うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語るブログ。

「恐すぎる‼」と大反響 松原タニシ 事故物件怪談「怖い間取り」

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日曜日の昼間にやっている「ニノさん」だったと思うが、一度だけこの本の作者である「事故物件住みます芸人」松原タニシを見たことがある。その時の話は怖いものではなく、ほのぼのとした話だった。

なので、この本についている「『恐すぎる‼』と大反響」という帯も、宣伝だろうと思っていた。

 

この本のレビューを読んで気づいたのは、世の中には意外と「引っ越すつもりはないけれど間取りを見ることが好き」という人がいるということだ。

自分も物件や間取りを見るのが大好きで(求人広告も大好きだ)、暇だと物件や求人のフリーペーパーを見るクセがある。転職するつもりも転居するつもりもないけれど、ただ見るのが楽しい。

この本に心惹かれたのも、間取りや地図(地図を見るのも好き)を出しながら怖い話を紹介している点だ。

 

この本には、分かりやすく怖い話は載っていない。

「恐い」と思う話もあるが、どちらかと言えば「これで終わり?」と肩透かしのような気持ちを味わうものが多い。

ところがそういった話をひとつずつ積み重ねていくうちに、最初は「考えすぎでは?」と思えるような話が、「何か意味を持つのではないか」「自分が知らないとてつもない裏側が、何かあるのではないか」という気持ちになってくる。

いつのまにか、自分が過ごす当たり前の日常の世界ではなく、自分が知っている法則では理解できない、まるで違う法則で動いている世界にいるような気持ちになる。

 

例えば最初に出てくる事故物件では、一階が駐輪場になっているが、誰もそこに自転車をとめない。住民は全員、建物の外に自転車をとめる。

このマンションは別の階で殺人事件が起こったために、事故物件であるのは別の階の別の部屋だ。

しかし何故か元々は他の階と同じように部屋が並んでいた一階が改築されて駐輪場になり、しかも誰もそこに自転車をとめない。

それが何故なのかは、結局分からない。何かが出るから、怪奇現象が起きるから、という分かりやすい話ではない。

 

作者もこのマンションに住んだ別の知人も、このマンションの目の前でひき逃げの被害に合う。知人は三回も同じ時期にひき逃げに合っている。

これも偶然なのかもしれない。このマンションの立地上、そうなりやすいなどの合理的な理由があるのかもしれない。 

しかしそれよりも、実はこのマンション全体が、何かに憑かれてしまっているのではないか、このマンションは殺人事件が起こったから事故物件になったのではなく、もともと何かのいわくがあり、それが災いを招きよせたのかもしれない、という作者の推測を、読み進めていくうちに笑いとばせなくなってくる。

 

事故物件に住み始めたせいなのか、作者の周りには自殺や失踪、精神的に不安定になる人が多い。

有名な事故物件があるマンションに住んでいた後輩は、自分が出て行くときに、次に作者がその部屋を借りられるように紹介しておくと言っていた。話の行き違いで、作者は住めなくなってしまうのだが、この後輩はその後自殺している。

 

また松竹の芸人養成所の近くのマンションの109号室に住んでいた二人は、二人とも精神的に不安定になる。

心配した仲のいい芸人達は家まで見に行くことにした。(略)

扉を開けると昼間にも関わらずカーテンを閉め切って部屋は薄暗い。床には大根やらキャベツやらの野菜が細かく刻まれた状態で散乱し、包丁が無造作に転がっている。部屋の隅にろうそくが立ち並び、ほぼ真ん中に、体育座りをしながらガタガタ震えている先輩の姿があったという。(略)

結局、その先輩芸人は以降、日常会話もままならないようになり、実家から親がむかえにきて、地元の山口県に帰っていった。 

(引用元:「事故物件怪談 恐い間取り」 松原タニシ 二見書房P87-88)

 

しばらくしてまたネタ見せにある芸人が来なくなった。(略)

鍵は開いている。扉を開ける。薄暗い。

床にはTシャツやらズボンやらがビリビリに破られた状態で散乱し、ハサミが無造作に転がっている。部屋の隅にはろうそくが立ち並び、真ん中にはやはり、体育座りをした芸人の姿があった。

彼もまた、京都の実家に引き取られ、その後、精神病院に入院したという噂を聞いた。

 (引用元:「事故物件怪談 恐い間取り」 松原タニシ 二見書房P88)

 

「事故物件に住むなんて信じられない! 恐い!」とお思いでしょうが、実際に住んでみて気づいたことは色々あります。(略)

その中で一番強く感じたことは(略)「あ、今自分は生きているんだな」ということでした。「住む」ということは、そこで生活をするということ。生きていくということです。(略)

多くの人が間取りを見てイメージすることは(略)「そこで生きること」「その部屋で暮らす未来の自分」でしょう。

ところが事故物件の間取りが想起させるのは、さらにその先の未来、誰にでも必ずやってくる“死”という未来です。

 (引用元:「事故物件怪談 恐い間取り」 松原タニシ 二見書房P4-5)

 

「はじめに」で書かれたこの言葉は、色々な意味で「なるほど」と思った。

その場所で自分がどう暮らすのか、どう働くのか、どう感じるのか、「ここにいる今の自分と、違う生き方をした自分」の想像のとっかかりになるから、自分は求人情報や物件情報や地図を見るのが好きなんだ。

人生の中で住める場所も働ける環境も実体験できる数は限られるが、想像は無限に出来る。

でも「間取り」を見てここで「生きる姿」は想像しても、ここで「死ぬ姿」は想像しない。

人は生きていれば必ず死ぬ。

「事故物件は、生と死がセットであることを思い出させる」というのはすごいなと思った。

 

作者も最初は「これは仕事になる」という気軽な気持ちでやり始めたのだと思う。続けていくうちに、事故物件に住むことは「常に死を意識しながら生きることだ」という心境に至ったのかもしれない。

死にまつわる恐い話が人気があるのも、特に問題なく日常を過ごしているときは忘れがちな「自分もいつかは必ず死者になる」「死の世界は遠い場所ではなく、いま自分が生きている世界のすぐ裏側にある」という事実をたまには思い出さなければいけない、という防衛本能ようなものがあるからかもしれない。

 

伝染病のように土地から土地へ伝わっていく「穢れ」のメカニズムについては、小野不由美の「残穢」で詳しく書かれている。

【小説】 余りの怖さに家においておけない 小野不由美「残穢」ネタバレ感想

 

その土地に取りついた穢れが怪異を呼び寄せ、その怪異のせいで死んだ人が穢れを増幅させる、それは人から人へも土地から土地へも伝わっていく。

「残穢」も分かりやすい怪奇現象を扱った本ではない。

ただ土地から土地へ伝わり、人の力ではどうすることもできない「穢れ」が拡大していく様の恐ろしさを描いた本だ。

それは人の力ではどうこうするどころか、理解することすらできない。ひたすら畏れ戦きながら、鎮まることを祈り待つしかない。

 

自分たちが理解し難いものがこの世にあり、それを畏れる気持ち、そういう気持ちを忘れないことも大事なことなのかもしれない、とこういう本を読むと思う。