うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

新海誠監督「雲のむこう、約束の場所」は反世界系の物語ではないか。

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雲のむこう、約束の場所

雲のむこう、約束の場所

 

 

「雲のむこう、約束の場所」は、やや設定がややこしく、作内ではそれほど細かい説明がない。

あらすじとアニメの作内設定(小説版や設定資料などは読んでいない)を整理したうえで、感想を述べたい。

 

設定の整理とあらすじ

「雲のむこう、約束の場所」では物語の開始時点で、津軽海峡を境にして日本が南北に分断されている。

分断されたのは作内の会話から推測すると、主人公の浩紀が生まれる直前と思われる。(蝦夷製作所の比較的若い職員が、「お前らは分断後の世代」と言っているところから推測)

本州から以南がアメリカと友好関係にある日本であり、北海道は「蝦夷」という地名で「ユニオン軍」に支配されている。

 

蝦夷の中心には、内部がナノリボンでできた巨大な塔が立っている。

この塔は、平行宇宙を感知し、塔の周囲を平行宇宙に書き換え、置き換える力を持つ。

平行宇宙とは、今認識している空間とは「別の宇宙の組成でできた全く別の空間」であり、分岐宇宙とも呼ばれている。宇宙が見ている夢のようなものであり、「こうであったかもしれない可能性」がその夢の中に隠されている。

「予知」と呼ばれる能力も、この平行宇宙を感知したものではないかという仮説がある。

塔の設計者であるエクスン・ツキノエは、初めて平行宇宙の実存を証明した。沢渡佐由理の祖父でもある。

 

塔は周囲の空間を平行宇宙に書き換える能力があるが、現在のところ周囲二キロまでを置き換えて活動が停止している。

青森アーミーカレッジ戦時下特殊情報処理室の室長で、長年塔と平行宇宙の研究をしてきた富澤は、塔が活動を停止しているのは、塔の機能を抑え込む何らかの外因があるのではないかと推測している。

 

その外因として発見したのが、三年前から眠り続けている、ツキノエの孫である佐由理だ。

富澤は、塔がとらえている平行世界の情報が周囲を侵食する代わりに、佐由里の夢に流れ込んでおり、その情報に佐由理の脳が耐えきれないために彼女は眠り続けていると考えた。

世界が平行宇宙に飲み込まれないためには、佐由理に夢を見続けてもらうしかない。

 

一方で国内では、ユニオン軍に対する開戦の兆しが高まっていた。

南北統一を理想に掲げる過激派組織「ウィルタ」は、開戦後、塔が兵器として機能することを恐れ、爆破を試みる。

佐由理を塔へ連れていくことを約束した浩紀は、塔を爆破する任務を引き受け、眠る佐由理と共に自作の飛行機ヴェラシーラに乗り込む。

 

感想

「雲のむこう、約束の場所」が何となくわかりにくく感じるのは、設定がややこしいというよりも、大枠の設定を見る主人公の浩紀の視点が余りに狭すぎるからだ。さすがにこのままだと話がまったく進まないので、拓也の視点で物語の大枠がわかるように補完している。

 

浩紀と拓也は、岡部に飛行機について聞かれたときに答えや発声のタイミングがそろっていたことが象徴するように、別人物であると同時に同一性も持っていると考えることができる。同じ女の子を好きになり、同じ夢を持ち、同じ時間を過ごしたことから、同一人物の別々の側面(という要素も持っているの)では、と考えた。

前向きで建設的な人生を歩み、別の女性を好きになった「大人になった拓也」と、現実から逃れ自分の世界に引きこもった「子供のままの浩紀」に可能性が分かれていく。

拓也が浩紀に対して激高し、「自分たちが同一だった子供時代の象徴」であるヴェラシーラに銃を向けるのはそのためだ。

 

「雲のむこう、約束の場所」の面白いところは、「大人になった拓也」ではなく「子供のままの浩紀」を主人公にすえている点だ。

「子供のままの浩紀」が主人公だと、話を進めるのが難しい。実際に三年間、浩紀は何もやっていないで自分の内側に引きこもっていたに等しく、物語内の現実世界に関わっていない。

拓也が「今さらのこのこやってきて、何かと思えば夢の話か」」と怒るのも尤もだ。

話だけを進めたいなら、浩紀は必要ない……というより、邪魔でしかない。

少年時代、「雲のむこうに一緒に行く」と約束した女の子が、原因不明で眠り続けている。その子の目を覚ますために塔の研究を続けるうちに、平行世界の存在を知る。彼女と世界の危機のどちらを取るか悩むが、彼女との約束を守り、彼女を目覚めさせるため、塔を破壊しにいく。

標準的な物語であれば、拓也が主人公で十分成り立ってしまう。

 

ではなぜ、主人公が拓也ではなく「今さらのこのこやってきた」浩紀でなければいけないのか、というのが「雲のむこう、約束の場所」の面白いところだ。

「雲のむこう、約束の場所」の面白さの一番のポイントは、浩紀と拓也の不自然な役割分担にあると思っている。

 

自分がこの話のポイントではないか、と思ったセリフが二か所ある。

一か所めは、17分45秒あたりから始まる浩紀の独白だ。

「あのころは、一生このまま、この場所、この時間が続く気がした。あこがれていた雲の向こうのあの場所は、僕にとって大切な約束の場所になった。あの瞬間、僕たちには恐れるものなんて何もなかったように思う。

本当はすぐ近くで世界や歴史は動いていたんだけれど、でもあのころは、汽車にただよう夜の気配や、友達への信頼や、空気をふるわす佐由理の気配が世界のすべてだと感じていた」

