うさるの厨二病な読書日記

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【小説】5分でわかる司馬遼太郎「項羽と劉邦」

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司馬遼太郎の小説の中で最も好きな「項羽と劉邦」を紹介します。

 

*この記事は史実そのものではなく、司馬遼太郎の歴史小説「項羽と劉邦」の紹介と解説です。

 

 

 「項羽と劉邦」あらすじ

紀元前210年に始皇帝の死に、彼が創始した秦は急激に弱体化した。

大陸の全土で「陳勝・呉広の乱」をはじめ反乱が起こり、再び乱世になった。

 

横暴だった秦帝国打倒のために、立ち上がった者たちの中に二人の男がいた。 

一人は項羽。

大陸の南、楚の名家項家の出身であり、祖父に名将軍と名高い項燕を持つ。

楚には珍しい大男であり、武勇に秀でていた。

もう一人は劉邦。

沛という片田舎の百姓の家に生まれた酒と女が大好きなろくでなしで、家族からもごくつぶしと疎んじられていた。

 

秦が滅亡したあと、二人は大陸の覇権をかけて争うことになる。

 

「項羽と劉邦」主な登場人物

 

劉邦(りゅうほう)

字は季。

名前の邦が「あんちゃん」くらいの意で、字の季は「末っ子」という意味なので、「劉家の末っ子の兄ちゃん」くらいの意味。

皇帝になっても「劉家の末っ子の兄ちゃん」という名前で通したところが、「劉邦の面白いところだ」と司馬遼太郎は語る。

漢帝国の創始者。高祖。

 

四十代まで、ろくに働きもせずに、酒場に入りびたり、仲間や子分を相手に法螺ばかりふいている生活を送っていた。

当然、家族には冷たい目で見られている。

遊び歩いている劉邦を心配した蕭何が、劉邦に亭長という役職を斡旋する。

都の工事のために人を送り届ける任務なのだが、劉邦はろくに見張りもしなかったため、人足の大半が逃げてしまう。

秦の法律は厳しく、人足を送り届けなければ劉邦が処刑されてしまうため、ほとんど成り行きで仕方なく反乱を起こすことにする。

 

劉邦は無学で、口が悪く、教養もなく、働くのが大嫌いな、酒と女が大好きなだけの男だったが、何故か人(特に同性)に好かれる不思議な魅力があった。中国史上に二人だけいる、農民から皇帝に上りつめた男になる。

 

 

漢の三傑

一見、何の取柄もない百姓出の劉邦の下に、たくさんの有能な人材が集まったために、天下がとれたという点が、「項羽と劉邦」の面白さのひとつである。

 劉邦の配下で特に有名なのが「漢の三傑」

それぞれの分野で、この時代どころか、歴史上最高クラスの才能を備えている三人が、奇跡的に劉邦の下に集まる。

軍事の韓信、智謀の張良、行政の蕭何である。

この三人の誰が欠けても、恐らく劉邦は天下をとれず、歴史は変わっていたと思われる。

 

韓信(かんしん)

漢の三傑の一人で、軍事的天才。「背水の陣」のエピソードが有名。

淮陰の生まれ。

働かず、人の家に入り浸っては食べ物と寝る場所を恵んでもらうという生活を続けていたため、すごくバカにされていた。

ある時、街の不良にからまれて、「ここを通りたければ、その腰の剣でオレを斬るか、それともオレの股をくぐっていけ」と言われて相手の股をくぐった「股くぐりのエピソード」がある。

なぜか項羽も劉邦も、このエピソードを知っている。

 

秦の滅亡後、最初は項羽に仕えようとしたが、「股くぐりのエピソード」を知っている項羽は韓信を重く用いなかった。

韓信の才能を見抜いていた側近の范増が

「重く用いないなら、韓信を殺せ。さもなくば、後日必ず脅威になる」

と項羽に言ったため、韓信は項羽の陣営から逃げ出し、劉邦の下へやってくる。

 

劉邦の下で大将軍の地位についた韓信は、次々と他国を攻め滅ぼし、その力は項羽と劉邦に並ぶどころか、しのぐ勢いになる。

漢帝国を創設後、劉邦が韓信の力を恐れ冷遇したため反乱を起こすが、失敗し処刑される。

 

張良(ちょうりょう)

