うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「プロフェッショナル 仕事の流儀 囲碁棋士・井山裕太 前人未到の偉業その先へ」が恰好良すぎた。

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2019年1月21日(月)「プロフェッショナル仕事の流儀 囲碁棋士・井山裕太」を見た。


井山裕太は若いころから騒がれ、囲碁の歴史を塗り替え20代で国民栄誉賞を受賞した、囲碁界に彗星のごとく現れた天才だが、一見するととてもそういう人には見えない。

勝負の世界で一流と呼ばれている人はどれだけ謙虚で穏やかそうに見えても、どこかギラギラした自信が垣間見えることが多い。むしろそういうものがなければやっていけない世界なのだと思っている。

だがあれだけ華やかな経歴を持ちながら、井山裕太は話し出しても「優しそうな普通の人」にしか見えない。

番組の中盤で出てきた中国のトップ棋士陳耀燁が人を寄せ付けない雰囲気をまとい、勝負のときに人を射抜くような鋭い眼差しをするのとは対照的だ。

話を聞いても「過ぎたことは考えても仕方がないし」「うーん、何を考えていたか覚えていない」「負けたとき、悔しいというよりもびっくりした」などと、のんびりした口調で達観したことばかりを話す。

「いい人そうだけれど、本当にそんなにすごい人なのかな」とつい思ってしまう。

 

番組を見た限りでは、井山裕太が勝負師の顔を見せたのは一瞬だけだ。

陳耀燁との対戦で負け、三十分間部屋に一人で閉じこもったあと、棋士たちが検討しているところに顔を出す。

そのとき、すごい勢いで盤面を崩して、疑問に思っていた局面を作り直すところを見て、「ああ、この人はやっぱりすごい人なんだ」と突然思った。

「なぜ、そう思ったのか」はよくわからない。普段の穏やかで物柔らかな物腰とのギャップなのかもしれない。

穏やかな顔で外の世界をやりくりしながら、まったく別の、彼と同じ能力を持つ人間しか踏み入れない世界で本当のこの人は生きているんだろう、と何となく思った。

その垣間見え方が、ものすごく恰好良かった。

 

それが余りに恰好良かったので、唐突にアプリで囲碁を始めた。(すぐに影響を受ける。)

「ヒカルの碁」が連載していたとき、友達に誘われて(*「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」を貸してくれようとしたMちゃん)ちょっとだけ囲碁をやっていたことがある。(無茶苦茶下手だったが。)

Mちゃんはハマるととことんまでのめりこむタイプで、よくプロ棋士の動向やタイトル戦についても教えてくれた。日本棋院にも何度か行った。

あのころは韓国や中国、台湾出身の人が日本に来てトップ棋士になっていたのに、今はだいぶ中国や韓国に引き離されてしまっているのか。AIの登場といい、時代が目まぐるしく変わっている。

 

囲碁は運の要素がほぼないし、勝った負けたの白黒がはっきりしている世界なので、AIの登場は脅威だろう。

見ているほうは、勝負の結果以外の人間ならではの苦悩や喜びや努力という過程も大事なのだから、AIであっても勝負に勝てれば凄い、というのは何となく腑に落ちないが、トップに近ければ近いほど相手がAIだろうが結果が全てなんだろう。

井山裕太の話からは、「AIだから人間とは土俵が違う」というニュアンスは感じなかった。

相手がAIだろうと人間だろうと勝たなければ意味がない、結果がすべてだ、ということを当たり前の前提として穏やかに話す姿に、一流の世界で生きている人はこういうものなんだなあと思った。

井山裕太打碁集 ?七冠独占、そして世界へ?

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