「銀と金」とは
「カイジ」や「アカギ」で有名な福本伸行が、1992年から1996年にかけて「アクションピザッツ」に連載していた漫画。(文庫版は全8巻)
天涯孤独で定職にもつかずふらふらしていた森田鉄雄(髪を結んだカイジ)が、平井銀二(オールバックのアカギ)という男に声をかけられ、頭脳を使って巨額の金をつかみとっていくというお話。
対象となる事件が株の仕手戦や絵画詐欺、ポーカー、殺人鬼との心理戦など多種多様である、1エピソードが比較的短めにキレイに纏まっている、などから、福本伸行の最高傑作だという声も少なくない。
「銀と金」は名言・名シーンの宝庫だ
「銀と金」は、作者の経験からきたのであろう人間に対する洞察や人生訓が数多く含まれている。基本的にはエンターテイメントに徹しながら、その底には作者独自の哲学が感じられる。
人生哲学が感じられる数々の名言、名シーンの中から、特に自分が好きなものをベスト10形式で紹介したい。
10位
彼は出会った者の財産・未来・良心を喰いちらかす。この世で最も性悪な魔物。ギャンブル!(3巻)
(引用元:「銀と金」3巻 福本伸行 双葉社)
福本伸行作品ではお馴染みの、福本節。ギャンブルをここまでかっこよく語れるのは、福本伸行だけだろう。
9位
地獄を見つめて生きるより、希望を追って死にたい。そう望む……。それが人間の末期……(4巻蔵前)
(引用元:「銀と金」4巻 福本伸行 双葉社)
「人はギリギリせっぱつまってくると、無為に耐えられないものなんだ」
「そして勇気を出す。今までの人生で使ったことのない勇気をな……。とんでもない弱虫が、限りなく死に近い決断だってするもの」
(引用元:「銀と金」4巻 福本伸行 双葉社)
福本伸行は本当に人間のことをよく知っているなと思う。
「何かをする」ことよりも、「何もしない」ことのほうが難しい。切羽詰まったときはなおさら「どんな結果でもいい。とにかく結果が知りたい」と思う。
他人に対しても「何もしないで見守る」ことが、一番難しい気がする。ついいらぬことを言ってしまったり、手を出してしまったり。
8位
オレはただオレなんだ。それだけ……。名前は森田鉄雄。背景はない!(3巻森田)
(引用元:「銀と金」3巻 福本伸行 双葉社)
森田の恰好よさが炸裂するセリフ。さすが億単位のギャンブルをする男は、風格が違う。
「落ちている金は拾う主義さ」もいい。言ってみたい。
これくらいの自信が欲しい。
7位
「兄さん……、おいらの唯一の友達。たった一人の優しい人……」(7巻 邦男)
(引用元:「銀と金」7巻 福本伸行 双葉社)
邦男といえば「差別された」を思い浮かべる人が多いと思うが、自分はコチラのほうが印象深いので選んだ。
何故かというと、何回読んでもここで泣くから。
今もセリフを転載するために読み返していたら、涙でPC画面が見えない( ノД`)。
個人的には、神威編を読んで泣かない人は、人じゃないと思っている。
人か人じゃないかの踏み絵、それが「銀と金」の神威編。
相手がヤクザであれ誰であれ人殺しはいけないが、勝広も邦男も神威家に生まれていなければ、せめて人生のもっと前の段階で森田のような人に出会っていれば、と思わずにはいられない…。
6位
ぼうず……それは、死人の考えや。(1巻梅谷)
(引用元:「銀と金」1巻 福本伸行 双葉社)
50億をドブに捨てた、丸宝総業グループのドン梅谷哲の言葉。
月の利息2500万で何もしないで安泰にただ生きていいのか。
それで本当に生きていると言えるのか。
自分ももし同じ状態になったら、「死にむかって緩慢に進む」よりも、「生きていると感じること」を望むのではないか。
そんな思考をおっさんの日常会話に組み込めるところが、福本伸行のすごいところだ。
自分はこの梅谷というキャラが大好きだ。梅谷の最もすごいところは、
「自分が品も何もない典型的な成り上がりで、不細工で野卑な男であり、他人にもそう思われている」という事実を認めたうえで、その事実をベースにして生きている潔さだ。
「金は持つものや。わいなんて、金をもたにゃあサルやけんのう」
「しかし持っとるうちは、人として扱ってくれる。のー、銀行屋」
(引用元:「銀と金」1巻 福本伸行 双葉社)
梅谷と言えばこのセリフも好きだ。
