うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「罪と罰と贖罪」というテーマで、「サイレントヒル2 最期の詩」を思い出す。

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「SSSS.GRIDMAN」について、思いついたことが出てきたので書きたい。

 

「電光超人グリッドマン」をはじめ特撮の歴史や文脈はよく知らないので、普通に「GRIDMAN」という単体のアニメとして見た。

アカネの救済が主筋だという視点で見たが、正直イマイチだった。

アカネが何から逃げてきたのかもわからない、何から逃げきたのかもわからないからその乗り越えかたもわからない、アカネが乗り越えるのではなく「グリッドマン同盟」が救う話だったようだが、アカネの内面にまったく触れずに「救う」とはどういうことなのか、など色々と不満がある。

アカネの罪(何から逃げてきたのか)罰(そのことについてどんな負荷がアカネにかかっているのか)贖い(どうそれを乗り越えるのか)どれをとっても掘り下げが足りず、物足りなかった。

自己投影させるために、あえて詳細な罪、罰、贖いを省いたのかとも考えたが、それにしてはキャラのクセが強すぎる。共感するには設定が物足りなく、自己投影するには詳細を書き込みすぎている、ちょっと中途半端だなという印象だ。

 

ただ、序盤の「アカネ人気者設定」に理由があったのは良かった。

人気者の割には「門限があるというのが嘘とすぐに周りが気づかない、少なくともツッコミがないのはおかしい」など色々と違和感があった。

そういうことがわからないから、そういう「設定」は作れないのか、ということからアカネが逃げてきた世界がどんな世界だったか、とそこはかとなく察せられる。

状況がわかってきた中盤からは、さほど興味が持てなかったアカネのことを応援したくなった。そういう「設定」に関してのアカネの罪悪感なり苦しさの内幕がもう少し描かれていたら、「アカネを助けたい」なり「アカネがんばれ」という気持ちになったと思う。

「つまらなくはないけれど、序盤から想像したほど盛り上がらなかった」というのが最終的な感想だ。

 

この「罪・罰・贖い」というテーマで見たときに、バランスがいい作品があったよなあと考えていて、「サイレントヒル2」を思い出した。

ゲームをプレイしていて泣いたことが二回あるのだけれど、そのひとつが「サイレントヒル2」だ。もうひとつは「ワンダと巨像」だが、「ワンダと巨像」も「罪と罰」のバランスが絶妙だった。

犯してしまった「罪」に対してかかる負荷(罰)をどう乗り越えるか(贖い)、もしくは強い負荷(罰)がかかってもその罪を犯す心情がうまく描かれている場合、感情が動かされるのだと思う。

「サイレントヒル2」は前者で、「ワンダと巨像」は後者だった。

 

「サイレントヒル2」は、「罪に対する贖い」というテーマが非常にうまく描かれていた。

ゲーム中で贖われている「罪」は、「メアリーを自分が殺したという事実を、忘れられるものならば忘れてしまいたいと願ったこと」だ。「メアリーを殺したこと」自体の贖いは、エンディングの後になる。

「メアリーを殺したという事実を受け入れることすらしない」→贖罪失敗がマリアエンド、「メアリーを殺したことを思い出し、受け入れる」→贖罪成功エンドという分岐がまずあり、その先の「メアリーを殺した罪」の贖いかたもプレイヤーに選ばせる作りは、今思うとうまいと思う。

ジェイムスと同じように殺人の罪を犯しているアンジェラが死に向かうことが、ジェイムスの行く末の対比なりオーバーラップになっている。


ラスボス前のメアリーの独白は、すさまじく罪悪感を掻き立てる。ここでプレイヤーも、ジェイムスの罪悪感を味わえる作りがいい。

ジェイムスはこの罪悪感から逃避したのだが、死ぬ間際のメアリーの思いを聞くことでその罪悪感と向き合い、それを乗り越えるために自分にとって都合のいい妄想の象徴であるマリアと対峙する。

他のコンテンツだと少し分かりやすすぎるかな、という気もするけれど、自分で先行きを選択するゲームの場合、これくらい分かりやすいほうが自分が選択する、という感覚が明確になる。

 

「In Water」エンドと「Leave」エンドのどちらがトゥルーエンドか、というのは少し悩む。

正史はどうも「In Water」エンドらしいが、メアリーの最期の想いが届かない、「In Water」エンドならそもそも「サイレントヒル2」という物語自体が丸々いらないんじゃないか(「サイレントヒル2」を経験しても結論が変わらない)などどうも収まりが悪い。

という理由で元々は「Leave」エンド推しだったが、「メアリーが死ねばいいと思っていた」くらいの罪ならばともかく、殺人を犯しているので、その贖罪の行方が示されない「Leave」エンドも微妙だ。

「メアリ―が望んだから、ローラを守って生きていきます」というのは、罪に対しての贖いが軽すぎてむしろ後味が悪い。

個人的には「Leave」エンドで自首を示唆する、というのが一番話としてはまとまったのではと思うが、ここでふと思いついたことがある。

 

「サイレントヒル2」を単体で見ると、「Leave」エンドは感動的な物語になる。

人はどんな大きな罪も贖い、乗り越えることができる。そしてどれほど大きな過ちを犯しても、それとは別に愛は存在するという、とても美しいことが描かれている。

しかし「サイレントヒル」シリーズとして見ると、「1」のような薄気味悪く後味の悪いホラーからはかけ離れてしまっている。

ところが「In Water」エンドで見ると、犯した過ちはどれほど悔いても取り返しがつかないし、愛する人の最期の願いや愛情すらも届かないほど罪は人を蝕み絶望させる、という何の救いもない物語になる。「サイレントヒル」シリーズの絶望感を、踏襲しているように見える。

「この物語には意味がない」という虚しさと絶望を語った「In Water」エンドは、「最期の詩」を「サイレントヒル」シリーズに留める役割を担っていたのかもしれない。

 

「Leave」エンドを選べば、「サイレントヒル」というシリーズから離れ感動的な物語になり、「In Water」エンドを選べば「サイレントヒル」シリーズの正史に連なる救いのないホラーになる。

ほんとよくできている。

サイレントヒル HD エディション - PS3

サイレントヒル HD エディション - PS3

 

 

「サイレントヒル4」は、「恐さや不気味さ」を「うざさ」ととり違えていていてゲームとしては最悪だった。

世界観とストーリーは好きだったのに、残念。

SILENT HILL4 THE ROOM

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