この少年時代の独特の感覚を描いている話なのだ。

複雑で大きな世界や歴史よりも、日常で触れている自分の周りのもののほうがリアルに感じられ世界のすべてのように思える、という感覚を描いた物語ではないか、思う。

世界の設定は、この感覚の対比としてのみ「それっぽく」存在していればいい。

ユニオン軍や蝦夷や塔の設定がほとんどリアリティがない抽象的な概念めいたものなのは、浩紀の視点で見れば、そういうものだからだ。そういうものとしてのみ、とりあえず存在していればいい。

浩紀は「塔やユニオン軍が、それっぽい抽象的なもの」という視点を保たなければならないため、塔が何であるかなど物語世界を解明して観ている人間に説明し、話を進める役割は拓也が担うことになる。

物語内の役割も分担している。浩紀を子供のままでいさせるために、拓也が大人にならざえるえなかったという言い方もできる。

 

「塔が実質的なものではなく『個人の何らかの象徴』としてのみ存在している」ということを表しているのが、1時間1分16秒辺りの岡部のセリフだ。

「誰もが手の届かないもの、変えられないものの象徴として見ている点では同じだし、そう思っている以上、この世界は変わらないと思う」

自分にとっての世界を変えるためには、塔を壊さなくてはならない。塔にはそういう意味がある。

 

「雲のむこう、約束の場所」は、少年が大人になるための通過儀礼の話だ。

背景の設定がイマイチはっきりせず、概念めいて見えるのはそのためだ。通過儀礼をするために必要な要素しか持っておらず、そのための舞台装置と割り切られているからだ。

そのため、設定や終わり方について云々するのは個人的には余り意味がないと思う。

浩紀が塔を破壊したことで何が起こったかは問題ではなく、「子供だった浩紀が世界を変えるために塔を破壊すること」その行為自体が重要なのだ。

「大人になる(世界を変える)ためには、誰もが自分の中の塔を、自分が大切に思うもののために破壊しなければならない」

そういう話だと自分はとらえている。

 

で、塔のない世界(大人)になってどうなったか。

大人になった浩紀が電車に乗り込むシーンの駅の描写は、ここだけやけに現実的だ。

「まだ戦争前、蝦夷と呼ばれた巨大な島が他国の領土だったころの話だ」

ここの浩紀のモノローグでわかることは、現在は塔を爆破するときにはじまった戦争が終わり、「蝦夷」が日本になったということだ。

明言はされていないが、

「いつも何か失う予感があると、彼女はそう言った」

「今はもう遠いあの日、あの雲のむこうには彼女との約束の場所があった」

こういった言い回しや佐由理の幻が出てくるところを見ても、佐由理は浩紀のそばにはすでにいないのではないかと思える。

「塔を爆破したあと、平行世界に飛んで、そこが現代なのでは」とも思ったが、そうすると「戦争前」云々のモノローグとつじつまが合わない。

 

ここも今現在は佐由理がいないのは「なぜなのか」ということは重要ではなく、浩紀は「塔を爆破する」という通過儀礼をおこない大人になったが、少年時代好きだった佐由理のことも失った、という事象が重要なのだろう。

 

「雲のむこう、約束の場所」は、世界や国家規模の問題を個人の問題に収れんさせてしまういわゆる「世界系」(この言葉は余り好きではないのだが)の話と言われているが、この系統の話が余り好きではない自分でも楽しく見れた。

「雲のむこう、約束の場所」は、塔が爆破され佐由理が目覚めたあとの結末を描かないことで、個人の行動と世界の行方を分断している。

またそのあとの世界を現実に接続することで、「大人になったあとの世界は、主人公中心の世界ではない。主人公がそのころ夢見てたり、大切に思っていたことが失われた現実のこの世界になった」ことを描いている。

 

むしろ、世界系へのカウンターである反世界系の話ではないか、というのが自分の考えだ。

「少年時代は自分の身の周りの友情や恋が世界を揺るがすほどの大ごとだったのに、大人になったら現実の一部になり、その時あれほど心がつながったと思っていた女の子も今はいない」ということを描いているように思う。

このあたりがかなり曖昧で、結末と冒頭もきっちりとつなげるような作りになっておらず、それも見ている側次第にしているところも好きなところだ。

見ている側が「世界系にするか反世界系にするか」選べる作りになっている。

 

コアは単純な話を、自分の好みで三回くらいひねってみた、というような話なので、見る人によっては「作りこみが甘いな」とか「何を描いているのかわからん」と思うのも尤もだと思う。

ただ自分は、やりたいことだけをひたすら追求した面白い話だと思った。

都合の悪いときは現実から逃げ出して引きこもり、自意識バリバリで暗くぶつぶつポエムを吐いていたのに、佐由理と夢で出会ったとたん突然やる気に目覚め、周りのことなど何も考えず塔の爆破まで引き受けてしまう浩紀というキャラが、この作品の精神を反映しているようで、見ていて楽しかった。

「自分の都合以外は全シカト、というより全く気を回せない」ところが浩紀と作品が写し絵になっている。

そしてそれこそが、大人になった浩紀が回想する「あのころ」の大きな特徴だ。ヴェラシーラを壊したくなる拓也の気持ちもわかる。

 

「 汽車にただよう夜の気配や、友達への信頼や、空気をふるわす佐由理の気配が世界のすべてだと感じていた」

世界観もキャラ造形も物語構造もすべてがこの精神で作られた「雲のむこう、約束の場所」は、通過儀礼前、自分の周りのものだけが世界のすべてだと思っていたあのころの自分と、今の自分のつながりを思い出させてくれる。