字は子房。漢の三傑の一人。 

戦国時代の国、韓の宰相の家の出身であり、旧主である韓の再興と秦への復讐に執念を燃やしている。

政戦略や謀略面に優れる劉邦の知恵袋で、窮地を何度も救う。

「少女のように優しげな容貌」「病弱」という外面からは信じられないほど執念深く、苛烈な性格というギャップが魅力。

漢帝国統一後は、導引術に凝り、仙人を目指すために食事を断った。そのために衰弱死する。

 

秦を滅ぼして宮廷に入ったとき、女好きの劉邦が宮女を襲おうとしたが、劉邦が女を押し倒しているところにかがみこんで説教したというエピソードが、なかなかシュールでいい。

三国志の曹操が荀彧が自分の配下になったときに、張良が劉邦に仕えたことになぞらえて、「わしの子房が来た」と言って喜んだエピソードも有名。

 

蕭何(しょうか)

漢の三傑の一人。中国史上最大の能吏(民に優しい役人)と称えられる人。

元々は劉邦と同じ沛の出身で、下級役人をしていた。

ぶらぶらしている劉邦に亭長の地位を斡旋したり、亭長の地位を捨てて逃げ出した劉邦をかくまったり、沛公として擁立したり、不遇な時代から劉邦を支えていた。

劉邦が漢王になった後は、丞相となり、内政を一手に引き受ける。国を富ませ、項羽と戦う(そして負ける)劉邦に食料や兵を送り続け、懸命に支え続けた。

 

関中に攻め入って秦を滅ぼしたとき、他の者たちは金銀財宝や宮廷の美女たちに群がったが、蕭何だけは真っ先に文書殿にいって戸籍や法律書などを運び出したエピソードが有名。

 

沛出身の部下たち

劉邦の故郷の古なじみで、挙兵のころから劉邦に付き従う。

みんな劉邦が大好きで「劉あにい、劉あにい」と慕っている。

 

盧綰(ろわん)

劉邦の幼馴染で弟分。劉邦大好き人間その1。

父親同士が仲がよく、劉邦の幼馴染に生まれたばっかりに、

「幼いころは悪戯の手伝いをさせられ、長じては悪事の加担をさせられ、そのおかげで劉邦が帝国を起こしたときに、長安侯にしてもらい、さらには燕王に封ぜられた」

(司馬遼太郎「項羽と劉邦」より引用)

 

劉邦の死後は呂后の粛清を恐れて、匈奴に亡命した。

劉邦に謀反を疑われても、最期まで劉邦を慕い、信じ続けた。

 

樊カイ(はんかい)

沛の出身で、劉邦や盧綰の幼馴染で盧綰とは親友。劉邦大好き人間その2。

劉邦の妻の妹を妻としたため、劉邦とは義兄弟でもある。

もともとは犬の殺すことを仕事としており、劉邦の軍の中では武勇に優れている。

 

周勃(しゅうぼつ)

沛の出身で、劉邦の古なじみ。葬式屋。劉邦大好き人間その3。

 

夏侯嬰(かこうえい)

沛の出身で、県に仕える馬丁。劉邦大好き人間その4。

劉邦にふざけて剣で切りつけられたときも、劉邦をかばって犯人を明かさなかった。そのため、罰として一年間、牢に入れられたことがある。(劉邦は速攻で逃げた。)

 

曹参(そうしん)

字は敬白。沛の役人。蕭何の部下で仲がいい。

漢帝国では蕭何の死後、二代目の相国(臣下の最高位・大臣)となる。

 

王陵(おうりょう)

沛の豪族。いっときは、劉邦は王陵の配下にもなったことがある。

劉邦の配下となったあとは、項羽の人質になっていた劉邦の妻子と父親を救い出す。そのため、自分の母親を項羽に殺された。

 

雍歯(ようし)

沛の豪族で王陵と仲がいい。劉邦のことが大嫌い。

一度は劉邦の配下になったが、すぐに裏切る。そのあと、再び劉邦の配下となった。

劉邦が皇帝となったとき、部下たちが「親しい者にしか恩賞が与えられないのではないか」と動揺したことがあった。

劉邦は自分が「殺したいほど恨んでいる」雍歯に真っ先に恩賞を与えることで、部下たちの動揺を抑えた。

 

その他の部下たち

 酈食其(れきいき)

劉邦が天下をとったら、儒教を世の中に広めたいと願っている儒者の老人。外交が得意で、韓信と仲がいい。

斉との交渉に失敗し、煮殺される。

 

陳平 (ちんぺい)

劉邦の配下で名参謀。張良よりも、謀略面で優れている。

劉邦に仕えた当初、厚遇されたため、周りからさんざん陰口を叩かれる。「嫂と密通した」「賄賂を受け取っている」などと言われる。

ぜんぶ本当のことだが、理路整然と反論したために大事にならなかった。

 

