。
自分とは違う存在を理解しようとする試みこそ、愛だよ。
キリは源次郎を本人以上に理解していますが、仮に理解していなかったとしても、誰かが自分のことを「理解しよう」としてくれるだけで、それは本当にありがたいことだと思います。
他人である以上、人が人を完全に理解することなどありえないし、不可能だ。
自分はそう思います。
しかしその不可能なことを、不可能と知っていてもなお試みることが愛なんじゃないかな?と個人的には思っています。
「人が人を完全に理解することなどできない」そう知っていても、「この人のことを理解したい」そう望むことが愛なのだと思います。
キリは、心の底から源次郎のことを愛しているし、これからも愛し続けるのだろうと思いました。
春や梅には悪いですが、やはり源次郎にはキリが最高のパートナーで、真田丸のヒロインはキリなのだろうと今回で思いました。
源次郎は色々なことを思い出しながら、「幸村」という名前を決めます。
源次郎信繁は信濃の国の真田家の次男、でも、「真田幸村」はそれだけではない様々なものでできています。色々な人との出会い、経験、受け取った思いが信繁に加わって、「幸村」になったのです。
「大事なことだからクジで決めるのだ」
かつての昌幸パパと同じことを言って、「九度山村」の「村」の字を引いたとき、胸が熱くなりました。
「幸村」という名前には、源次郎の今までの生の全てが詰まっている。
この名前で、いよいよ人生の集大成に向かいます。
今までも素晴らしいドラマでしたが、ここ最近の展開は神がかっています。
源次郎の「幸村」としての生きざまを、見届けたいと思います。