うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【映画感想】竹内結子主演「残穢ー住んではいけない部屋ー」は、原作ファンにも原作未読層にもおススメの面白さ。

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Amazonプライムビデオで小野不由美原作の「残穢ー住んではいけない部屋ー」を見た。

 

すごくよかった。

原作では少しわかりにくい「穢れの伝染のルート」がうまくまとめられている。「残穢」の大きな特徴である「意味がわかると怖い話」的な不気味さもよく出ている。

「帯が畳をこする様子」や「友三郎が自宅監置されている様子」なども、小説を読んで想像していたことがそのまま抜け出してきたようだ。

原作ファンも大満足の映画だと思う。

 

一番良かったのは、「穢れ自体も怖いが、穢れに触れてしまった人間も普通の人から見ると十分怖い」ところに焦点が当たっていたところだ。

夜に訪ねてくる梶川、高野夫人の狂気、公衆電話からの着信、隙間を埋め続ける小井戸さん、魔よけを集め最後には自殺した真辺家の当主。

彼らは土地や人を媒介して伝染した「穢れ」の犠牲者だが、外から見るとその言動が余りに不可解で不気味でそうは見えない。

小説で読むと「気の毒に」と思える彼らの言動を実際に見ると、彼ら自身も「穢れ」そのものに見えてしまう。

「穢れ」に触れてしまった人は、周りから見ると「穢れ」そのものになってしまう。だから昔の人は「穢れ」を非常に恐れたのだろう。

そういう表現に力を入れているところ(高野夫人の表情やそれを見た友人の様子など)に、制作者は「残穢」のことが好きでよくわかっているんだなあ(偉そう)と思える。

 

ただ一点、すごく残念だったのは、怪異の源である「北九州の炭鉱事故で亡くなった人々」を余りにわかりやすく実態化して登場させてしまったことだ。

「残穢」の怖く面白いところは、「穢れ」が実際にあるものなのか、それを恐れる人々が生み出した概念にすぎないのか、もしくはその相互作用なのか、「卵が先か鶏が先か」がわからないところだと思う。

 

「穢れ」があるから「穢れ」を恐れるのではなく、「穢れ」を恐れるから「穢れ」が「存在する」のではないか。

だから「穢れ」そのものと「穢れに触れた人」の見分けがつかないのではないか。 

ホラーとして落ちをつけたかったのかもしれないが、それであれば梶川の部屋の後に住んだ住民が高野夫人の遺体を見てしまう、「久保さん」がその物件の大家さんに部屋を紹介してもらう予定、ということだけで十分だったと思う。

「残穢」が持つ怖さがどこにあるのか、何なのかを信じ切れず、一般的なホラーのように「怪異そのもの」を出してしまったことがとても残念だった。「怪異そのもの」が「存在してしまう」と、怖さはだいぶ目減りする。

 

「主演竹内結子」は最初少し不安だった。自分の中でまったく「残穢」のイメージと重ならなかった。「リング」の松島菜々子みたいな感じなのかな、と不安を抱いて見始めたが、まったくの杞憂だった。

実際の小野不由美は知らないが、「残穢」を読んでこういう人かなと思った「私=小野不由美」そのものだった。

キリっとした美人で、はっきりとした存在感のある橋本愛とのコントラストもあってよかった。竹内結子も美人なのに、存在感をうまくぼやかしている。こんないい役者だったのか、と見る目が変わった。

「私」の夫役の滝藤賢一が、綾辻行人のビジュアルに寄せてきているのも嬉しかった。土地代だけで6000万の家……羨ましい…。

 

穢れに触れてしまった人を含めて文句なしのキャスティングだけれど、一番良かったのはなんといっても平岡を演じた佐々木蔵之介だ。「怪異に憑かれた人」のズレ方というか、そこはかとない狂気がよく出ていた。

怪異は怖い。しかし怪異に憑かれた人も怖い。一体「怪異」「穢れ」とは何なのか。人が把握できる概念なのか、というのが見ていてわからなくなる。

この境界線の不明瞭さ、自分を取り巻く世界の色がいつの間にか少しずつ変わっていくような怖さがこそが、他のホラーとは一線を画す「残穢」の怖さだ。

本当、落ちはいらなかったよ…。

 

ホラーが好き、原作が好きという人はもちろん、ホラーは苦手でまったくダメ、という人以外にはぜひ見て欲しい。

残穢(ざんえ) (新潮文庫)

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