 呂后

本名は呂雉(りょち)。劉邦の妻で、漢帝国の皇后。中国三大悪女の一人。

もともとは裕福な家の出で、父親の呂公が劉邦の将来性を見込んだため、その妻となった。

劉邦はあちこちを放浪し戦い続けていたため、呂雉は基本的には劉邦の実家に預けられっぱなしだった。意地悪な嫂にいびられたり、劉邦の父親たちと一緒に人質になったり、色々な苦労をする。

 

劉邦の死後、息子が二代目皇帝恵帝となったため、その後見として権力を握る。

劉邦が晩年に寵愛した戚夫人の四肢を切断し、目玉をくりぬき、耳と声をつぶし、便所に落として、そこで蠢く戚夫人を「人豚」と呼んだエピソードが有名。

 

 項羽軍

項羽(こうう)

本名は項籍。字が羽。

中国大陸の南に存在していた楚の名家、項家の出身。

恵まれた体躯を持ち、武芸に秀でていた。劉邦よりは一回り以上若い。

叔父の項梁に付き従い、秦打倒のために兵を起こした。

三国志でいうと、呂布並みに戦闘力がある。

 

劉邦との対比として、「親族以外を信用しない」「他人の言うことに耳を傾けない」「感情の起伏が大きく、敵に容赦しない」などの欠点があげられる。

そのため范増以外の部下に余り恵まれず、最後の決戦である垓下の戦い一回の敗戦で、劉邦に天下を奪われ、命を落とす。

 

范増(はんぞう)

項羽の叔父・項梁の側近で、項梁の死後、項羽にそのまま仕えた。

項羽からは亜父(父に次ぐもの)と呼ばれ、部下でありながら、非常に尊重されていた。

すさまじい智謀を持ち、劉邦の真価を見抜き、再三再四にわたり殺そうとする。

劉邦と初めて対面したとき、余りの圧倒的な運気の大きさに驚き、「真に仕えるべきはこの方であったか」と述懐する。

最後は張良の策に引っかかった項羽に疑われるようになり、自ら、項羽の下から去った。

 

項伯(こうはく)

項羽の伯父。張良の親友で、殺人罪で追われているところを匿われたことがあり、恩義を感じている。そのため項羽が劉邦を殺そうとした「鴻門の会」で、身体をはって劉邦を窮地から救う。

 

英布(えいふ) 

若いころ罪を犯したため、額に刺青がある。そのために、黥布とも呼ばれる。

残忍な性格で、秦の捕虜二十万人を、崖から追い落として処刑する。

項羽から冷遇されるようになり、劉邦に寝返る。

 

彭越(ほうえつ)

元は漁師で、盗賊稼業も営んでいた。

その稼業を項羽から嫌われ冷遇されたため、劉邦に寝返る。

後方攪乱が得意で、劉邦を追い詰めようとする項羽の背後を、常に脅かし続けた。

 

始皇帝が創設した国で、項羽と劉邦の初めのころの共通の敵。

もともと二人は、この秦を倒すために挙兵した。

始皇帝が滅んだあと、内部紛争と反乱により瓦解する。

 

趙高(ちょうこう)

中国史上最大の佞臣と名高い宦官。

始皇帝の末子胡亥の教育係だったために、胡亥を皇帝にしようとして陰謀をめぐらせる。胡亥が二代目皇帝になると、絶大な権力を握って宮廷を支配する。

宮廷の人々の前に鹿を連れてきて、「自分はこれが馬だと思うのだが、みなはどう思う?」と聞いて、「鹿」と答えた人間を皆殺しにした「馬鹿」のエピソードが有名。

 

李斯(りし)

字は通古。秦帝国の宰相

法家主義者で、法によって治める国作りをした。

始皇帝の死後、趙高の口車にのせられて、胡亥を二代目皇帝にする陰謀に強力する。

最後は趙高との権力闘争に敗れ、一族皆殺しにされる。

 

章邯(しょうかん)

秦末期の将軍。

主だった将軍は趙高が全員粛清してしまったため、文官の身で軍を率いることになる。

反乱軍相手に連勝したが、最終的には秦本国の支援を受けられなくなり、項羽に降伏する。

項羽は章邯たち将軍の命は助けたが、兵士は皆殺しにしたため、章邯は故郷の秦の人々から深く恨まれるようになってしまう。

 

