うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

自分が始めた物語をたった一人で戦い続ける「ワンダと巨像」という神ストーリー。

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前回の記事で、「他者は他者である限り、自分という存在を規定し、縛り、歪め抑圧する可能性を内包する存在」であることを「他者が内包するリスク」と仮に名付け、その「リスクを取ってでも他者といるのか」という軸で「赤ずきんの狼弟子」について語った。

 

「他者から与えられるメリット(愛情や承認、安心、信頼など)が大きくなればなるほど、その他者に対するリスクが高まる」

「そのリスクが高まり、最終的にはそのリスクを取らなくてはいけないことがわかっていても、共にいることを選ぶ」

他者の都合のいい部分だけではなく、そのリスクを取ることも覚悟した「赤ずきんの狼弟子」はいい漫画だなあと思う。

 

また「他人にとっては存在するだけで脅威である(リスクを持つ悪である)自分」を認め、それでも「誰かにとっては悪である自己を主張すること」を主体的に選び続ける「進撃の巨人」は改めてすごい漫画だと思った。

 

この流れで思い出したのが「ワンダと巨像」だ。

ゲームとしても面白かったが、それ以上に世界観とストーリーがすごく好きだ。

 

ワンダはモノを目覚めさせるために、ドルミンの言葉に従い、たった一人で(アグロはいるが)巨像と戦い続ける。

しかし、ゲームを進めるにつれ、プレイヤーも薄々勘づく。

仮にモノが目覚めたとしても、ワンダがモノと会うことはない。十六体の巨像を倒したあとのワンダの行く手に待つのは、ろくでもない未来だろうと。

巨像を倒すごとにどんどん穢れていくワンダの姿は、プレイヤーにそう確信させる。

いかにも怪しげな存在であるドルミン。

目覚めようとするモノの苦しげな声。

巨像が倒れるときの罪悪感。

黒く穢れていくワンダ。

十六体の巨象を倒したら、モノが目覚めてワンダに感謝し、二人で幸福な結末を迎えると想像するほうが難しい。

 

恐らくプレイヤー以上に、ワンダ本人がそのことを感じとっている。

ワンダは巨像を倒したあと、歓喜も高揚も表さない。モノの目覚めが近づくことへの、喜びも感じ取れない。

ただ淡々と巨像を探索し、たった一人で巨像と戦い続ける。

巨像を倒すたびに、ワンダは巨像の残骸から生まれる黒い影に刺し貫かれる。逃げ回っても必ず追いつかれるその姿は、とても無力で惨めだ。

 

巨像を倒したときに感じるのは、常に虚しさであり、自分の道を進めば進むほど穢れていくワンダへの切なさである。

ドルミンは明らかに何か目論見を隠しており、信用できない。モノが本当に目覚めるという保証すらない。

モノが目覚めたとしても、恐らくワンダはモノとは会えない。

続けたところで何の見返りもない、褒められない、認められない。

途中でやめても誰にも咎められない、見下されない、責められない。

そもそも誰もワンダを見ていない。

ドルミンはワンダがいなくなっても他の人間が来るのを待つだけだろうし、モノは目覚めていないのだからワンダを責めることはないだろう。巨像もワンダが起こさなければ、その場に静かに眠っているだけだ。

自分自身に適当な言い訳をして、この地を去っても誰一人困らない。

そういう状況なのに、何故、これほど傷つき穢れて戦い続けるのだろう。


「モノ」はゲーム中は背景や人格が出てこないので、プレイヤーが各々その背景を考え、求めるものを投影することができる。

それは「モノという他者そのもの」であるかもしれないし、「モノに象徴される何か」かもしれない。

しかし、それが手に入ることはない。

「他者という恩恵のない世界」で、一人で旅をし、一人で対峙し、一人で傷つき、一人で穢れ、それでも戦うことを自分自身で選び続けるワンダの姿が、この物語をこれほど美しくしているのだと思う。

 

自分の中で、「ワンダと巨像」は、「進撃の巨人」とよく重なる。

 

お前を選んだ一番の理由は、お前がマーレを人一倍憎んでいるからじゃない。お前があの日、壁の外に出たからだ。

あの日お前が妹を連れて壁の外に出ていなければ、お前は父親の診療所を継ぎ、大人になった妹は今頃結婚し、子供を産んでいたかもしれない。

だが、お前は壁の外に出た。

俺たちは自由を求め、その代償を同胞が支払った。そのツケを支払う方法はひとつしかない。

俺はここで初めて同胞を蹴落とした日から、お前は妹を連れて壁の外に出た日から、その行いが報われる日まで進み続けるんだ。死んでも、死んだ後も。

 

これはお前が始めた物語だろ。

 (引用元:「進撃の巨人」22巻 諌山創 講談社)

 

クルーガーがグリシャに語ったこの言葉が、滅茶苦茶好きなんだが、「ワンダと巨像」もこういう話なんだと思う。

少なくとも自分の中では。

 

「赤ずきんの狼弟子」を読んで「進撃の巨人」や「ワンダと巨像」の中に何かを見出し、「進撃の巨人」で「ワンダと巨像」は何なのかを悟る。

物語はすごい。

【PS4】ワンダと巨像 Value Selection

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