うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【ダークソウルⅢ考察】「罪の都」で起こったこと、法王サリヴァーン、「深みの聖堂」についてなど。

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前回の「基本的な考え方」を踏まえて、「ダークソウルⅢ」のストーリーについて考えていきたい。

 

 

 

「罪の都」で何が起こったのか?

結論から言うと「イザリス」と同じことが起こったのではと思う。

「人為的な火」を熾そうとし、それが「罪の火」として残っている。

罪の炎に由来する呪術。離れた敵を炎で包み、焼き払う。巨人ヨームが薪の王となった後、罪の都は炎により滅びた。それは空より生じ、人々だけを焼いたという。

(ダークソウルⅢ「罪の炎」の説明より)

 

前回の記事で書いた通り「呪術」は、「イザリス」が生み出した「混沌の炎」をコントロールするための術だ。つまり「超自然発生的な炎」ではなく、「人為的に生み出された炎(混沌の炎)」のための術なのだ。

「人為的な炎」というならば、その炎を誰が生み出したのか。

彼女たちはある神官の一族であり、その呪いが罪の火の切欠になったという。

(ダークソウルⅢ「エレオノーラ」の説明より)

罪の都の神官の一族の女性たちが、「呪い(呪術)」により人為的に炎を熾した。というより、「人為的に、人由来の炎を熾すこと」が「呪い(呪術)」なのだ。

イザリスのクラーナの手により潜在する力を引き出された呪術の火。

(ダークソウル「呪術の火」の説明より)

 

呪術は元々が「魔女」の業であり、女性が祖だ。

女性という属性でつながることで、「イザリスと同じことをしたのではないか」と想起させる。(前の記事で書いたとおり、こういう風に事象をふわっとした連続体としてとらえ、話の隙間を埋めていくとわかりやすい)

 

しかし「人為的に生み出された混沌の炎」は、「岩を溶かし、着弾跡には一時的に溶岩溜まりが生まれる。全てを飲み込んだ混沌の炎はやがて苗床となり、異形の者たち、デーモンを生む」ものではないか。

なぜ「罪の都」では人々が焼かれただけだったのか。なぜ熔岩に埋まり、デーモンがあふれるイザリスのようにはならなかったのか。

恐らく「混沌の炎」をヨームがすべて受け止めたのではないか、と考えている。ヨームは「(闇属性に所属する)混沌の炎」に触れたために、正気を失ったのだ。

 

「Ⅲ」の「古い薪の王」のうち、正気(プレイヤーとコミュニケーションがとれる)なのは「双王子」だけだ。

「深淵の監視者」は深淵に触れたため、エルドリッチは「おぞみ」に触れたため、そしてヨームは「混沌の火」に触れたため、理性を失った。

ヨームは「罪の火」に触れれば理性を失うことがわかっていたため、ジークバルトにストームルーラーを託したのだ。

 

カルラはなぜ、牢に閉じ込められていたのか?

カルラはひとつ引っかかることを言っている。

「私は罪人」というセリフだ。

単純に禁忌である「闇」や「深淵」に触れたことを指していると考えることもできるが、今までのストーリーやテキストで、「罪」は「闇の属性」の中に含まれていないので結びつけづらい。「Ⅰ」で出てきた「深淵に挑んだ魔女ビアトリス」は、「罪」という概念を結びつけられていない。

「罪」と結びつきが強いのは「罪の炎=混沌の炎」であり、「イザリス」だ。そして彼女は「イザリス」の属性に含まれる「呪術」を、魔女でありながら教えることができる。

「魔女であり呪術も使える」となると、「イザリス」との関連がかなり濃くなる。

これも「言葉や事象で明示はできない」が、想起させることはカルラもまた、イザリスと同じ「罪」を犯し、エレオノーラと同じように牢に閉じ込められているのではないか、ということだ。

「馬鹿弟子」でクラーナともつながっているため、色々と考えたくなる。

 

