うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【映画感想】細田守監督「未来のミライ」を面白く見るたったひとつの方法

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自分は細田守監督作品とは余り相性がよくない。

「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」と三作観て、「自分には合わないな」と思ったので、その先の作品は観ていなかった。(「時をかける少女」は良かった。)

 

今更ながらアニメ映画『未来のミライ』を見たんだが涙が止まらなかった

 

ただ↑の増田のルサンチマンで興味を持ったのとアマプラ対象になっていることを知ったので、「未来のミライ」を観てみた。

未来のミライ

未来のミライ

  • 上白石萌歌
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なるべく先入観を排して見たのが良かったのか、意外と面白く見れた。

自分が考えるこの映画を面白く見る唯一の方法は、「何も考えず、ひたすらくんちゃんに萌えること」だと思う。

舞台設定もストーリーも他登場人物もすべては便宜的にあるものに過ぎず、「くんちゃんをいかに可愛く映えさせるか」の小道具に過ぎない、と割り切って観た。

 

駄々をこねるくんちゃん、大泣きするくんちゃん、階段ですっ転ぶくんちゃん、未来ちゃん嫌いと叫ぶくんちゃん、起床時に四つん這いの姿勢で目覚めるくんちゃん、お尻に犬のしっぽを刺して犬化するくんちゃん、チクチクゲームで身もだえするくんちゃん、顔を赤らめて「もう一度して」と言うくんちゃん、「くんちゃん可愛くない……」と呟き泣き出すくんちゃん、お母さんに無視されては「お母さん、お母さん」と言い、お父さんに放置されては「お父さん嫌い」といい、おもちゃのハウスに閉じこもるくんちゃん、自転車に乗ってこけるくんちゃん、でも頑張るくんちゃん、迷子になってはわわとなるくんちゃん、「くんちゃんは未来ちゃんのお兄ちゃんです」と叫ぶくんちゃん。

 

ああ、くんちゃん、なんて可愛いんだ。

なんて健気なんだ、くんちゃん。

我がままなところも可愛い、くんちゃん。

くんちゃんのツンデレぶり絶妙。

そしてそんなくんちゃんに「何事にも最初はある」(うろ覚え)と言いながら、きらきらした憧れの目で見上げられ、「格好いい」と呟かれる。萌える。

 

映画を観ると、作り手がくんちゃん以外のものに興味を持っているように見えない。

ストーリーは有るようで無いし、周りの登場人物はほぼ個性が皆無なテンプレ的な存在だ。展開は意外性がないうえに、言葉で事象をすべて説明してしまっており、最後にとってつけたようなテーマが語られる。

それらは「存在しないと長編にならないから、便宜的に存在しているだけもの」に過ぎず、「ただひたすら、くんちゃんを愛でるために存在する映像」にしか見えなかった。

 

「未来のミライ」を楽しく見れるかどうかは、「くんちゃん(子供にあらず)に萌えられるかどうか」が唯一にして最大の分水嶺だと思う。

自分はこの点は、細田守と趣味が一致していたようで、萌えながら見てしまった。

脳死してひたすら、くんちゃん可愛い~、泣いている可愛い~、転んだ可愛い~、わがまま言っている可愛い~と思いながら見ているぶんにはけっこう面白い。

ただそんな自分でさえ、一時間四十分は長かった。

くんちゃんに萌えられなければ、「特に仲良くない他所の家の子供の、ちょっといい話風の成長話をひたすら見せられる」だけの話だ。くんちゃんに興味が持てない人が見せられたら、腹を立てるか、無言になるか、別のことに着目し出すかどれかになるだろうというのは何となくわかる。

逆に言えば、「ひたすらくんちゃんに萌える映像」を一時間四十分の長編に仕上げた細田守の特異性(穏当な表現)を、「未来のミライ」で見直した。

この辺りにかけては新海誠の足元にも及ばない、と思っていたけれどそんなことはなかった。

 

細田守作品のある種の不思議さは、「悪意」が存在しないことではないか。

自分が見た四作品では、深刻な悪意というものがほとんど存在せず、「ふわふわしたいい話風の展開」がつながってストーリーが出来ているように見えた。

自分の印象だけで言うと、「悪意を出すことが嫌」なわけではなく「悪意に興味がない」のではないかと思う。

自分が細田守作品を観て感じるモヤモヤは、この辺りにある。

細田作品で、興味を持って描かれているように見えない登場人物たちの「善良でテンプレ的で退屈な人物像」は、この辺りに起因しているのでは、と推測している。

 

新海誠作品は、この辺りはすごくはっきりしていて、作品の中で主人公たちを「キモい」と見る視点を入れてくることが多い。(「言の葉の庭」の相沢先輩や「天気の子」のリーゼント刑事、「雲の向こう、約束の場所」では主人公二人が対立したりなど)

「未来のミライ」の「くんちゃん萌え」も宗旨の異なる人から見るとだいぶ気持ち悪いと思うけれど、これを「親子映画だから」というガワをかぶせて、他者の視点(悪意)で相対化しないことにモヤモヤしてしまう。

 

自分から見ると新海誠の作品は、「自分が他人にとってキモい存在であること」*1にすごく自覚的でそのあたりも好きな理由のひとつだ。

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「一時間四十分かけて、ひたすらくんちゃんに萌える」など(色々な意味で)恐ろしくニッチなジャンルなんだから、下手にホームドラマみたいな装いをせずに、そのことにもう少し自覚的に作ったほうが着いて行く人はどこまでも着いて行くんじゃないかな、とつい思ってしまう。

 

とりあえず「未来のミライ」で細田作品の特異性を見直したので、「観なくていいかな」と思っていた「竜とそばかすの姫」は観てみようかなと思う。そばかすっ娘が好きなので。

 

そして見た感想。

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*1:「他人にとって他人はよくわからない気持ち悪い存在である」のは当たり前のことだ、というのが自分の考え。その辺りの考えについてはリンク先記事で書いている