うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

小説版「犬鳴村」を読んで、「怖い」という感覚はどこから来るのか話したくなった。

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映画化されて話題になっている「犬鳴村」の小説版を読んだ。

犬鳴村 [小説版] (竹書房文庫)

犬鳴村 [小説版] (竹書房文庫)

  • 作者:久田樹生
  • 出版社/メーカー: 竹書房
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: Kindle版
 

 

話としてはよくできていて、特に引っかかりもなくすらすら読めた。

怖さを求めて読むのではなく、民間伝承小噺的に読めばまあまあ面白かった。従来のテンプレ通りに話を作ればそれだけで怖くなるだろうと思い、それをなぞっているように見えて余り怖くない。

 

なぜ、この話はこんなに怖くないのか。

筋が通りすぎているからでは、と思った。

 

ホラーでは「犬鳴村」のような、

①過去に因縁となる出来事が起こる。

②それに関わる人物に事象(多くの場合、死などマイナスのもの)が出る。

③その因果が何なのか解き明かすことによって、事象を解決する。

④終幕

こういう類型をよく見る。

 

自分が「怖い」という感覚を持つポイントは、「因果」のわからさなさ、手の届かなさにある。

世の中で一番怖いのは「そのことの意味がわからない」「なぜそれが起こるのか分からない」ということだと思う。

「因果の消失」というか。

因果や法則性が見えないと、助かる方法が分からないからそれだけで怖い。

山崎峰水「MAIL-メイル-」を読んで、「怪異の因果が分からないこと」がホラーの怖さの肝だと思った。 

 

なぜ、そういう事象が起こるのかわからない。

なぜ、そういう事象に自分がまきこまれるのか(選ばれたのか)わからない。

どうすればその事象から逃れることができるのか、安全地帯がわからない。

「わからない」「通じない」「自分でコントロールができない」が積み重なれば重なるほど恐怖は増幅される。

自分が面白い(怖い)と思うホラーは、因果が主人公や読み手からかなり遠い場所に設置されている。人間の目では観測できず、理解できないものであることも多い。

 

「犬鳴村」は呪いが起こる原因、なぜ主人公がそれに巻き込まれたのか、不可解な行動や不可解な死に方をする人間が、なぜそういう行動なり死に方をするのかがすべて説明されている。不可解さがまったくない。

「そりゃあ呪いたくもなるよな」と呪い手の心情を理解し、共感してしまう。

 呪いの因果や呪いの原因の真意は、手品で言えば種明かしだ。一から十まで説明されると「なるほど」とうなずいて終わってしまう。

筋立てが明快なら、舞台描写で怖がらせてくれればいいと思うが、そういう工夫もされていない。余計な装飾のない淡泊な文章で読みやすくはあるけれど。

 

「理解できないもの」「共有できない、つながれない感覚」は恐怖につながる。

ホラーではないが「ゴールデンゴールド」はこの「理解できない」「共有できない」感覚がすごくうまい。

「福の神」は何を考えているのか、意図や心情が分からず不気味な存在だ。フクノカミの影響を受けて、自分がよく知っているはずの祖母や島まで「よくわからない不気味な存在」に変化していく。

ゴールデンゴールド(1) (モーニングコミックス)

ゴールデンゴールド(1) (モーニングコミックス)

  • 作者:堀尾省太
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/06/23
  • メディア: Kindle版
 

現実に起こっていることだけを見れば、フクノカミは主人公に大きな害悪をもたらすわけでもないし、祖母には「福」を与えているように見える。だがそれでもフクノカミは恐ろしい存在だという主人公の直感に、読んでいると共感する。

 

ホラーが難しいと思う点は、「誰が見ても怖いもの」というのは、それだけで怖さが若干目減りするところだ。「誰にとっても恐怖」は、少なくとも同じものを見た人とはその恐怖を共有することができる。(同じレベルで怖がるという意味ではなく、「それが怖いものである」という感覚を共有できるという意味。)

 

「秒速5センチメートル」が自分にとって怖かったのは、「自分がこの話から感じる恐ろしさを誰とも共有できないかもしれない」と思う点にあった。

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自分自身ですらなぜこの話がそんな風に見えるのか不思議なのだ。

なぜこんなに美しく見える画面を、こんなにも怖く感じるのか。

なぜ普通の十代の失恋の話に、こんなに暗い深淵を見るのか。

そもそも自分でも自分の感覚を信じることができない。

「世界がおかしいのではなく、自分がおかしいのではないか」と思わされてしまうところに怖さがある。

この「自分が理解しがたいものに囲まれる恐怖」「他人どころか自分すら信じることができず、共有することができない絶望」に叩き落される感覚が、何よりも怖い。本当に恐ろしいものを見たときは、自分自身とすら分断されてしまう。

 

説明してしまうと怖さがなくなってしまうが、かといって最後まで意図が読めず因果も解明されないと、「結局何の意味があったんだ?」と思われかねない。

ホラーというのはそのバランスがかなり難しいんだな、と「犬鳴村」を読んで思った。