ろびこ「僕と君の大切な話」の最新刊4卷を読んだ。
だいぶ登場人物が増えて、話が広がってきている。
これはこれで面白いのだけれど、最初のころの東くんと相沢さんが駅のベンチでひたすら二人で会話をする、というシチュエーションが面白かったのでちょっと残念だ。
この「閉じられた世界で、登場人物二人がひたすら話す」というシチュエーションは、書くほうにとっては自己主張ができて楽しいのだろうけれど、かなり難しいと思う。
話が動かないので、読むほうにとってはたいていの場合退屈だからだ。
東くんと相沢さんが駅のベンチで話すのは、ごくありきたりな「男女がすれ違うポイントについて」だ。
ところが東くんと相沢さんの会話だと、このすれ違いっぷりがとっても面白い。陳腐な男女論を話しているのに、何故か笑ってしまう。
「人は話の内容で笑うのではなく、間で笑う」
「会話で大事なのは呼吸だ」
という話を聞いたことがあるのだけれど、「僕と君の大切な話」を読んでいると、「ああなるほど、こういうことか」と納得する。
ヒロインの相沢さんは、東くんに熱烈な片思いをしていて告白を決意する。駅のベンチで、勇気を出して東くんに話しかけるところから物語が始まる。
何かと理屈が先行する眼鏡男子の東くんと、恋する乙女な相沢さんは、まったく話が噛み合わない。
女心がまったくわからず「女性はちっとも合理的じゃない」と思っている東くんと、「女の子にとっては気持ちが大事なの」と言って恋心を暴走させる相沢さんは、お互いの持論を展開してはすぐに言い合いになる。
あーあるある、よく見る光景だ、特にネットで。
お互いの言っていることが分かるようで、まったくわかっておらず、「何でわからない?」「何でわかってくれないの?」を繰り返す。
(引用元:「僕と君の大切な話」1卷 ろびこ 講談社)
男女間に限らず、自分とかけ離れた価値観の人、自分には理解できない相手はいる。
(引用元:「僕と君の大切な話」1卷 ろびこ 講談社)
たとえば僕と君が違う星の人間だとして、それをつなぐのは言葉だろう。
だったら、こちらから閉ざしてしまうのはあまりにももったいない。
価値観がぶつかった後でも、言い合った後でも、こう言える東くんはすごいなと思う。
「となりの怪物くん」のときも思ったけれど、作者にとって「他人」というのは基本的には「理解しがたいもの=怪物」なのかもしれない。
「となりの怪物くん」のささやんと夏目さんの価値観の差もすごかった。
ささやんが夏目さんに中学時代の友達のことを相談したときの、「『楽でいいよな』とか、私その人と仲良くなれそうです」は、かなり破壊力がデカいセリフだ。
それが破壊力がデカく見えないところが、この人の作風のいいところだなと思う。
仲間同士が似たような価値観を共有している物語が多い中で、「決定的に違う価値観を持ちながら、なおかつ仲間でいられる」というのは、けっこう珍しい。
自分以外の他人は「理解しがたい怪物」で、それでも怪物と話そう、つながろうとする姿勢や、自分も誰かにとって「理解しがたい怪物」なのかもしれないということも同時に描いているところがいい。
そしてお互いに怪物同士なのに、誰一人悪い人が出てこないところもいい。
「自分にとって理解できない人間=悪」ではない。当たり前のことなんだけれど、こういう「公平さ」みたいなものは、漫画では余り見ない。
そういうところがたまらなく好きだ。
「誰もが誰かにとって理解しがたい怪物」で「同じ星の人間だとは思えない」からこそ話すのだ。
現実ではなかなか難しいけれど、そういう強さと優しさが根底にある世界観がいいなあと思う。
二人が駅のベンチで延々としゃべるだけで関係性が少しずつ進む話、をずっと見ていたかったけれど、さすがに厳しいか。
「駅のベンチ」が一種の結界になっていた感じがなくなると、どこかで見たような展開になってしまったのが残念。それでも十分面白いんだけれど。
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