うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【漫画感想】人間には意味がわからない恐ろしさ「畏怖」を抱かせる傑作 中山昌亮「後遺症ラジオ」

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*ネタバレがあり。

 

ここ最近では一番の掘り出し物だった。

自分が考えるホラーの理想形なので、ホラーが好きで読んだことがない人には推したい。できれば、多くの人に読んで欲しい。

ただ「神に憑かれる話」なので、ホラーの中でも「畏怖系」が苦手な人にはお勧めしない。

[まとめ買い] 後遺症ラジオ

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山崎峰水「MAIL-メイル-」を読んで、「怪異の因果が分からないこと」がホラーの怖さの肝だと思った。

 

ホラーは「わからないから怖い」ものが一番面白い。

人間から見て理解できるもの、「こうだからこうなっているんだ」と説明できるものはそれほど怖くない。

訂正。怖いけれど、「理解ができない」世界をのぞいてしまったときの自分という基盤や自分が生きてきた世界が歪められるような恐怖に比べると、恐怖の質がまったく違う。

人にとって「理解できないものが最も怖い」と考えたとき、

説明してしまうと怖さがなくなってしまうが、かといって最後まで意図が読めず因果も解明されないと、「結局何の意味があったんだ?」と思われかねない。

ホラーというのはそのバランスがかなり難しいんだな、と「犬鳴村」を読んで思った。

 小説版「犬鳴村」を読んで、「怖い」という感覚はどこから来るのか話したくなった。 )

 

この問題を超えられるか、という疑問が自分の中にあった。

「後遺症ラジオ」を読んで、なるほどこの手があったかと手を打ってしまった。

 

「後遺症ラジオ」は一見、同じ作者の「不安の種」のように「そこはかとなく気味が悪いちょっとしたエピソード」を、その時々に話すスタイルに見える。

だが全巻読むと、話がつながっていることがわかる。

「話のつながりかた」が、人の目で見ると「何が何だかわからない」「え? そんなことで?」「つながっているといえばいるような」というつながりなので、一本の意図としての因果(ストーリー)はかなり見えづらくなっている。

この「わかりづらさ」こそ、人が自分が理解できないものに相対したときに感じる「畏怖」だ。

話がラジオの電波に例えられ「混線」しているので、時間軸も滅茶苦茶になっている。

時系列も善悪も因果もすべては、人間同士の世界で便宜的に生まれたものに過ぎず、本来人は、神との関わりにおいては神が好き勝手に発する電波を受け取るだけの存在にすぎない、ということを体感させてくれる。

「自分の都合や理解を無視される」ことで人の卑小さを思い出させ、相対的に自分をそのように扱う存在の恐ろしさを思い起こさせるところが、「後遺症ラジオ」のすごい点だ。

 

ラジオの電波順に話を並べていくと、この話は人々が古来、恐れ崇め宥めることで、その力とうまく共存していた道祖神「おぐしさま」の力が発現し、町全体が憑かれてしまった様子を描いた話だとわかる。

 

「おぐしさま」は髪を捧げられることで、亡くなった人を黄泉に「おひきする」力を持っていた。

その力によって村は死者から守られていたが、同時に死者を黄泉にひける「おぐしさま」の強い力と共存するために、「キヒキ」の風習も作った。

元々は人口調整方法として生まれ根付いた「キヒキの風習」によって、「おぐしさま」が強い力を得た、「キヒキの風習」にまつわる歴史や暗い感情が具現化した存在が「おぐしさま」だ、と考えるのも面白い。

人が便宜的に生み出したものの元の意味が忘れ去られ、残った風習自体が意味を持ち、強い力を持つということはよくある。とすると神とはなんぞやなど考えれば考えるほど面白い。

「髪」と「神」の音のつながりなど、どこまでも考えられそうだ。

 

「おぐしさま」は、髪を捧げられた死者をこの世ではない場所に「おひき」する。

「おぐしさま」に「ひかれた」ものは、心がなくなる。

 

長男と長男の嫁になる者は心を「ひかれ」ないように、ある年齢で髪をそる。

「キヒキ」は髪をそらないので、「おぐしさま」にひかれ、心を失う。

「おぐしさま」は「おひき」の力で村を守ると同時に畏れられていたが、開発のために神社からどかされ頭を割られる。

「畏れ」という抑止がなくなった「おぐしさま」は、やみくもに「おひき」をするようになる。

「心をひかれたキヒキ」の身体には、心の代わりに「髪」が入る。(目や口から髪が生える化け物として目撃されたり「3巻32話」、「カズエおばちゃん」のように別人のようになる「5巻65話」)

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(引用元:「後遺症ラジオ」5巻 中山昌亮 講談社)


街では解き放たれた髪の化け物が、自分の依り代となる人間を探しうろついている。

また藁人形に髪(心)が入ったものは、人になる。(1巻18話)そこには恨みである釘が打たれている。

 

29.00NHzで三人の男が目撃する階段のある団地の草むらに、「おぐしさま」は放置されている。いじめられっ子の浜口はこの団地に住んでいて、自分をイジメる人間たちへの「おひき」を「おぐしさま」に願った。

浜口をいじめていた中田たちは心をひかれ、代わりに髪をつめられる。中田の仲間だった今野や酒井も「おぐしさま」に「ひかれ」ていく。

 

エピソードの合間に挿入されている絵は、

人を探す化け物→「かわいく優しい彼女である」女性→藁人形→人間を乗っ取る小さな生物たち→生物に憑かれたカラス→髪の化け物→壁に浮かぶ顔

にグラデーションのように変化する。

これらはすべて根元でつながった同じものであることを表している。

 

全巻を通して読んで、色々と考えながら話を並べ替えると、おぼろげながら話の流れやつながりは見えてくる。

だが、「おぐしさま」とはそもそも何なのか。何が目的なのか。どうすれば鎮められるのか、ということはわからない。

 

「おぐしさま」に「触れてしまった」町が、少しずつなす術もなく怪異に呑み込まれていく様子をただ見ているしかない。

自分には見ることも触れることもどうすることもできない、あるのかどうかすらよくわからない巨大な因果に翻弄され、自分の立っている世界が変質していく様子をただ眺めるしかない、訳も分からず祈るしかない、そういう怖さをここまで味合わせてくれる話はなかなかない。

日常では感じづらい、でも昔は恐らく当たり前にあっただろう「畏怖」という感覚を呼び覚ましてくれる傑作だ。

後遺症ラジオ(1) (シリウスコミックス)

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  • 作者:中山昌亮
  • 発売日: 2015/02/09
  • メディア: Kindle版
 

 

本当に恐ろしい話は「聞いても話しても憑かれる」というのは、「残穢」でも言っていた。「そんな理不尽な」と思うけれど、理不尽だからこそ神や怪異は畏怖されるのだろう。

残穢(ざんえ) (新潮文庫)

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