「ザ・ワールド・イズ・マイン」で、ヒグマドンと戦う猟師・飯島が言うこのセリフが大好きだ。
自分が好きなキャラクターの共通点は、このセリフのような生き方をしていることだ、と気付いた。
傍から見ると冷酷に見えることもある。優しく見えることもある。利害に聡いように見えることもあるし、まったく何も考えていないように見えることもある。社会的規範に重なるようなことをすることもあるし、それらにまったく関係なかったり相反する行動をとることもある。
他人には理解しようがない、自分独自のルールだけを守って生きているので、他人には何を考えているのか、どういう人間なのか一見では理解できない。
自分独自のルールは利害に反しても、生死に関わる問題でも絶対に譲らない、そういうキャラが好きだ。
代表的なキャラは赤木だけれど、
「ザ・ワールド・イズ・マイン」の飯島。
「ゲーム・オブ・スローンズ」のブロン。
「ゴールデン・カムイ」は、ほとんどのキャラがこのタイプであることが好きな点のひとつで、特に尾形が好きだ。
樹なつみの「OZ」に出てくるネイトもいい。少女漫画だと、このタイプのキャラは余り見かけない。
「俺の掟」が社会的正しさと重なる部分が多いので違うタイプに見えるけれど、「銀河英雄伝説」のオーベルシュタインもここに入ると思う。
「ファイナルファンタージータクティクス」のガフガリオンもこのタイプ。
ガフガリオンは自分が今までやったゲームの中で、一番好きなキャラクターだ。
狡猾で残忍で利己的なリアリストだが、そんな自分すら皮肉な目で見ている。
理想主義の偽善性をとことん追求するラムザとの会話も好きだけれど、世慣れた感じで皮肉を飛ばすダイスダークとの会話も好きだ。ガフガリオンの性格が、よく表れている。
「ファイナルファンタジータクティクス」は何度もプレイするくらい大好きだけれど、物語的にはガフガリオンが死んでウィーグラフがルカヴィ化したところでいつもテンションが下がる。
善悪がはっきり分からない人間同士の戦いが面白いのに、 神と悪霊の話になってしまうのは残念だった。
ウィーグラフは、ガフガリオンの対極の存在と言っていいと思う。あまり好きなキャラではない。ラムザほどではないけれど。
男性キャラで好きになるのは、だいたいこのタイプのキャラか、「自分の卑しさに苦しみながら、それでも変われない弱さを持つキャラ」のどちらかだ。
こちらは、ひと言で言うと「心の弱い小者」。個人的に「サリエリキャラ」と命名している。
一歩間違うと簡単に闇落ち化して、ろくでもない末路をたどる。
「ザ・ワールド・イズ・マイン」のトシ。
「ゲーム・オブ・スローンズ」のシオン。
「銀河英雄伝説」のアーサー・リンチ。
「カラマーゾフの兄弟」のフョードル。(開き直っているけれど。)
「鉄血のオルフェンズ」は、第一部のユージンが好きだった。第二部ではただのいい人になってしまい残念だった。
「マギ」の白龍も基本的にはこの系統。
このキャラの中で闇落ちしないほど性格がいいキャラが、「木更津キャッツアイ」のアニだと思う。葛藤が他人ではなくすべて自分に向くので、社会的ダメ人間になる。
いまアニメ化で注目を集めている「BANANA FISH」では、オーサーが好きだった。オーサーが死ぬ間際にアッシュに言う、嫉妬まみれの激白は共感しすぎて泣ける。
アッシュが言う通り才能がある人には才能がある人の苦しみがあるだろうし、望んでそうなったわけじゃないという気持ちも分かるけれど。
いま思うと、アッシュに嫉妬できるなんて、むしろオーサーは凄いと思う。(嫉妬すらできないだろ~)
誰かそう言ってあげてくれ。まあもう死んだからいいんだけれど。
自分が物語のキャラだったら、どうせそこいらにいるモブだろうな、という僻みのようなものがこういうキャラに肩入れしてしまう原因かもしれない。僻みっぽいのだ。
こうやって並べてみると、好きになるキャラの傾向って、何年経っても変わらないんだなあ。
という理由もあり、「BANANA FISH」には今いちハマれずところどころうろ覚え。 これを機に読み返そう~。
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