うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【漫画感想】「父さんはひとごろし」 自分の父親が凶悪犯かもしれない、と苦悩する話かと思いきや。

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父親が凶悪殺人犯としての過去を持つかもしれない、という設定を、社会問題の視点を入れずにエンタメに特化して描いている。

この発想が駄目な人は、胸糞が悪くなるだけなのでおススメしない。

自分は創作の中では大抵の描写は許されると考える人間なので、完全創作なら気にならないけれど、実際の事件を想起させる部分があるのでそこはもう少し慎重な描き方でもいいのではと思った。

実際の事件を元にしたフィクションについて思うこと。 - うさるの厨二病な読書日記

線引きが難しいんだけれどね。

 

*以下ネタバレが含まれます。未読のかたは注意してください。

 

最初、あらすじを読んだときは、「父親が過去の凶悪事件の犯人かもしれない」と疑い続けて苦悩する、もしくはそうだと知ってしまい葛藤する話だと思った。

だから父親が「本当に過去の凶悪事件の犯人だった」と、すぐに判明したときは驚いた。

「どうやって話をもたせるんだ?」と思ったら、まさかのサイコパス対サイコパスの構図になる。

 

展開自体は予想内なのだけれど、それが起こるタイミングや起こる相手が違うので、「まったくの予想外の展開」よりも面白く感じる。

例えば人質として監禁されるのは主人公の彼女だろうと思っていたら、野崎が監禁される。じゃあ彼女は来ないのかなと思いきや後から来る。

戸叶の部下があっさり殺されたから、野崎も殺されるだろうと思いきや……とかね。

初めから終わりまで「予想内の展開だけれど、予測の展開からは少しずつずれて」いて、このずらし方が滅茶苦茶うまい。

この展開はもうないだろう、と思ったら後からくるなど、ボディブローのように面白さが効いてくる。こういうの凄くいいな。

 

全体的に起こっている事象や描写は過激なのに、演出が妙にサラリとしている。

そのため他の話だと「重要」と思われる心象を読み飛ばしてしまいがちになるのだが、よくよく考えると謎が多い。

父親の最後の言葉の真偽、「父親は息子を本当はどう考えていたのか」も、父親の心境をそのまま話せば「サイコパスだから息子のことも、なんとも思っていなかった」だろう。実際、作内では、息子に対して監禁暴行脅迫までしている。

だが「作外時間」では、「十四年間、自分の人格や衝動を、息子に悟られないように押さえ続け、過保護な父親という仮面を被って平穏な生活を維持しようとした」という点に父親の真意があるとも考えられる。

 

息子を脅して共犯に引きずり込み、暴行脅迫までした「作内行為」と、そういう「作内での姿」を抑えつけてきた「作外の十四年間」が父親の中で並列に成り立っていて、そこに父親の複雑さが表れている。

父親の最期の言葉は、客観的に見れば主人公が指摘した通り「『まともになる』って言っておきながら、子どもに『殺せ』はおかしいよ」だ。

ただそれだけが真意というわけでもなく、「作外の十四年間」も息子に対する気持ちも十分「真意」だったんだろうなと思う。

恵に対しての感情も同じで、自分の殺人への衝動を抑えて恵親子を家に残したのは何故なのか。こういう父親の心象(心境ではなく)が、演出や内心の声ではまったく触れられていないから色々と考えられて面白い。

 

この話は自分が好きな「演出がサラリとしているため、事象や心象は細かく描き込まれているのに真意がよくわからない話」ではなく、「事象も心象も演出もサラリ」なので、その点は若干物足りなく感じた。

「事象も心象も演出もサラリ」だと、「そういうものだと描写されているから、そういうものか」と納得するしかなくなる。

例えば「母親の父親への心酔ぶり」は母親のキャラが余り描き込まれていないため、状況を作るための前提にしか見えない。端的に言えば「ご都合主義」に見えてしまう。

「演出サラリ」と「ご都合主義」のラインの見極めも含めて、全体的に「巧い」という印象なので、もう少し「事象心象は細かく描き込まれていて、そこに読み手が演出という名の読み取りを行える作り」だと嬉しかった。

 

「事象心象は細かく書き込まれてるが、演出はサラリとしているので、読み手が演出というアクセントを自由に付けられる」

こういう話が大好きなので、贅沢だとは思いつつもつい言いたくなってしまう。