物語の中心にいる法王サリヴァーン

「罪の火」は、若き魔術師であったサリヴァーンが見つけ、イルシールに持ち帰る。

法王サリヴァーンの持つ右手の剣。罪の火を称する儀式の剣。

遥か昔、イルシールのはずれ、その地下に罪の都と消えぬ火を見出したとき、若き魔術師サリヴァーンの心にも、消えぬ野心が灯ったのだろう。

(ダークソウルⅢ「罪の大剣」の説明より)

 

イルシールの冷たい死霊、罪の火をささげ持つ魔女たちの兜。

法王の騎士を率いた魔女たちは、元は聖騎士に叙されたものだが、すぐに罪の火に心を奪われたという。

 (ダークソウルⅢ「火の魔女の兜」の説明より)

 

サリヴァーンの野心だが、以前は「アノールロンドを滅ぼして、自らが神になることではないか」と思っていた。だが罪の都を滅ぼし「罪の都の数少ない生き残りであり、のちに法王サリヴァーンに仕えた」り、踊り子やボルドを外征させたところを見ても、全世界を支配しようとしていたのではと考え直した。 

 

以前エルドリッチ関連の考察をしたとき、「サリヴァーンは面白い」と書いたが、今回アイテムテキストを調べて驚いた。

ゲーム上はただの中ボスにすぎないサリヴァーンだが、アイテムテキストではどこのエピソードにも関わってくる。

多くのキャラはひとつのストーリーラインにしか関わらない(多くてもふたつ)なのだが、サリヴァーンはそこかしこに出てくる。

前述したように「罪の都」、エルドリッチ関連で「深みの聖堂」、踊り子を通じて「ロスリック関連」にも出てくるし、アノールロンドを滅ぼしヨルシカを幽閉することで「暗月」にも深く関わる。「冷たい谷」の出身であることから、絵画ともつながっている。

サリヴァーンの生い立ちや動向を追っていくと、「Ⅲ」の話はほとんど理解できると思えるくらいだ。

そういうキャラが何のイベントもない中ボス扱いというアンバランスさも、「ダークソウル」の面白いところだ。

 

法王サリヴァーンには、重要な部分が二点ある。

①「冷たい絵画の世界」の出身である。

②二面性が強い

前述した通り、「冷たい世界」は、「火」と「闇」のはざまにあり、どちらにも所属しないところから「二面性」という属性が含まれる。

画家の言葉通り、絵画世界の成り立ちに「火の知らぬ者には世界は描けず、火に惹かれる者に世界を描く資格はない」という二面性がある。

画家のこの言葉も「罪の火を見つけたことによって、世界を支配する野心を持った」サリヴァーンの心象につながっていく。

 

「罪の大剣」と「裁きの大剣」を持つ、戦いが進むと二体に分離する、「絵画の世界は捨てるべき故郷」(「冷たい武器」の説明)と言いながら「君がどこにいようと、そこは帰るべき故郷」(「小さな人形」の説明)と一方では言う、とサリヴァーンの二面性は枚挙の暇がない。

サリヴァーンという人物自体が、「冷たい絵画世界は、二面性と深く関係がある」ということを表しており、そこから「二面性を持つキャラは、絵画世界に深く関係するのではないか」という推測ができる。

無印で絵画世界に潜んでいたのは「半人半竜」のプリシラだったし、サリヴァーンと同じ冷たい谷の出身であるマクダネルは「聖職者でありながら魔術師であり、信仰を魔術の糧とする禁忌」を行っている。

 

他に「二面性を持つキャラ」として真っ先に思いつくのは、グウィンドリンだ。彼は「陰の太陽」という矛盾した属性を持ち、「男でありながら女性として育てられた」という二面性も持つ。

こういう連なりが「グウィンドリンはプリシラの子供」という説の、ひとつの根拠になる。

また「冷たい谷のイルシール」の出身であるエルドリッチも二面性を持っているのでは、と考えられる。

以前考えた「エルドリッチ=グウィンドリン」説「この二人をはっきりと分けなくてもいいのでは(人の二面性を表すのでは)」が、方向性として正しいように思えてくる。

 