「項羽と劉邦」はここが面白い。

司馬遼太郎の小説が大好きなのですが、その中で「項羽と劉邦」が一番好きです。

「項羽と劉邦」の最も魅力的な点は、

名家の出身で呂布並みの武力を持つ若武者の項羽、

普通の農家に生まれて、四十になってもろくに働きもせずに仲間と飲んだくれてばかりおり、家族からも「ごくつぶし、ろくでなし」と言われていた劉邦。

この二人が大陸の覇権をかけて争い、何故か劉邦が勝って皇帝にまでなってしまうというところだと思います。

 

しかも、覇権を争う過程の中で、劉邦は終始劣勢です。

何度も何度も負けて窮地に陥り、何度も何度も「もういやだ。誰かに代わって欲しい」と思いながら、最終的には漢帝国の創始者として歴史に名前を残します。

 

いったい、何故なんだろう??

四十までただの人好きのする法螺吹きのぐうたら男だった劉邦のどこに、農民から皇帝にまで上りつめるものがあったのだろう??

劉邦が持っていたものとは何だったのか??

「項羽と劉邦」の面白さというのは、最終的にはこの一点に集約されると思います。

 

劉邦は、非常に配下に恵まれています。

「劉邦はどこに行っても、劉邦好きの人に出会う運命のようだ」

小説の中ではそう語られ、理屈抜きで「劉邦が大好き」という人がたくさん出てきます。

司馬遼太郎は、この原因を「劉邦のかわいげ」ではないか?と説明します。

 

自分が牢屋に入れられても劉邦のことをかばい通す夏侯嬰のことを不思議に思い、蕭何が夏侯嬰に「なぜ、劉邦のためにそこまでするのだ」と尋ねます。(ちなみに劉邦は、速攻で逃げています。)

すると、夏侯嬰はこう答えます。

 

「あっしがいなければ、劉あにいはただの木偶の坊ですよ」

 

蕭何はこの言葉で「劉邦とは何者であるのか。劉邦の魅力とは何なのか」を知るのですが、自分もこの言葉で「劉邦の魅力」が分かりました。

同じ司馬遼太郎の小説の中で、「男が命を賭けるのは、自分の真価を知っている人のためだ」というセリフがあったと思うのですが、恐らくここに通じると思います。

 

劉邦というのは、

「自分の価値を発揮させてくれて、それを自分自身に実感させてくれる存在」

なのだと思います。

どんな人でも、劉邦の配下になると、自分の真価を極限まで発揮できる。

何故なら、劉邦は何もできないから。ただの木偶の坊だから。

「自分たちが何とかしてあげなければならない存在」

それが劉邦の最大の魅力なのだ、と小説「項羽と劉邦」では語られています。

 

現代以上に自己実現が難しい時代で、劉邦という「自分の価値を発揮させてくれる存在」は非常に貴重だったのだと思います。また劉邦には、「劉邦のために、自分の真価を極限まで発揮したくなる」ような可愛げもありました。

 

「項羽と劉邦」の中にはいくつも好きなシーンがあるのですが、そのひとつに張良が劉邦の下に帰ってきたときに、劉邦は嬉しくて仕方がなくて、偉い身分なのにも関わらず、帷幕から飛び出して張良を出迎えます。

自分に再会できた喜びを全身で表している劉邦を見て、張良は「この人はこれだからいい」と嬉しく思います。

 

誰だって、自分に会えてすごく喜んでいる人を見たら、嬉しいですよね。

劉邦は恐らく、こういうことが自然にできる人だったのだと思います。

 

なぜ、劉邦の下に人が集まるのか?

なぜ、劉邦は天下をとれたのか?

その要因である「かわいげ」が読者に伝わるかどうか、小説「項羽と劉邦」の成否はこの一点にかかっていたと思うのですが、それが見事に成功しています。

 

四十代の法螺吹きでだらしない、酒好き女好きの怠け者のおっさんですが、劉邦はとてもかわいいです。劉邦はそのかわいさを武器に、時の時流に乗って、ただの怠け者のごくつぶしから中国大陸の皇帝になった。

そのカタルシスが、「項羽と劉邦」の最も面白い点です。

 

この時代に生まれなければ、劉邦は故郷の町で飲んだくれて一生を終えていたでしょう。

項羽とも、一生出会わなかったに違いありません。

 

逆に李斯や章邯のように、どれほど豊かな才能を持っていてもその才能にふさわしい人生が送れなかった人も出てきます。

「項羽と劉邦」を読むと、人間の真価は、死ぬギリギリまで誰にも分からない、そう思わされます。