最近、本棚の奥底に眠っていた早川書房の「ミステリ・ハンドブック」を引っ張り出してパラパラめくっている。
昔々、学生で時間が山ほどあったころ、このハンドブックのランキング一位から本を読んでいた。今まで知らなかったジャンルの本や、その後何回も繰り返して読むことになるお気に入りの一冊に出会ったりもした。
この本を読むまでは、ミステリーは「黄金時代」「本格」と呼ばれるジャンルのものしか読んでいなかったので、ハードボイルドや冒険小説、サスペンスはとても新鮮だった。
こちらが新版かな? 表紙がいい感じ。
自分が持っているのは下記のもの。地味…。
この本を思い出したのは、最近あったアイドルのアル中疑惑から突然「八百万の死にざま」を読みたくなったからだ。探したけれど見つからず、代わりに「八百万の死にざま」を教えてくれたこの本が見つかった。
結局見つからなかったので、買いなおした。
このハンドブックはすごく変わったランキング形式をとっている。
投票のしやすさを考慮し、編集部がサブ・ジャンル別に“好きな作品”の上位五作と、また“好きな探偵(男女別)”三人を記入してもらいました。
(引用元:「ミステリハンドブック」早川書房編集部編/早川書房)
ジャンルごとの投票で、総合ランキングを作っている。
当然のことながら、編集部が作ったジャンルの中でずば抜けて知名度が高いものがあればそれが票を集めているし、そのジャンルの中で割と知名度の高いものがいくつかあれば票がばらける。
基本的にはそれなりに作品がそろっていて、歴史が長いために知名度もある「黄金時代」(1939年までに主要作品を残した作家の作品。謎解き派が中心)が圧倒的に不利になっている。
「黄金時代」の一位が、総合が7位だ。超有名作だけれど、「うーん、それかあ」という感が否めない。やっぱり知名度があるものが強い。
総合一位はサスペンスの古典。自分は正直なところ、余り面白いとは思わなかったので何とも言えない。
個人的にはサスペンス二位で、総合八位だったアイラ・レヴィンの「死の接吻」のほうがずっと面白かった。
現実で考えればひどい話だけれど、情緒的ではなく叙事的なので割とすんなり読める。
とりあえずどんな本でも読みたい時期だったので、 一位から図書館で借りて読んでいた。図書館に置いていない本もあったので、飛ばし飛ばしになり、途中からはあらすじを読んで心惹かれたものだけを読んでいた。
何だかな~、と思ったものもあれば、期待して読んでがっかりしたものもあったし、すごい、こんな面白いものがあったんだ、と一人感動に震えた本もあった。
ハードボイルド一位の超有名作「長いお別れ」は、初めて読んだときはまったく面白いと思わなかった。何が面白いのかすら、よく分からなかった。
でもその後に出た、村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」はとても面白く、今でも時々読み返す。NHKで制作されたドラマ「ロング・グッドバイ」も予想を大幅に裏切って、とても良かった。
人生の残りカスのようなやるせなさを感じるには若かったのかもしれないし、後述する新書館の「ミステリ絶対名作201」の中で「清水俊二は訳し方にちょっとクセがある」と書いてあるように、単純に訳文との相性が悪かったのかもしれない。
当時からすごく気に入っていたのが「薔薇の名前」「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」、「ブラック・ダリア」や「わらの女」、「ロウフィールド館の惨劇」などだ。
この辺は今も好きなものが多い。
しょーもなさを抱えたしょーもない人たちが、しょーもなさに満ち溢れた陰鬱な世界でしょーもないなりに生きる話が好きなのだと思う。
その代表格のような「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」は、その中でもかなり好きだった。
これと「ブラック・ダリア」は持っていたと思ったんだけれど、探しても見つからなかった。処分してしまったのかもしれない。今読んだらまた違う感想かもしれないので、もう一度読んでみたい。
「わらの女」は一度テレビドラマ化されたけれど、勧善懲悪の話になっていてひどいと思った。しかも主人公と富豪との間には共感のようなものがあった、みたいなちょっといい話風のオチになっていてがっくりきた。
アントン・コルフの何年もに渡って財産を奪う計画を立てる人間離れした執念と、無為に日々を過ごして、上手い話に疑いもせず飛びつくヒルデガルデの浅はかさの対比が、この話の肝だと思うのだ。
確かに「愚かさの代償」としても、容赦のない展開ではあるけれども。
アントン・コルフを岸部一徳が演じていた。
とてもいい俳優さんだと思うんだけれど、アントンは年はいっているけれど、ヒルデガルデが恋愛感情を持つくらい色気があるいい男の設定なので、そういう俳優さんで見たかった。
……と色々と不満が多い。
今度もし制作するなら、ぜひ原作バージョンでやって欲しい。映像で見ると、後味が悪いだろうか。
「ハンドブック」と一緒に持っていた「ミステリ絶対名作201」は、ミステリ評論家の瀬戸川猛資さんを中心に、色々なジャンルのファンが座談会で喋っていて面白かった。
瀬戸川猛資はカーが大好きなんだけれど「ハンドブック」のカーの項目の熱い語りがいい。
これはお得意のアクロバット演技があまりにすごかったために、それがアクロバットであるとすら感じられなくなってしまった神がかり的な傑作で、カー以外の作家には絶対に書くことができないミステリである。
(引用元:「ミステリハンドブック」早川書房編集部編/早川書房)
「火刑法廷」は、こんな風に絶賛している。
自分は「火刑法廷」はそれほどかな?と思うけれど、「カーの書くミステリはカー以外には書けない」というのは確かに、と思う。正確には「そんなこと思いつかないし、思いついてもやろうと思わない」というものが多い。
「三つの棺」は、未だに初めて読んだときの驚愕が忘れられない。
褒めるだけじゃなく、ダメなものはダメと書いているところに深い愛を感じる。
後者は知る人ぞ知る怪作。ちょっと信じがたいほど珍妙なトリックが登場する。(略)よくも、これほどバカなことを思いついたものだ。涙ぐましい、という気分すら起こさせる労作。
(引用元:「ミステリハンドブック」早川書房編集部編/早川書房)
「魔女が笑う夜」の評。かなり興味があるんだけれど、まだ未読。
この「ハンドブック」と新書館の「ミステリ絶対名作201」は、どんなミステリがあるのかということを知るのにとてもお世話になった。
今だったらネットで調べればいくらでも情報が出てくるけれど、当時はネットもそれほど情報量がなく、本で調べるか、詳しい人に聞くかしかなかった。
当時、自分の周りでは京極堂シリーズがすごく流行っていて、友達が京極堂について熱く語るのを聞きながら、ひっそりと海外ミステリを読んでいた。
京極堂は京極堂で面白いけれど。
埃にまみれた二冊をパラパラとめくりながら、「何か面白そうな本はないかな」「この本の感想はどうかな」と何回も何回も飽きずに読んでいた、あのころのことを懐かしく思い出した。