*ネタバレしています。
橋本環奈主演で映画化が決定した「シグナル100」を読んだ。
全四巻でサクッと読める。
学級崩壊したクラスで「下僕」としてバカにされ続けていた担任が、生徒たちに後催眠をかけて生き残りをかけたデスゲームに強制的に引きづりこむという話。
自分が考える「シグナル100」の最も優れている点は、いじめや性的被害未遂、殺人の強要など深刻な問題と下手に向き合おうとせず、エンタメの域から一歩も出ない範囲で扱っているところだ。
こういうジャンルの創作をしながら、現実と結びつけて「人を殺すとはどういうことなのか」「人の尊厳を傷つけるとはどういうことなのか」ということを中途半端に語られても白々しいだけだ。
ホラーと同じで、創作なのだから登場人物は記号であり極限状態の恐怖や駆け引きを楽しむエンタメと割り切ったほうがよい。
「シグナル100」は単に人を殺すのではなく、人を追い詰めたり、意味もなく苦しめたり、傷つけたりする描写がやたら生々しいが、そういう描写もエンタメだからと割り切って「いい話ぶらなかった」ところがむしろ良かったと思っている。
「シグナル100」は、ほとんどのキャラが一面的な記号を持っているだけで複雑な人間性を持っていない。
「あれ?」と思うような事柄もキャラクターが複雑な設定を持っていなければ、「そういうこともあるのかな」と流せる。
具体的にはあんなに行動力と決断力がある朝比奈だったら、虐めに対して何か手を打ちそうなものだが。極限状態になると人は真価を発揮する、と言われればそういうものかなと思える。
このジャンルの話は、かなり極端な行動や普通だったら考えらないこともさせなければならないことが多いので、キャラクターの設定が単純でなければ話が行き詰まる。キャラクターは設定に縛られた言動しか取れないので、設定が複雑であればあるほど取らせることができる言動の範囲が狭まるからだ。
読み手が感情移入することが難しいほどキャラの造形が単純な場合、ストーリーで読み手を引き付けるしかない。
「シグナル100」の展開は、面白いけれど予測の範囲内から一歩も出なかったというのが正直なところだ。
もっとあっと驚く展開がひとつは欲しかった。
キャラクターが類型的すぎて、対立軸が「殺すか殺さないか」「正しさはそれぞれ」と平凡なものしか出てこなかったのが残念だった。
榊も和田も本当はどういう人間なのかということがよくわからず死んだので、見たままの奴だったのか、ということがむしろ衝撃的だった。
榊の樫村に対する気持ちは、「好きだから守る」というより、「自分の大切なものは何としても守る」という強烈な信念に樫村が当てはまっただけに見えるが、その源泉が何なのかということもわからなかった。
「キャラクターが類型的な割には思考や言動が極端で、その極端な思考の理由がよくわからない」
ということを、「そういうものなんです」と辻褄合わせを読み手に丸投げするのではなく、作品内で納得させてほしい。だが前述したように、キャラクターの深堀りとデスゲームものは食い合わせが悪い。
ゲームの内容が殺し合いだと、キャラクターの性格を元々他人の命などなんとも思っていなかったという極端なものにするか、「自分が死にたくないから」という理由を与えることでキャラを平凡化させてしまうか、どちらかしか思い浮かばない。
考えるとかなり難しい分野だ。
「シグナル100」は「ものすごく面白い」というわけではないが、特に破綻なく悪い点もなく、先の展開が気になりながら最後まで楽しく読めた。
「絶対殺さない」と言っていた樫村が、下部から残されたゲームを自分の生徒たちに仕掛ける落ちは、エンタメとしては救いのないいい終わり方だと思う。
さらにこのあと樫村の生徒の誰かに引き継がれてという「円環エンド」やもしくは樫村と同じ立場になっても、最後まで殺さない生徒が出てきて死ぬ「因果を断ち切るエンド」など、そこまで描いたほうが話としてひとつの結論が出てまとまりが良かったような気もするが、これはこれでいいのかもしれない。
キャラでは朝比奈が好きだ。裏切ったあと、復讐をするいじめられっ子要素よりも悪役要素が強かったところが良かった。