うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

誰に向かって、何のためにブログを書くのか??

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これは、自分で自分に問いかけている部分も大きいので、この機会にまとめたいと思います。

 

目的が明確だと物事を続けやすい

「誰に向かって、何を目的としてブログを書くのか」

ということをなぜ考えるのかというと、これを明確にするとブログが続けやすいのではないかと思うからです。

中には「書きたいだけで、別に続けなくても構わないし、誰にも読まれなくても構わない」という方もいると思うので、そういう人は対象外です。

 

こういうことを明確にしていないと起こる、行き詰まりみたいなものを他の人のブログでたまに読みます。

例えば「PVはそこそこあるけれど、検索流入ばかりだから、書き手である自分を認知してくれているわけではない。それが空しくなってブログを続ける気がなくなってきた」という言葉を読んだのですが、こういうことを読むたびに「?」と思います。

「書き手である自分を認知して欲しい」ということがブログを書く一番の目的ならば、それに即した内容になっているのかと思いきや、そうでもないからです。

 

その目的を目指した方法をとって結果が出なければやる気が出なくなるのも分かるのですが、検索流入狙いらしき記事をたくさん書いて「書き手である自分を認知してもらえない」と言われても、それはそうだろうと思います。

 

逆に「今までの自分のやり方では、書き手である自分は認知してもらえない」という結果が得られたのですから、そこから「どうすれば自分を認知してもらえるか」ということを考えればいいのでは?と思います。「書き手である自分を認知してもらうこと」がブログを書く一番の目的なのであれば。

 

ブログは個人的なものなので、やり方も人によってバラバラなはず

一部の人のように「PVもガンガン稼げて、検索流入もたくさんあって、収益も上がって、周りからこの人がこの記事の書き手か、すごい。次の記事も読みたい」と言われるのが理想でしょうが、それは才能がある人の上に運も重なっての話であって、万人が再現できることじゃない。

 

「この方法論を用いれば、誰にでもできますよ」という風なものに、自分なりの方法論を考えずに飛びつくのも自由だとは思うのですけれど、個人的には一回、自分のことを突きつめて考えて、自分なりの方法論を試して、エラーを繰り返して、その原因を探り、結果を積み上げながら自分独自のやり方を作り出していくのがいいんじゃないかと思います。

そういう面倒くさいことを繰り返して、初めて手応えみたいなものが出てくるのではないかと思います。ブログに限ったことではないと思いますが。

そういう「自分」ができてから、それでもなお、その「自分」には他人が確立した方法論が合っている、と思うならばそう思ったものを取り入れるのはいいと思いますが。

 

そういうことを試す前に、他人が皿にのっけて持ってきてくれた「これならうまくいきますよ」と方法論通りにやるのはとても楽ですけれど、かえって方向性も見失うのではないかと思います。ブログというのは基本的には「自分に依って立つもの」ですし、現在のところ成功の再現性の低い方法論しかないですから。(高い方法論があれば、みんなその方法で人気ブロガーになっているだろうから)

 

「成功の先取り体験」は楽しいし、テンションが上がるので気持ちはすごく分かります。こんなことを言っておいてなんですけれど、自分も色々な方法論を読むことが好きで、ブログ論もよく読みます。

ただブログというのは「個人」に依拠する面が高いので、他人の方法論を信じてやるよりも、自分のことをまずは考えたほうがいいのではと思います。

 

このブログの想定している読み手は「自分」

自分はこのブログを、基本的に読み手も「自分」を想定して書いています。

目的は「自分(もしくは自分のような人)が暇なときに暇つぶしに読めるものを溜めておく」ことです。

だから自分の好きなことだけを書いていますし、記事としては長くても余り気にしません。長ければ長いほど暇がつぶれるし。

 

「読者としての自分」を考えたときに出てくるのは、小説とか漫画とかゲームとかドラマとかが大好きで、なおかつそういうものに対してぐちゃぐちゃ考えずには気が済まない人です。