今回サリヴァーンについて、もう一点気になったことがある。

月の裁きを称す儀式の剣であるが、その魔力は、月よりも魔術に近い。暗い月よりもなお暗い青色は、魔術師サリヴァーンの本質であったろう。

(ダークソウルⅢ「裁きの大剣」の説明より)

ここで唐突に出てくる「月」である。

ヨルシカと対比させて「暗月の復讐よりも強い」と言いたいのか、と思っていたが、そうであっても「その魔力は、月よりも魔術に近い」という一文が引っかかる。

サリヴァーンは魔術師であり、「月よりも魔術に近い」のは当たり前だからだ。

サリヴァーンの本質には「月の要素」が含まれており、「自身の中にある月と魔術の要素のうち、魔術の要素のほうが強い」ということが書かれているのではないか。そう書くことで、サリヴァーンは「月の要素」を持っている、ということを暗示しているのではと思う。そうでなければ、この一文を入れる意味がない。

少なくとも「月の裁き」を扱えるということは、サリヴァーンは「月」の要素を持っているのだ。

「月」と言えばあの人(?)だ。

白竜シースの名で伝わる伝説のドラゴンウェポン。強攻撃を最大にためることで、月光の波が解放される。妖王オスロエスは、妄執の先に月光を追い、

(ダークソウルⅢ「月光の大剣」の説明より)

 

白竜シースは「月光蝶」も生み出しており、その力は「月光」だ。

「月」につながるものは、シースにつらなると考えることができる。「シース、プリシラ、グウィンドリン」のつながりの中に、サリヴァーンも入るのだ。

そう考えていくと前回不思議だった、「なぜ、サリヴァーンはヨルシカを幽閉して生かしているのか」ということも考えが広がる。

一説として考えたいのは、サリヴァーンはプリシラと人間との間に生まれたのではというものだ。神(月)の力はだいぶ薄れ、その本質は魔術(人)に近い。

そうするとグウィンドリンは異父兄弟ということになり、ヨルシカは血がつながらないとはいえ兄妹となる。

アイテムテキストから考えた通り、サリヴァーンは性格も二面性があり、野心に燃えながら冷静、冷たいようでいて変なところで情け深い(追放する踊り子に、自分と同じ剣を渡すなど)ので、ヨルシカを生かしたのだろうと思う。

 

「深みの聖堂」マクダネルがやっぱり他人とは思えない。

深みの封印者であったはずの彼らは、やがて皆、おぞみに飲まれた。信仰も灯火も何の役にも立たなかったのだ。

 (ダークソウルⅢ「主教のローブ」の説明より)

「深みの聖堂」は元々はグウィンの叔父である主神ロイドを祀る白教の総本山であり、「深み」の封印者であった。しかし主教たちは、逆に封印すべき「深み」に飲まれてしまい、ミイラ取りがミイラになってしまった。

 

アイテムテキストのニュアンスを見ると、マクダネルの「深み」への傾倒が周りを引きずりこんだのでは、と思える。 

 魔術師でもあった大主教マクダネルは、聖堂に澱むソウルに歓喜したという。素晴らしい、ここが世界の底であると。

 (ダークソウルⅢ「強い深みのソウル」の説明より)

 

マクダネル関連のテキストを追うと、自分の興味の赴くまま、空気を読まず好き勝手やる奴なのだろうと読み取れる。

最高位の象徴にすぎなかった大杖は、大主教マクダネルの手で魔術杖となった。それは信仰を魔術の糧とする禁忌である。

 (ダークソウルⅢ「大主教の大杖」の説明より)

彼らは、冷たい谷のマクダネルの教えにより、聖職者でありながら魔術師になったという。

 (ダークソウルⅢ「聖者の燭台」の説明より)

大主教ロイスと、彼の主教たちの魔術。冷たい谷のマクダネルが伝えたという。

 (ダークソウルⅢ「深みのソウル」の説明より)

 

