立花隆の「日本共産党の研究(一)」を読んでいる。
その中に書かれたこの文章が良かった。
私の基本的な社会観はエコロジカルな社会観である。多様な人間存在、多様な価値観、多様な思想の共生とその多様な交流こそが、健全な社会の前提条件であると考えている。
したがって、あらゆるイデオロギーとイデオロギー信者に寛容である。
しかし、その存在に寛容であるということは、それに対して無批判であるということは意味しない。思想とか価値観とかの間には、批判的交流があればあるほど豊かになると思うからである。
(引用元:「日本共産党の研究(一)」立花隆 講談社 P5/太字は引用者)
この本の連載を書いていた当初、批判の応酬があったらしく、当時の共産党の在り方に対してかなり強い調子の批判や反論が載っている。
ただそれでも共産党自体は排除されるべきではないし、どんな思想であれ、その思想を掲げているという理由だけで弾圧することは許されないと言っている。
(略)もうひとつ付け加えておけば、エコロジカルな社会観のアンチ・テーゼである全体主義とジェノサイドの思想に対しては、断固として反対するということだ。(略)
私の理解するところでは「反共」とは、単に共産主義ないし党を批判することにあるのではなく、共産党(主義者)を根絶しようという発想だろう。
私は前者ではあるが、後者ではまったくない。
反共全体主義=共産主義者ジェノサイドが起きるというなら、私は断固として共産主義者側に立つ。
(引用元:「日本共産党の研究(一)」立花隆 講談社 P7/太字は引用者)
立花隆は著作を何作か読んでいるけれど、そこから垣間見える人柄はちょっと苦手と感じていた。だがこういう文章を読むとさすがだなと思う。
「自分にとって異質で相容れないと思う表現や考え」は、自分自身がひとつの考えに染まらないために必要だと思う。
そうでなければ「差別ー排斥ー全体主義」という連鎖が容易く起こる。
という著者の考え方を踏まえて「日本共産党の研究」を読んでいる。
一巻は戦前の、日本共産党がコミンテルンの指導下にいた時代のことを描いている。
日本ではまだ共産主義の黎明期のためか、コミンテルンの思惑や権力闘争に振り回され、右往左往する場面が多い。
民主集中制を柱とする横のつながりがほぼない中央集権体制や、思想を純化した前衛党が大衆を指導するという発想などどこから来たのかという考察も、わかりやすく説明されている。
「レーニン(ボリシェヴィキ)の成功体験が、思想や組織化の根拠になっている」
という説明には、「なるほど」と思った。
欧州は社会主義思想がある程度根付いていたため、反発や反論も起こったが、日本は言語の違いなどもあり、マルクス主義思想を理解するのが遅れたためにコミンテルンの指導を受け入れやすい土壌があったようだ。
ひとつの見方としてそういう見方もあるのかと納得できる。
特高による弾圧など悲惨な出来事も起こっているのでこういう言い方はなんだけれど、下手な創作よりもずっと面白い。
まだ組織が出来たてのころに、彗星の如く現れて「日本のマルクス」とまで呼ばれて一世を風靡した福本和夫が、コミンテルンの鶴の一声で失脚する下りなど読んでいて背筋がぞくぞくした。
三巻まであるので先は長いけれど、じっくり読みたい。