物語の背景がどうだとか、設定がどうだとか、テーマはたぶんこうだろうとか、あのフラグが回収されていないとか、登場人物のあの行動はおかしいとか、そういうことを細かく延々と言いたい人。そして、他の人はその点についてどう考えているのか知りたい人。そういう人を想定しています。

そして人が考えたそういうぐちゃぐちゃとした意見に対して、さらに色々と言いたい人です。たまに過去記事を読み返すのですが、その記事に対しても自分で自分に色々と言ったりします。

だから「簡単なあらすじと面白かったかどうかだけ知りたい」とか「良くなかった作品でも、あまり批判とかは読みたくない」とかそういう人は読者としては想定していません。読んでもらうのはとてもありがたいんですけれど、基本的にはそういう人には読んでもらえなくても仕方ないと思っています。

 言い方は悪いかもしれませんが、書き手の側も「読者を選ぶ」というのはすごく重要だと思います。

これは閲覧制限をかけるという意味ではなく、自分のブログは「どういう人に、どういう目的で読んで欲しいか」ということを想定する、ということです。

 

例えば「働いている人に、通勤時間などのちょっとした時間に読んで欲しい」記事であれば、連休中や週末にPVが下がっても、「むしろ狙い通りだな」と思っていいと思います。(それで平日にPVがまた回復するのであれば。)

結果というのは、目的に至る方法論の精度を高めるための思考の材料であって、それだけで一喜一憂するものではないと思っています。

自分の考え通りにいっていなければ、どれだけ数字的に成功していてもただのラッキーであって喜んでばかりもいられないと思うし、自分の考え通りの結果であれば数字的には下がっていても落ち込むことでもないと思います。(気持ちは分かりますが。)

結果そのものよりも、そういう「結果という材料」を一個一個集めて、自分の目的を達成するための自分なりの方法の精度を高めることが大切じゃないかな、と思います。

 

結果は、目的に至る方法を導き出すための材料にすぎない。

自分が多くのPV報告や収益報告を見て疑問に思う点もここです。

数字はもちろん大切だけれど、それは「その数字を達成することが自分のブログの目的」の場合に限ると思います。「自分はPVや収益の数字を上げることが目的なんです」という人は、もちろんいいと思います。

そういう風に目的がはっきりしていれば、後々「PVや収益はあるけれど、自分という存在を認知してもらっていない」という風に思い悩むことはないと思うので。

あとはその「収益報告をすること自体が、目的にアプローチする方法」である場合。この辺りは話がややこしくなるのでおいておきます。

 

「結果と目的を混同しない」ということは大事ではないか、ということです。

 

これを混同すると結果が出たときは舞い上がって、次のときに結果が出ないとへこんでしまう。結果を他人と比べて、自分のブログをはかってしまう。PV数などで一喜一憂して、メンタル面でも忙しくなるので疲れてしまう。

そうすると「(目的ではなく)結果が出ないから、ブログをやめる」(この言葉もよく見る。)となってしまいやすいと思います。

 

「結果を出すためにブログをやっているのではない。(自分だけの)目的を達成するためにブログをやっているんだ」

「続ける」ということは終わりがない長丁場なので、そう思うことが大事だと思います。

 

自分はブログは、続けられるほうがおかしいと思っています。

普通はそんなに書きたいことなんてないと思うし、アウトプットすることは最初は楽しいけれど、アウトプットを続けるというのはものすごく難しいことです。

何であれ「続ける」ということ自体が難しいことだと思いますが。 

特に「ブログで飯を食う」ことが目標ならば、「まずは一年続けられるか」それだけを自分でやってみてからのほうがいいんじゃないかな、と個人的には思います。

ちなみに自分の観測範囲内で調べてみたら、「更新頻度は問わず、とりあえず一年続いている人(一か月以内に記事を更新している人)」は、4割欠けるくらいでした。

思ったよりは多かったです。

 

始めたときのモチベーションは確実に落ちるので、「続けるにはどうしたらいいか」と考えたときに、「『自分のブログ』の目的は何なのか」「『自分のブログ』とは一体、何なのか」と考えるといいのでは、と思います。

 

まあ向いていないと思ったら、やめていいと思いますけれど。

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