「信仰を魔術とするのは禁忌」なのに、聖堂のものである大主教の大杖を勝手に魔術杖にしてしまったり、自分が興味を持ったら他の人間に伝えたりしている。

「大主教の白冠」の説明は、死んでいる場所から見てもマクダネルのことを言っているのだと思うが、禁忌を広めるだけ広めて、自分はエルドリッチを追って聖堂からいなくなっている。

深みの聖堂、その大主教の白冠。神の代理人にのみ与えられるもの。深みの大主教は三人おり、一人はエルドリッチに従い聖堂を去った。 

 (ダークソウルⅢ「大主教の白冠」の説明より)

 

エルドリッチが冷たい谷に去った後聖堂に残った大主教ロイスは彼の主教たちと、主の棺を守り続けた

(ダークソウルⅢ「深みの主教たちのソウル」の説明より)

白教の最高位の証。深みの大主教は三人おり、一人はエルドリッチの棺を守っていた。いつか主が戻ると信じて。

(ダークソウルⅢ「大主教の聖衣」の説明より)

エルドリッチの帰還を信じて空っぽの棺を守り続けたロイスが、いじらしく感じる。

 

マクダネルの周りがまったく見えず興味もないことがあからさまで、ただひたすら自分の興味のみを追求する驚くべき社会性のなさは、やっぱり他人とは思えない。

周りにとってはただただ迷惑だし、因果応報のように、誰にも見つけてもらえないような場所でサリヴァーンの獣にさえ無視され野垂れ死んでいたが、死顔がにやけていたので本人はそれで十分満足だったのかもしれない。

 

まとめると

「深みの聖堂」は元々は、グウィンの叔父である主神ロイドを祀った白教の最高位、大主教がいる場所だった。

しかし大主教のうちの一人、マクダネルが信仰に魔術を取り込むという禁忌を犯し、「人の澱み」に魅せられる。

主教たちは自分たちが封印すべき「おぞみ」に逆に飲まれ、エルドリッチはその中で「火の時代の先に深海の時代がくること」を確信する。「深海の時代」の到来を信じた主教たちは、野望により法王の座についたサリヴァーンと手を組み、アノールロンドを滅ぼし、エルドリッチに神喰らいを行わせる。

 

以前の考察では、エルドリッチは「深海の時代の到来を防ぐために、神喰らいを始めたのではないか」と書いたが、アイテムテキストを読んだ限りでは、やはり「深みの聖堂」の主教たちは「深海の時代の到来を待ち望んだ」という説のほうが有力に感じる。

しかし逆の説のほうが個人的には好きなので、そちらも残しておこうと思う。

 

「ダークソウル」の世界観の一番面白いところ

神と人、生者と亡者、火と闇、フラムトの思想とカアスの思想と「ダークソウル」では対立する概念や事象がいくつも出てくる。

「ダークソウル」の世界は、「世界はまだ分かたれず」対立する概念がない世界に、火によって「差異がもたらされた」

つまり「全部が同一のものだった世界に、差異という概念が持ち込まれたにすぎない」そういう世界観なのだ。

「元々は同一のものを便宜的に区切っているにすぎない」

「墓守の呪術書」を渡されたコルニクスが「人の奥底、触れざる火を熾すもの」と言っているように、火の属性と対立する「ダークソウル」の中にも火は存在する。

 

「火」も「闇」も、「神」も「人」も、「生者」も「亡者」も、同じものの別の側面にすぎない、という発想が、「ダークソウルの世界」を見るときにとても大事だと感じる。

西洋思想よりは東洋思想に近い世界観だ。

一見、よくある「ダークファンタジー風世界」に見えながら、根本的な世界観、世界の成り立たせ方が他の創作とはまったく違う発想で出来上がっていることに気づいた。

知れば知るほどもっと世界の隅々まで知りたくなる、独特の魅力を持つ世界だ。

これでもう「ダークソウル」の世界は終わりなのか、続きは出ないのかと思うととても寂しい。

DARK SOULS III THE FIRE FADES EDITION - PS4

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その他の考察

その他の部分は、以前考えたものとさほど変わっていない。

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