アニメ「アイランド」全12話を見終わった。
粗筋を見て面白そうだと思って見たのだけれど(なのでゲームは未プレイ)見終わったあと若干感想に困った。
というのは、自分はさほど期待しないでこのアニメを見始めたからだ。
「それほど設定がこっていない、それなりに面白く暇がつぶせる、中だるみせず結論がサクッと分かるアニメが見たい」
ただそういう自分から見てさえ、このアニメはツッコミどころがかなり多い。
ゲームではそれぞれのヒロインのルートとエンドが用意されていると思う。一本の整合性のあるストーリーにするのがそもそも難しかったのかもしれない。
ただ「元々が様々なルートがあるゲームが原作だから」ということを差し引いても、アニメ「アイランド」は各エピソードのつなぎが下手すぎる。夏蓮と沙羅の各エピソードは、メインストーリーから浮いている。
この「説明やつなぎが下手すぎる」というのが、アニメ「アイランド」の致命的な弱点だ。
「アイランド」は大切な設定や人物の行動(その動機となる感情)を見ているほうに納得させる努力をせず、すべて「そういうものなのです」と言い切って話が進んでしまう。
やりたいこと自体は面白いと思うのだが、説明の仕方が下手くそすぎて「そういうものだ」と言われてもまったく納得がいかない。
設定もひどいが、登場人物の心情の描写もひどい。
言い出すとキリがないが、物語の主軸に近い話だと「アイランド居住区編」のカレンとサラを助けるためにタイムリープをする、という発想がまず短絡的すぎる。
そもそもコールドスリープのマシンをタイムトラベルマシンと勘違いする、ということはリンネはこの機械について何もわかっていないも同然だ。それなのに自分が愛する人がそのマシンを使って過去に飛ぶ、ということに何の葛藤も見せない。
そこに対する葛藤どころか、過去を改変するということに対する疑問も何一つ見せない。改変したことによって、今よりももっと悪いことが起こるのではないか、という類似の作品の登場人物たちが必ず持つ疑問もチラとすら頭に浮かべない。
「過去に飛べば、バタフライエフェクトが起こって絶対にサラやカレンを救える。今よりもいい今になる」
という余りに楽観的、というより雑、思い込みとしか思えない発想で、恋人を過去に送り出す。
そのあとにタイムトラベルのマシンではなかったことを悟り、嘆き悲しむ様子を見ても「それはそうだろう」としか思えない。
とても機械や科学に精通している人間とは思えない思考だ。この一事だけで、リンネのキャラは崩壊している。
この物語のひどいところは、リンネだけではなく、切那もまったく同じ考えでタイムマシンに入ってしまうところだ。
しかも切那は「現世編」(便宜上の呼び名)で、この機械がタイムトラベルマシンではなくコールドスリープマシンであることを知っているはずだ。それは都合よく忘れてしまっている。
ところが(物語上)二回目の「現世編」ではそうとう記憶が残っている。
この記憶の残り方にも法則性がなく、「物語の都合上」覚えていることと覚えていないことが分かれているとしか解釈しようがない。
アニメ「アイランド」は、「玖音がリンネであり、凛音は切那とリンネの娘である」というどんでん返しをやりたい、という作り手の結論ありきで、この結論につながるまでの道筋がことごとくご都合主義的に片付けられている。
世界設定という物語の根幹が「同じようなことが繰り返されているのは何故なのか」→「何故かと言われてもそういうものなんです」と説明されるのは、苦笑いしか出てこない。
物語内独自の設定はそれでよくても、「未来のカレンとサラを救って未来を変えるために」現世に再びきたはずの切那が「未来ではなく過去なので、あのサラとカレンは救いようがない」と知ったとたん、サラとカレンのことは忘れてしまう(諦めてしまう、というよりは、そもそもの目的について何ひとつ考えていないので、「忘れた」としかいいようがない)
リンネが娘と切那の近親相姦を後押しする、凛音が父母の真実を知ったとたん、前半部分で積み上げてきた自分の恋心をあっさり捨てるなど、キャラの心情も結論ありきの「何故かと言われてもそういうもの」になっている。
てっきり凛音が切那への叶わない恋に絶望し、海に身を投げて、「結局同じことが繰り返される」のかと思ったが違った。
他にも気になった部分の例をあげると、未来編(便宜上の呼び名)で捕まった切那、サラ、カレンが火あぶりにされそうになるシーンがある。
煙がすごいだろうに咳込みもせずに普通に話せる、あれだけ聴衆が集まっているのに、リンネの声がなぜあんなに通るのか、見張りはいないのか、助かったあと火傷や焼け焦げがないのは目をつぶるが、服や顔が煤で汚れていないのは何故なのか、アイランド居住区は密閉空間なので、火刑は発想として出てきづらいのではないか、この1シーンだけで疑問が山のように出てくる。
そういう描写と後の展開の辻褄合わせが面倒なら、このシーンは処刑前の見せしめに切り替えるだけでもだいぶ疑問が減ると思うのだが、そういうことをしないところにこの物語の基本的な姿勢と問題点が表れている。
「アイランド」は、「何故かと言われてもそういうもの」「そういうものだという結論ありきの思い込み」で物語のすべてができているので、少しでもその思い込みに疑念を持つと見るのが難しくなる。
ただアニメ「アイランド」は、それでも何となく楽しく見れてしまう。
それは恐らく制作者のこの作品に対する思い入れが、余り重くないからでは、と自分は思っている。
見ている人間が少し考えただけで山のように出てくる疑問を放置しているところを見ても、この物語の作り手は「表面上それなりにいい話」ができればいい、くらいの思い入れでこのアニメを作っているのではないか。
制作者の姿勢がそうなので、見ているほうもそんなに目くじらを立てなくても、という気持ちになる。これが作者の強い思入れや意気込みが感じられると、見ているほうの期待値も自然と高くなる。
アニメ「アイランド」の一番いい点は、作り手と読み手の緩さのマッチング具合ではないか、と見終わって思った。
逆に言えばこれがマッチングしないで期待値を高くしてこのアニメを見ると、その期待はかなりの確率で裏切られる。
感想で「シュタインズゲート」と比べている人が何人かいたが、それは恐らく期待値の設定が高すぎる。自分は「シュタインズゲート」よりも「YU-NO」に似ていると思ったが、表層的な粗筋は似ていてもそれらとは似て非なるものだ。
この「作り手と読み手の期待値のマッチング」は、物語を作るうえで非常に大切なものだと思う。これが合わないと、そうとうな確率でその作品に文句を言う人が多くなる。
アニメ「アイランド」は「時を超えた純愛って素敵じゃん。感動的じゃん。可愛い女の子が幸せになってよかっただろ? 細かいことは気にするな」という作り手の言葉に、ぼんやりと「まあそうかも」と思えるものだった。
この話をやるには尺が短すぎたのもあったかもしれない。
ゲーム版は、もう少し詳細を詰めているのかな。
でも「YU-NO」のアニメ版がこんな感じだったら怒る。

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