「知性や品など、自分の人生には必要ない」という哲学を、知性や品を、姿にも言葉にも、「自分にひとかけらも組み込まないことによって」全身で語っている。
自分が生きる哲学を言葉で語るのではなく、自分という存在で示す梅谷はすごいと思う。
福本漫画の登場人物はみんな自分が生きる哲学を、自分の全存在をもって語っている。それが例え他人にとっては、クソみたいな哲学や生き方でも。
自分が福本伸行の漫画が最も好きな理由は、たぶんここにある。
5位
言わせておけばいい。元気がいいのも、今だけだ。いずれ、わしに許しをこう。哀れを誘う声でな。みなそうだった……。(4巻蔵前)
(引用元:「銀と金」4巻 福本伸行 双葉社)
誠京の蔵前会長のありがたいお言葉。このセリフ、人生で一度くらいは言ってみたい。
福本作品は、だいたい一人はこういう元気で悪魔のようなジジイが出てくる。
蔵前会長も好きだが「中間管理職トネガワ」を読んだら、兵藤会長も好きになってしまった。
「切りすぎた前髪だの、タイトなジーンズだの、ねじこむだの」
(引用元:「中間管理職トネガワ」1巻 萩原天晴/橋本智広/三好智樹 講談社)
4位
金を得たのち、その向こう側を覗いてこないと(中略)鬼がいるのか……ひょっとして仏にでも遭えるのか。いや……案外、そこに座っているのも、やはり人かもしれない。(3巻 森田)
(引用元:「銀と金」3巻 福本伸行 双葉社)
自分の人生の道を定めて、その道を歩む。
その道を限界まで進んで極めた先には、一体なにがあるのか。
それは、限界まで突き進まないと分からない。
極めたその先に何があるのか、どんな風景が見えるのか、それともまた道が見えるだけなのか。
何も見えないかもしれないけれど、それでも何かを見るために突き進む。
道の先の深淵をのぞき込もうとしている人間の、決意のセリフ。
3位
いうてみいっ、森田っ! おどれは正しいのか……!! 正しさとはなんや?(中略)正しさとは都合や(中略)正しさをふりかざす奴は、それはただ、おどれの都合を声高に主張しているだけや。
わいはケチな悪党やが、口がさけても、人が間違っとるだとか正しさだとか、そんな口だけはきかんつもりや。それくらいの羞恥心は持っとる!(3巻 川田)
(引用元:「銀と金」3巻 福本伸行 双葉社)
川田三成、魂の叫び。
これほどの血を吐くような叫びは、なかなかお目にかかれない。この後の「やっぱり、お前は間違っている」という森田の独白に、ただただ泣ける。
「やっぱり自分は間違っている」なんていうことは、川田自身も百も承知だと思う。
そして川田がそのことを誰よりも分かっている、ということを森田だって分かっている。川田も森田がすべて分かったうえで、それでも自分のために怒ってくれている、それも分かっている。
それでもなお、自分は「金がすべて」な「ケチな悪党」として生きていくことを、自分の意思で決めた。
金を稼ぐことが手段で、そのうえでその向こうを見たいと望む森田とは違う。
自分はそうではない生き方を、これからの人生で歩んでいく。
分かり合える部分もある、一緒に何事かを成し遂げた、でも、生き方が決定的に違う。そんな二人の人生の別れのシーンだ。
「迷えばいい人間なのか、悩めば素晴らしい人間なのか。そんなものはクソじゃないか。金が全てだろ」
(引用元:「銀と金」3巻 福本伸行 双葉社)
そういう川田が、誰よりも自分自身について迷い悩んだと思う。
そのことを森田も分かっているうえで、二人は理解し合った。自分たちは違う人生を歩むのだと。
これは「離れていても心はつながっている」とか、「これから一生会うことはなくても、それぞれの目標に向かって歩む」とか少年漫画などにありがちな、そういう別れではない。
生き方が違う、存在の仕方が違う、だから違う道を歩む、そういうシーン。
このシーンは、福本漫画屈指の名シーンだと思う。
自分とはまったく違う生き方をしていて、自分の生き方を否定していても、自分の気持ちを思いをはせて、無言で気持ちを飲み込んでくれる人がいる。
「お前が冷血漢じゃなくてホッとした」「兄弟ゲンカみたいなもの」と言ってくれる人がいる。川田が羨ましい。
2位
裏に長くいると、周りは殺したい連中ばかりだよ。(中略)お前みたいなのが、一番そう思うようになるよ。殺したほうがいいダニども。でも、殺すな。オレたちは、世界を広げてなんぼの人間だ.
殺す人間の世界は……広がらない。必ず閉じていく……!(1巻 銀二)
(引用元:「銀と金」1巻 福本伸行 双葉社)
「何故、人を殺してはいけないのか?」という問いに対する答えの中で、自分が、最も共感した言葉。
それがどういうことなのか、ということを話しだすと、果てしなく話が長くなる。
ただちまたで起こっている無差別殺人は、自分を認識する他者を消すことで、自分という存在が在る「世界を閉ざして、消失させる」ということが、目的なのだと思っている。
しかしそれと同時に、無意識下にあるどんな方法であれ「他者(世界)とつながりたい」という気持ちの表現でもある。「その相手を傷つけ、殺す」という最低最悪のアプローチだが。
「自分をとりまく世界を破壊することで、自分を消失させたい」
「どんなアプローチであれ、とにかく世界とつながることによって存在したい」
この二つの相反する動機が、無差別殺人の動機なのではないか。
そんな漠然とした考えに、形を与えてくれたのが、銀二のこのセリフだ。
このセリフは「銀と金」という物語上でも非常に重要なセリフだ。
銀二が森田を相棒にするにあたって言ったこのセリフは、仕事をする上での森田にとって絶対的なルールになる同時に「銀と金」という物語における黄金律になるからだ。
例えば森田は神威秀峰を殺そうとして、逆に命を落としてしまった邦男を前にして「でも、それじゃあこいつは人を殺していた」と慟哭する。
普通に考えれば、「邦男が死ぬ」という最悪の事態よりは、
「仮に殺してしまって捕まっても、邦男が死ぬよりはいいじゃないか。とりあえず無念は、はらせたんだから」とか「秀峰を殺しても、逃亡生活をすればいいじゃないか」などの考えが浮かぶ。
森田がなぜそういうことを考える描写がないのかと言えば、森田にとって、「人を殺す」ということは絶対的な禁忌だからだ。殺害する相手が誰かとか、どんな事情があるなどは関係がない。
「銀と金」という物語における「人間が人間であるための黄金律」は、「どんな相手であれ人を殺してはいけない」というものだ。
だから森田は、あれほど邦男を必死に止めたのだ。
1位
信じろっ! 一度だけ人間を……オレを信じろっ! オレを……森田鉄雄を信じろっ……!(6巻森田)
(引用元:「銀と金」6巻 福本伸行 双葉社)
1位は6巻で、森田が勝広言ったこのセリフ。
このセリフ、このシーンに、福本漫画の真髄がつまっている。
自分が福本作品で最もすごいと思っているところは、人間という存在に対する深い愛情と、その表現のしかただ。
他の創作物ではほめそやされる「人間(他人)に対する慈しみや深い愛情」は、福本漫画の世界ではまったく評価されない。
悪党たちからは「甘い」だの「ばかばかしい」だのさんざん嘲笑されるし、森田の理解者である銀二ですら、「お前が誰かを助けたかったら……というか、贔屓したかったら……」なんてことを言う。
福本作品の深みや凄みは、主人公が示すこの「人間愛」という価値観が正しいように見える演出が一切なく、むしろ一見間違っているように、読者には見えるところだ。
悪党たちはおろか、主人公の味方や尊敬している人間でさえ、「なに、寝言を言っているんだ、ぼけ」という態度をとる。
しかも、その悪党たちや周りの人間が主張する理屈のほうが正論のように聞こえるので、主人公は言い返すことができない。
福本作品の主人公たちは「人間愛」という価値観を言葉ではなく、すべて行動で示す。
同情すべき背景を持つ勝広や邦男だが、彼らは何の関係もない自分(森田)も、殺そうとしている。
それでも森田はこの二人に心の底から同情して、その信頼を得るために、マンシンガンの前に丸腰で飛び出す。
「勝広に、人生で一度でいいから、人間を信じて欲しい」
「勝広が、本来は人を殺すような人間じゃない」と思うからだ。
そして邦男の死に際には、その手を握り締めて涙を流す。
他のどんな創作物でも、これほど深い他者への共感や無償の愛を、見たことがない。
しかも森田がこんなことをしても、誰もその行為を認めてくれない。
秀峰たちが改心するわけでもないし、銀二をはじめ仲間たちも森田を認めるどころか、理解すらできない。
人に認められ称賛されるとき、人は利他的な行動をとることができる。愛の大切さを語ることもできる。
しかし誰も認めてくれない、誰も褒めてくれない、それどころか「甘い」と蔑まれ、馬鹿にされ、時には裏切られるたときに、どれほどの人間が自分だけを信じて、いいと思ったことをやり続けられるだろう。
「優しさや温かさ」なんていうものが馬鹿にされ蔑まれる世界で、ただ一人、人のために涙を流し、人間愛を貫き通す森田はすごい人だと思う。
福本作品の真の凄みというのは、この辺りにあると思っている。
終わりに
「銀と金」は、福本伸行の最高傑作というだけではなく、人間の深い部分に触れながら、なおかつエンターテイメントとしても完成されている奇跡のような傑作だ。
未読の方は絵柄で敬遠せずに、ぜひぜひ読んでみて欲しい。
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